そして、あっという間にひと月が立った。
クラウの留学が終わり、カラスタンド王国へ帰る時が来てしまったのだ。

最後の日、クラウとミアは言葉少なく黙って座って湖を眺めていた。いつもより心ばかり、距離が近いような気がする。
沈黙が辛くなり、ミアは明るく声をかけた。

「クラウ様、この国はいかがでしたか?」
「あぁ、いい国だった。ここで得たことを国に持ち帰って役立てるよ」
「それは良かった……」

微笑むが気を抜いたら泣いてしまいそうだった。行かないでと言ってしまいそうだった。喉まで出かかった言葉を唾と共に飲み込む。

(寂しいし悲しいけれど、ここで泣いたらクラウ様を困らせてしまうわ……。最後は笑顔でお別れをしたいものね)

ミアは泣かないように気を張っていた。でも気を張れば張るほど胸が詰まって言葉が出なくなる。同じように黙っていたクラウが先に口を開いた。

「そろそろ時間だ。戻らないと……」
「はい……」

クラウの呟きに頷く。
ついにタイムリミットが来てしまった。落胆を隠し、いつもクラウが通る抜け道へと続く茂みの前まで見送りに行く。そこでクラウは足を止めてミアを振り返った。

「ミア、俺が先日言ったこと覚えているか?」
「え?」
「卒業後は俺を頼ってほしい、と話しただろう?」

あぁ、その話かとミアは微笑んで頷いた。

「はい、覚えています。卒業したら、カラスタンド王国へ参ります」
「そうか。そうしたら、国境門の所で国境警備隊に名前を告げてクラウに会いたいと伝えてくれ。俺の元へ通すよう、話をつけておくから」
「わかりました」
「俺もお前を迎えておく準備はしておく。それまでは辛くても頑張れ」

クラウの励ましに胸がいっぱいになった。いつでもミアの心配ばかりしてくれる。クラウの優しさに泣きそうになりながらミアは笑った。

「大丈夫です。私、こう見えて強いんですよ?」
「知っている。強くて賢い。でも、本当は寂しがり屋だ」
「え……」

穏やかな目で微笑みかけられる。大きく温かい、優しい手がミアの頬を優しく撫でる。

(寂しがり屋だなんてどうしてそんなこと……)

胸の奥を見られた気がして恥ずかしかった。でも、クラウがそこまでわかっていてくれたことが嬉しくもあった。

「待っている。ずっと……。じゃぁな」
「はい……。ごきげんよう、クラウ様」

微笑んで挨拶をすると、クラウは名残惜しそうに頬から手を離した。そしてゆっくり背を向けると、茂みをかき分けて生垣の向こうへと戻って行った。次第にその音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなった後、ミアはぽつりと呟いた。

「……ごめんなさい、クラウ様。さようなら」

涙が溢れる様に流れてくる。何度も小さく謝罪をした。ミアはクラウを頼らないと決めていた。きっともう二度と会うことはない。

(クラウ様に会えたこと一生忘れません)

ミアはクラウとの思い出の日々を心の励みにして過ごしていこうと決めたのだった。



半年後。

動きやすい簡素なワンピース姿のミアは、必要最低限の荷物を鞄に詰めてがらんとした自分の部屋を見渡す。
ついにこの日がやってきてしまった。今日でこの部屋ともお別れだ。この部屋だけが、ミアを守ってくれていただけに別れるのは寂しい。
感傷に浸っていると、後ろから冷たい声が聞こえた。

「あら? まだいたの?」

サラサはミアの部屋入口で腕を組みながらこちらを見ていた。

「お姉様、二年間お世話になりました」

形式的にそう言って頭を下げると、これ見よがしに大きくため息をつかれた。

「やっといなくなってくれて清々するわ。でも、私の結婚式の前に出て行ってくれて良かったわ~。愛人の娘が式に参列するとか、我が家の汚点でしかないもの」

来月結婚式を控えたサラサは嬉しそうに言った。

「もう二度と、レスカルト家の娘を名乗らないで頂戴。今後はうちとはもう一切関係ないのだからね」

フンと鼻を鳴らすと、サラサは部屋から出て行く。
いつもなら不快感を感じるこの嫌味も、今日で最後かと思うと不思議と腹が立たない。むしろ、ミアも清々していた。
この先のことは不透明で不安だが、サラサに会えなくなることに関しては少しだけスッキリしているのだ。

「もう行かなくては……」

荷物を持って玄関まで行く。
お世話をしてくれた数人の使用人たちは名残惜しそうにしてくれた。しかし父と義母、サラサは見送りにすら来なかった。

家の門をくぐって、ミアは大きく息を吸った。
これからはまた、ミア・レスカルトではなくミア・カルストとして生きていくのだ。もう公爵令嬢を名乗らなくていい。ただ一人の女性として生きていくのだ。
強く生きていかなければ……!

「えっと、確かこの道で会っているわよね」

ミアは人通りの多い道をきょろきょろしながら歩く。
仕事は城下町の飯屋で住み込みとして働かせてもらうことが決まった。募集があったのを使用人から偶然聞き、慌ててミアが飯屋まで直談判しに行ったのだ。
正直、いい顔はされなかった。
明らかに事情がありそうな娘を雇うのは面倒だといったところだ。しかし、ミアが必死に頭を下げてお願いをし続け、やっと頷いてもらえた働き口だ。
これから頑張っていかねばならない。そこしか生きていく道がないのだ。

「働き口があるだけまだいいわね」

そう気持ちを前向きにさせて、ミアは顔を上げた。