社交界でのクラウとの出来事は父や姉サラサには言いたくなかった。そのため帰宅後に「どうだった」と聞かれても、ミアは黙るしかなかった。
そんなミアに父と姉は露骨にため息をつく。

「ミア、お父様が何のためにあなたを社交界に行かせたと思っているの! 本当、何もできない愚図ね。お父様、この娘に期待しても無駄ですわ。ねぇ、ミア。どうせ相手を見つけられなかったんでしょう? 正直に言いなさいよ!」
「お相手ならまだ……」

成果はあげられなかったとわかると、サラサは「信じらんない!」と高い声で糾弾した。

「何のために、ドレスを新調したと思っているのよ! あなたのためにお父様がお金をかけて作ってくださったのよ!? 恩知らずにも程があるわ」
「申し訳ありません。今度は……」
「あなたに今度なんてないわ! そうよね、お父様? ねぇ、私が王族の身内と婚約したのですから、もうそれでよろしいんじゃなくて?」

サラサは一気に父にそう捲し立てた。黙って聞いていた同意したように父も深く頷く。

「お前はもう少し期待できる奴だと思っていたが、やはり母同様にただの庶民だったな」

見下しと侮蔑が混じった言葉に目を瞠る。父への怒りが沸き上がるのを感じた。

(その庶民を一時でも愛したのはあなたでしょう? お父様。だから私がここに居るんじゃないの?)

そう言ってやりたかったが、奥で義母がこちらを睨んでいるので黙っていた。父は完全に母への気持ちなどなくなっていた。その事実にミアは少なからずショックを受けた。

「ミア、お前には失望したぞ。もうお前に何も期待などせん。卒業したらこの家を出て働きに出なさい。もう好きに生きればいい。わしは今後、お前がどこで何をしていようがもう一切関与はしない。もちろん、お前もこちらに関わるな」
「え……」

父の言葉に目を丸くした。いくら可愛がってくれない父でも面と向かって失望したと言われると辛い。さらに、父はミアに家を出ろと言ったのだ。

「家を出る……?」
「やだわ、ミア。良い所へ結婚もできないあなたをこの家に置くメリットがどこにあるの? 卒業まで待ってもらっただけでもありがたいと思いなさい」

サラサはミアをバカにしたように笑った。

(家を追い出されるだけでなく、今後一切関与しないだなんて……。つまりそれは……)

絶縁を言い渡されたということだ。

結婚が決まらなければ家事手伝いをしながら、お見合いをするなりパーティーに積極的に出るなりしてそのチャンスをうかがう。それが出来なかったら働きに出されるかもしれないと思っていたが、まさか卒業と同時に家を追い出され、縁を切られるとは思っていなかった。
驚いているミアに、サラサはニヤリと笑う。

「あ~ら、大丈夫よ。ミアは賢いもの。一人で生きていくことなんて余裕よね。残念だけど、一時でも姉妹でいられて楽しかったわ~」

全くそう思っていなさそうな口調で高らかに笑う。しかしミアはサラサの嫌味に付き合っている場合ではなかった。

(どうしよう……。どうにかしてあと半年で仕事を見つけて働かなければならないわ……。でないと、路頭に迷ってしまう)

働き口が見つからなかったとしても、この家の人たちはミアを容赦なく追い出すだろう。その前に何とかしないと……。しかし、こんな特技も何もない自分に何ができるだろうか。

そもそも今の学校にはもちろん就職先の案内など来ないし、なによりこの国は女性の働き口が少ない。生まれ故郷に戻るにしても、貧しい村だったので働き口はないだろう。

「どうしたらいいのかしら……」

ミアは途方に暮れてしまった。


――――


翌日。
午前の授業が終わると、足は当然のように湖へ向かう。しかしその足取りは重い。
今日もきっとクラウは湖前の木陰で待っていてくれるだろう。でも、いつものように気分は浮上しなかった。
家を追い出される前に働き口を探さなければというプレッシャーはミアに重くのしかかる。

湖につくと、やはりクラウが木の木陰で寝そべりながら本を読んでいた。
足を止めて、自分の頬をキュッと持ち上げて笑顔を作る。

(クラウ様の前で暗い顔なんてダメよ、ミア)

よし! と気合を入れると、気配に気が付いたクラウが体を起こして振り返った。

「クラウ様、お待たせしました」
「ミア」

目を細めて嬉しそうに笑うその顔にドキッと心臓が跳ねた。

「クラウ様、お昼食べましたか? 今日は多めに持ってきたので良かったらご一緒しませんか?」

ミアは持ってきたバスケットを掲げる。中には食堂で作ってもらったサンドイッチが入っていた。

「ありがとう。ちょうどお腹が空いていたころなんだ」

クラウの隣に座ると、手元を覗き込んだクラウとの距離が近くなる。フワッと爽やかないい香りがして少しだけ赤くなってしまった。
社交界の後なので尚更ドキドキしていたがクラウはいつも通りだ。
やはり、あの言葉の意味に深いものはなかったようだ。

(やっぱりそうよね……)

少しだけ落ち込んだが、クラウのような素敵な人が自分に対してあんなこと言うわけがない。
本当に言葉にままの意味でミアを誘っただけなのだろう。そう結論づけるが、残念な気持ちが顔に出てしまったようだ。

「ミア? どうかしたか?」

問われて、ハッと顔を上げる。微笑みながら何でもないと首を振った。

「いいえ。あ、フルーツもあるんですよ。これは今の季節によく取れる果実なんです。クラウ様の国にはありますか?」
「いや、これは初めて見るな。この季節にこんな甘い果物が食べられるのはこの国ならではだ。ちなみに、うちの国では今は柑橘系の季節なんだよ。今度ミアにも食べさせてあげたいな」

懐かしそうに話すクラウに、ミアは思わずポツリと呟いた。

「カラスタンド王国か……。行ってみたいな……」
「ミア?」

ミアの呟きにクラウが心配そうに覗き込む。俯いたミアを覗き込んだクラウと目が合ってしまったと目を泳がせた。

「何かあったのか?」
「あ、いえ……」

誤魔化すように微笑むが、クラウはジッとミアを見つめた。見透かすような瞳が少し怖い。言わないと見逃してくれなさそうだ。根負けしたようにミアは口を開いた。

「……カラスタンド王国は女性も多く働いているんですよね?」
「あぁ、女性の社会進出はここよりは進んでいるかもな。需要もある」
「私のような他国の女が働くことはできますか?」

そう聞くと、クラウは面食らったような顔になった。

「もちろん、他国の女性も働き口はなくはないが……。ミア? 働きたいのか?」
「というか、働かなくてはならなくなりました。卒業したら家を追い出されることになったんです」

えへへと笑い、暗くならないよう努めて明るく簡単に事情を話す。しかしクラウは眉根を寄せて顔色を変えた。

「レスカルト公爵がそう言ったのか?」
「仕方ないんです。私は愛人の娘……。母が亡くなって、こうして引き取ってもらっただけでも感謝しているんです」

そうだ、だから高望みしてはならなかった。自分が公爵令嬢だと勘違いしてはならなかったのだ。
働けと言うならそうするべきだ。もともと母親が生きていたとしても、ミアは住んでいた町のどこかで働いていただろう。
場所が、立場が変わっただけで根本は変わらない。
だから、卒業して家を出て行くのも何ら不思議ではないのだ。まだ猶予があるだけましだろう。

「愛人の娘であっても、君はレスカルト公爵の娘だ。公爵令嬢であることには変わりない。公爵令嬢が学校を出て、一般のように働くなんて俺の国でも聞いたことがない」
「はい。なので、私は半年後には公爵令嬢ではなくなります。母の娘、ミア・カルストに戻るんです。そうしたら公爵令嬢でもなんでもないでしょう?」

ふふと笑うと、クラウは俯いて目元を押さえた。そして長いため息をついた後、ゆっくりと顔を上げる。

「……ミア、卒業したらカラスタンド王国に来るといい。君がこの国にいたら俺は何も手助けは出来ないが、うちの国に来れば力は貸せる」
「クラウ様……」

ミアはクラウの気持ちが嬉しかった。ミアを助けようと考えてくれたことに感激したのだ。
なんて優しいんだろう。そう言ってくれるだけで、ミアの心は救われた気がした。

「ありがとうございます。家も働き口が見つからず、どうにもならなくなったらカラスタンド王国へ行くかもしれません」

少し冗談めかして言うが、クラウの表情は真剣だった。

「あぁ、必ず来い。俺はいつでも待っているからな」

クラウはそっとミアの髪を撫でた。その手が温かい。そんな手で触れられたら甘えたくなってしまう。

「本当に……、頼ってしまうかもしれませんよ?」
「あぁ、存分に頼ってくれ。ミア、俺はお前を一人にしたくない」
「クラウ様……」

クラウの優しい言葉にミアは自然と涙がこぼれた。それをクラウの指が優しく救い上げる。
泣きたくないのに、今まで我慢していた分が溢れてしまう。

(クラウ様。その温かい言葉をいただけただけでミアは満足です)

ミアは心の中でそう返事をした。
クラウはきっとカラスタンド王国でも爵位ある家柄だろう。立場を考えればそんな立派な人に、家柄も何もかも無くした庶民のミアが頼るわけにはいかなかった。

(本当は、叶うことならずっと一緒に居たい。クラウ様の側にずっと……)

前から抱く、この気持ちに気が付いていた。
クラウを想うたびに、胸が締め付けられる様に苦しい。でも、いつも会いたくて声が聞きたくて触れてほしい。
いっそのこと、この想いを口に出来たら楽だろう。
しかし国も違えば、半年後に身分も違くなる。そんな相手にこの想いは告げられない。
だから今、こうして与えてもらえる温かさを忘れないようにそっと心にしまっておこうと決めた。