ついに社交界の日がやってきた。
ミアは用意されていたドレスに、ゴールドのパールが付いたイヤリングとネックレスのアクセサリーを身に着けて、髪をアップに整えた。髪飾りはパールが5連程連なった、控えめ且つ品が感じられる作りの物を左耳の上あたりに着ける。化粧も丁寧に施した。

「ミア様、大変お美しいです」

手伝った使用人達が、みな感嘆のため息をついた。着飾ったその姿はもともとの美しさも手伝って大変美しく見惚れるものがあった。

「フン、どこがよ。私には負けるわね」

部屋の入口から様子を見ていたサラサは鼻にしわを寄せて悪態をつく。しかし、当のミアは緊張が優先してサラサの嫌味など耳に入ってこなかった。

(上手くやれるかしら……)

憂鬱な気持ちを抱えながら、使用人に促されて家の前で待っていた馬車に乗り込む。

「ありがとう。行ってきます」

小さな声で挨拶をするが、ミアが乗り込むと使用人たちは見送りなどせずにさっさと家の中へ戻って行ってしまった。

馬車は城下町を抜けて、会場となる王宮へと向かう。城門を抜けてしばらく走ると、大広間へ通じる東の塔の前につく。
王宮には社交界以外は行くことはまずない。父は議員職に就いているが、そうした特別な者でない限り当然入れる場所ではないのだ。
列をなした馬車から、順番に綺麗に着飾った若い女性や男性達が続々と大広間へ入っていく。
ミアも塔の中へ案内され、すぐ右手の大広間の入口にたどり着く。前回はサラサと一緒だったので一人は初めてだ。緊張しない方がおかしい。
父の「見初められてこい」という言葉もプレッシャーになっていた。

(何も気にせず中へ入ればいいだけなのに……。入りにくいわ)

中をよく見ればクラスメイトが何人かいるが、ミアはもともと友達が多い方ではない。通り過ぎる人たちも、ミアに声をかけて一緒に中に入ってくれるような人はいなかった。

でも、いつまでもここでグダグダしているわけにはいかない。覚悟を決めて、意を決して大広間に入った。

入った瞬間、ザワッとして一斉にミアへと視線が注がれる。好奇や不躾、探るような視線に思わずたじろいだ。
入場が遅れたから不審に思われたのか? それとも、何か自分の格好がおかしいのだろうか。愛人の娘のくせに、社交界など図々しいと思われたのだろうか……。
ミアの心にそんな不安がよぎる。
実際、ミアはその美しさから人目を引いていた。元々顔立ちが良かったが、着飾った姿はこの場所によく映えていたのだ。

すると、周りの人たちがわらわらと近寄ってくる。

「ミアさん、お姉様のご婚約おめでとうございます」

そう近くの人に声をかけられると、それをきっかけに知っている人から知らない人までみんなが話しかけてきた。

「レスカルト家のミアさんね。初めまして。お姉様がご婚約された話は聞いています。おめでとうございます」
「凄いわよね、第10王位継承者のカズバン様とご婚約なんて。憧れちゃう」
「サラサ様は美しいから当然ですよね」

名前も知らないような人たちが次々と声をかけて来て、ミアは当惑しつつ曖昧に笑顔を浮かべる。サラサへのおべっかなどどうでもいい。
しかし、サラサの妹という手前、それらの言葉を無下にするわけにはいかない。

「ありがとうございます。姉も大変喜んでおります」

ニッコリ微笑んで、当たり障りのない返事を返す。
集まってくる人たちは皆、サラサの話題ばかりだった。末端とはいえ、王族の親族と結婚するのだ。もしかしたら何か繋がりを持っておこうと考えているのかもしれないから仕方がない。

男性にもたくさん話しかけられたが、どう返したらいいのかわからない。母が生きていた時も、住んでいた町で親しく話せる男の子などほとんどいなかった。
大人しい性格のミアは友人すらまともにいなかったのだから……。

自分の不甲斐なさに自然とため息が漏れる。

(これじゃぁ、お父様にもお姉様にも叱られてしまうわ。どうやったらうまくお話が出来るのかしら。みんな、クラウ様のように話しやすい方ばかりならいいのに……)

そんな思いが頭をかすめ、ハッと思いなおして首を振る。

(何を考えているの、私ったら。クラウ様は他国の方なんだから、この国での身分とか立場を気にしなくて良いから私にも話しかけて下さっているというのに……。そうよ、だからきっと、あんなに自然に優しくしてくれるのよね)

自分に言い聞かせるが、クラウが胸に引っかかって余計に他の男性とうまく話せない。
どうしてこんなにクラウばかり思い出してしまうのか……。

やっと一人になったタイミングでホッと息を吐くと、あからさまな声が聞こえた。

「どうやら、ミア様はサラサ様とは違うみたいね。お顔は美しいけど男性には慣れていないみたい」
「良かったぁ~。また気に入った人を横取りされたらどうしようかと思ったわ」

噂をしている令嬢たちはミアをチラチラ見ながらクスクスと笑う。

「まぁ、サラサ様は社交界でもとても積極的でしたからね……。他のお嬢様方を押しのけても、ね」
「本当! カズバン様を見つけた時も、誰よりも積極的でらっしゃったから。あの時は凄かったわよね」

含み笑いをしながらそう話す人もいた。ミアは顔を背け、でも耳だけは声を拾う。

(なるほど……。お姉様の振る舞いをよく思わない人もいたのね……。それはそうよね。自分が一番でなければ気が済まない人ですもの。ヒンシャクを買うことも多かったはず)

きっと自分の振る舞いも見られていたのだろうとミアは思った。

そもそもミアはサラサのように積極的に動けるタイプではないので、周囲も比べるだけ無駄だと思ったのだろう。
ミアは口下手なため、社交界中も自分から誰かに話しかけることはほぼなかった。もちろん、その美しさから話しかけてくる男性は多かったが、サラサのように会話が弾まないと気が付くとだいたい皆つまらなそうに離れて行った。

サラサと対比されては勝手に幻滅される。別にそれでも良いと思った。ただ、心の端っこで父の言う「見初められる」ということがないのはどうしたものかとは思うが。
家に帰ったら成果を聞かれ、お説教されるのだろう。

それだけでもミアは疲れてしまい、気分転換にと庭園が見えるバルコニーへ出た。夜風が心地よくて、気持ちがさっぱりする。少し肌寒いので、誰もいないところがまた良かった。

「私にはこういう場所は合わないわね……」

ぽつりと呟いた。
すると――。

「疲れたのか?」

不意にそう声をかけられてミアは顔を上げた。辺りを見回すが、近くには誰もいない。ライトアップされた庭以外は暗い闇だ。

「え……?」
「ここだよ、ミア」

声がする方を見ると、バルコニーの外側の園庭にクラウが立っていた。ミアの真下におり、手すり脇の茂みと暗さもあって人がいることに気が付かなった。

「クラウ様! どうしてここへ? てっきり今日は参加されないものだとばかり……」
「俺も一応、出席するよう言われたんだけどね。正式な場は平気だけど、こういういかにもな男女交流の場は苦手だから逃げてきた。あとで怒られるだろうな」

全く悪びれない様子でハハハと笑うクラウに少し呆れる。この様子だと大広間にも顔を出していないのかもしれない。
社交界をはっきり男女交流の場だと言うクラウに少し驚く。社交の場という名目だが、ここ最近では結婚相手を見つけるお見合い会場と化していることが多かった。
クラウはそこに気が付いていたから揶揄するような言い方をしたのだ。

「私も……、苦手です」
「だろうな」

苦笑するクラウを見る。
ミアがいるバルコニーの方が少し高い位置にあるので、園庭側にいるクラウを見下ろす形となる。手すり越しに背の高いクラウを見下ろすのはなんだか不思議な気分だった。

「ミアのお姉さんはカズバン殿に嫁ぐそうだな。おめでとう」
「ありがとうございます……」
「? 浮かない顔だな」

暗い中で表情の違いに気が付いたクラウは首を傾げた。ミアは苦笑した。

「会場でもみんなお姉様の話題ばかりでしたから。お姉様の結婚は喜ばしいことですけど、私にとってはどうでもいいことなので……」

そう口に出て、しまったと手で塞ぐ。
仮にも姉の結婚をどうでもいいだなんて言っていいことではない。ミアが焦っていると、クラウはぽかんとした顔をした後、フフっと笑った。

「姉の結婚がどうでもいいとかはっきりいうね。まさか仲が悪いのか?」
「……良くはありませんね。私とお姉様は異母兄弟なのです。私は実母が亡くなって、レスカルト家へ引き取られました。だからお義母様やお姉様にとって私は疎ましい存在のようで……。好かれていないようです」

暗くならないように笑って話すが、クラウはミアをじっと見つめる。

「いじめられているのか?」
「いいえ……、そんなに露骨に酷いことはされていませんよ」

ミアの言い方にクラウもなんとなく状況は理解したのだろう。顔は険しいままだった。
ミアは後悔した。どうしてクラウにこんな話をしてしまったのだろう。
母や姉の悪口みたいなことを……。絶対話してはいけないことなのに……。それなのに、不思議とクラウの前では自分の気持ちも思いもすんなりと話すことができる。自然と素直に自分の気持ちを吐露することが出来るのだ。

この町に来て初めて親しくなった相手だから、つい口が滑ってしまったのかもしれない。ポロっと口から出た話だったが、一番言ってはいけない話だった。ミアは慌てて取り繕うように笑顔を見せた。

「クラウ様、ごめんなさい。今の話は聞かなかったことにしてくださいね」

クラウは誰かに話したりはしないだろうが、念のためそう口止めする。あまり知れ渡っても良い話ではない。クラウは小さく頷いた後、ミアを見つめた。

「……ミア、辛いことが多いか?」
「いいえ……。愛人の娘を引き取ってくださっただけでも感謝しているんです。衣食住を与えられ、学校にも行かせてもらえている。状況はどうであれ、今は何一つ不自由はしていません。母と二人で暮らしていた町は貧しかったので、良い暮らしを与えてもらっています」

だから、姉サラサや義母の仕打ちなどたいしたことではなかった。母がいないことは寂しいけれど、昔の生活よりは断然いいのだから。あとは、嫌な人とは極力関わらないよう過ごせば特に辛いことはない。
しかし、クラウは何かを考える様にあごに手を置く。そしてミアを覗き込んだ。

「わかった。だが、何かあれば俺に言え、いいな?」
「クラウ様……、ありがとうございます」

心配してくれるクラウに嬉しくなる。
こんな自分を気遣ってくれる優しさに眩暈がしそうだった。

そしてふと気が付いた。暗くてよく見えていなかったが、クラウは軍服のような服を着ている。白ベースの襟詰めスーツに、胸元にはいくつも紋章やメダルが付いている。剣を腰に下げていおり、その剣の柄の装飾はきらびやかだ。
隣国の正装なのだろう。その格好だけで、名誉ある家柄なのだろうとうかがえる。
髪の毛も上げてその整った顔が良く見えた。いつも会う時の姿とはまた違う、凛とした姿がとても素敵だった。

思わず見惚れていると、クラウは小さく咳払いをした。

「ミアは……、その……、今日の社交界で良い人と巡り会えたか?」

クラウは目線を外しながらどこか言いにくそうに聞いてきた。

「いいえ。皆さんお話はしてくださいますが、お姉様の事ばかりで……。私自身、人付き合いが上手くないので、最後はみんなどこかへ行ってしまわれるんです」

ふふっと自嘲気味に笑う。すると、クラウはホッとしたように表情を緩めた。

「そうか……。今日のミアは一段と美しいから、もう他の男性と巡り会ったのかと思った」
「え……」

一段と美しい。
そう言われて、ミアはドキッとした。同時に、カァァと頬が熱くなるのを感じる。

(他の人に言われても何とも思わなかったのに、クラウ様に美しいなんて言われるとなぜだかドキドキしてしまうわ……)

クラウのどこか熱のこもった視線から目が離せなくなる。お互いの視線が絡み合った。

「クラウ様も……、凛としていつも以上に素敵なので、女性が放っておかないのでは?」

呟くようにそう聞くと、クラウは少し驚いた顔をした後、満面の笑顔を見せた。

「なんだろうな、ミアにそう言われると嬉しい気持ちになる。俺は会場内には入ってないから、女性とまともに会話すらしていないよ」

やはり会場には来ていなかったようだ。女性とまともに話をしていないことに、なんだかホッとしてしまった。クラウが女性と親しくしているところを想像するだけで、胸がモヤモヤして面白くない。

クラウは手すりから身を乗り出しているミアに手を伸ばす。その大きな手が優しく頬に触れた。

「ミアだけだ。今日、こうして話をした女性は」

クラウの言葉に、ミアは胸の奥が締め付けられるような感じがした。自分だけ。それはなによりも甘美な言葉に聞こえる。
ドキドキして苦しい。触れた頬から熱が伝わり、クラウをより感じる。ずっと触れていてほしい。もっともっと……。そう願うほどのこの感情は何だろう。辛い苦しさではなく、もっとクラウに近づきたい。お互いの熱を感じたい。それは初めて味わう感覚だった。

「クラウ様……、あの……」

もっと話がしたい。側にいたい。ミアは園庭へ降りようと考えた。すると、会場から締めの挨拶が聞こえ、社交界がお開きになるのが分かった。

「あ……」
「もう帰る時間だろう? ミア、今日はゆっくり休め。そしてまた、いつものところで話そう」

いつものところとは、あの湖を指しているのだろう。今日はもうさよならしないといけないのは寂しかったが、次の約束に胸が躍る。
また会えるのだ。クラウからの申し出に胸がときめいてまた苦しくなった。

「はい! お待ちしていますね」
「あぁ……。そうだ、ミア」

手すりから離れようとしたミアをクラウが呼び止めた。

「なんでしょうか?」
「今度は俺とダンスでもしよう」

クラウはそう言って微笑むと、軽く手を上げて暗闇の中へ消えて行った。ミアは目を丸くしたまま、消えた方を呆然と見つめる。

「ダンスをしようって……」

クラウはその誘い方の意味を分かって行ったのだろうか?

‘あなたと親しくなりたい’‘あなたのことをもっと知りたい’

この国の社交界の場で、事前にダンスを誘うということは言外にそんな意味が込められている。他国出身のクラウがその意味を知っているとは思えなかったが、ミアは顔が真っ赤になるのを感じていた。

「クラウ様……」

ミアは胸がドキドキして止まらなかった。誰かを想ってこんなにときめいて胸が苦しくなるのは初めてだ。

(嬉しい……。私ももっとクラウ様のことが知りたいです)

ミアは自然と頬が緩んで笑みがこぼれた。