翌日から、晴れた日のお昼は湖畔でクラウと話をするのがミアの日課になっていった。
クラウと過ごす時間は、自然で違和感も何も感じなかった。まるでそこにいるのが当然かのように馴染んでいったのだ。心地いい空間に、ミアはこの時間が楽しみになっていた。

「もし留学中に行くなら、郊外にあるワランの滝というところがお勧めですよ。朝焼けが差し込むと、とても美しいと聞いたことがあります」
「へぇ。それは見てみたい。ミアは行ったことがないのか?」
「残念ながら。でも絵葉書で見たことがあります。とても綺麗ですよ」

ミアは地図をクラウと覗き込みながら名所を教えていた。留学中にいろんなところを見て回りたいから、教えてほしいとクラウから申し出てきたのだ。
お互いに地図を覗き込むので自然と距離が近くなる。今、クラウは肩が触れるほどの距離にいた。ドキドキとうるさい胸の音が聞こえないよう、ミアは普段通りに振舞って見せた。

「クラウ様はいつまでご留学中なのですか?」
「あとひと月だ。もとから短期という約束で来させてもらっているからな」
「あと、ひと月……?」

ミアは一瞬、言葉を失った。

(意外と短いのね……。てっきり、半年後の卒業までいるのかと思っていたわ……)

クラウが国に戻るまで、あと何回こうして会えるのだろう。会えなくなることが残念に思ったが、顔には出さないように努めた。

「そうですか。では、その間にいろんなところへ行けると良いですね」
「あぁ。本当は卒業まで居たかったんだけど、そうはいかなくてな。最後までいられないのは残念だ。ミアは卒業したらどうするんだ?」

不意にそう聞かれて、少し言葉に詰まった。卒業したらどうするのかなんて、ミア自身が一番聞きたいことだった。

「……この国の女性は、卒業後は大体どこかへ嫁ぐんです。仕事を見つける人もいますが、爵位ある家に生まれた女性で働きに出る人はほぼいないですね。……私も、父に今度の社交界でどなたかに見初められてくるよう言われました」

なんてことはない風に苦笑してみせると、クラウは眉を顰めた。

「誰かに恋をして結婚することは出来ないのか?」
「そんな人は少ないです」

目を丸くして手を横に振った。

(誰かに恋をするなんて……)

ミアは誰かに恋などしたことがない。結婚した相手の良い所を探し、その人を好きになるのだろうと漠然と思っていた。
クラウの国は恋愛結婚が普通なのだろうか。想像できないけど、好きだった人と結婚できるのは幸せなことなのだろうな……。

そこでミアはハッとした。
そうか、自分は誰かに恋をすることもないまま嫁ぐことになるのかもしれない。恋とはなにか、知らないまま……。
いや、知ったとしてもそれは自分にはどうしようもないことなのではないだろうか。愛人の娘である自分など誰が好きになってくれるものか。平民ならともかく、父が望むような爵位ある家柄の人はミアの出自を知れば寄り付かないだろう。
きっと今度の社交界も期待はできない。

なんだか切なくなり、胸がぎゅっと締め付けられるような苦しさを覚えた。

「ミア……?」

クラウの気遣うような声に、パッと顔を上げる。心配そうな顔のクラウがこちらを覗き込んでいた。

「あっ、もうこんな時間だわ! そろそろ戻らないと、授業に遅れてしまいます」

ミアは話題を変えるために明るい声を出した。あまりこの話題に突っ込まれたくはない。
時計を見ると実際、昼休みの終わりが近づいている。時間を忘れていたが、そろそろ戻らないと本当に午後の授業に遅れてしまう。

「あぁ……」
「クラウ様、ごきげんよう」
「またな、ミア」

お辞儀をして急いで校舎へと向かった。きっと不自然だったろう。それに敏いクラウはミアの胸の痛みに気が付いただろう。でも、ミア自身はそれに見て見ぬふりをした。

クラウと話していると楽しくてあっという間だ。自分の国のおすすめを話すのも、カラスタンド王国の話を聞くのも面白かった。自分の世界が広がる感じがしたのだ。
もっと話していたかった。昼休みの一時間はミアにとってはとても短すぎるのだ。

急いで戻ったので、授業にはぎりぎり間に合った。
クラウ様は間に合ったのかしら、と窓の外を覗くが湖は見えないのでわからなかった。


――――


「ミアお嬢様、社交界用のドレスが届きました」

屋敷に帰ると使用人にそう声をかけられた。部屋に戻ると、クローゼットに淡いクリーム色の刺繍が凝ったドレスが置かれている。形も流行りを取り入れており、裾にかけて色が濃くなっておりグラデ―ジョンがとても綺麗だ。

「……気合が入っているわね」

思わず言葉が口に出る。
たくさん装飾も施され、前回の社交界用ドレスとは段違いだ。父親が気合を入れて注文したことがよくわかる。ただそこに、ミアの希望は一切取り入れられてはいない。

すると、廊下から「あら~」とバカにしたような笑い声が聞こえた。振り返ると、開け放ったままだった扉の外からサラサが可笑しそうに笑っている。

「なんて素敵なドレスかしら。あなたにはもったいないわね……。それに、あなたのその赤い髪には……、どうかしら。髪の色が浮くのではなくて?」

ドレスとミアを見比べて鼻で笑った。

「私のような金の髪なら何でも似合うけど、ミアのように下品な赤髪はドレスの色を選ぶわね。といっても、そんな赤に合う色なんてそうないけれど。あぁ、だから無難に地味なクリーム色なのね」
「お姉様……」

サラサはいつもミアの赤い髪を下品だと言っていた。
赤い髪は南部地方出身者に多い。ミアの母親は南部の出で、赤い髪をしていた。ミア自身はこの髪色をとても気に入っていたのだけれど、反論すると怒られるので黙っていた。

「仕立てはまぁまぁね。色が冴えないのが残念ね。これじゃぁ男性たちの目に留まらないけど……、愛人の子には仕方ないわね。そもそも声をかけられるかすらわからないんだから」

サラサはバカにしたように鼻で笑うと、満足したように自分の部屋へ行ってしまった。ミアは仕立てられたドレスを見つめる。

「そんなに言うほど悪くないわ。あなた、とても素敵よ」

まるでドレスを褒めて慰める様に裾を撫でながら呟いた。ドレスに罪はない。ミアは素敵だと思った。

(社交界にクラウ様はいらっしゃるのかしら……)

ふと、そんなことを思った。ザーランド学院に通う生徒なら、カラスタンド王国でもそれなりの家柄だろうから社交界には出そうなものだが……。

(でも、ただの定期社交界にわざわざ留学生は呼ばないわよね……)

そう思いなおして、ミアは残念に思った。あの湖の湖畔以外でクラウに会いたいと思ったのだ。そして綺麗にドレスアップした自分を見てほしい。
クラウなら何というだろうか。褒めてくれるだろうか。サラサのように地味だと思うだろうか。できたら、少しでも可愛いと思ってほしい。

「私ったら何をバカなことを……」

自分の思考に苦笑する。クラウは一月後にはカラスタンド王国に戻ってしまうというのに、何を望むというのだろう。
ミアはため息をついた。