ミアはその日一日、クラウのことが頭から離れなかった。今までと会った人とはまるで雰囲気が違う不思議な男性。どこが、といわれると言葉に出来ないが、彼はミアの頭に焼き付いて離れなかった。

「格好良かったわ……」

見惚れてしまうほどのルックス。あれほど素敵な外見の人は見たことがなかった。
でも、なにより――。
ここは貴族の学校だ。まずはみんな身分を気にする。しかし、彼は留学生だからなのか、ミアの身分や家柄を気にせずに気軽に話しかけてきた。それに、身に着けていた高級そうなシャツやズボンなど、服が汚れていても一切気にしていなかった。

まるで、そんなものはどうでもいいという風に。

ミアの身分ではなく、ミア自身を気にかけた。
そんな人は今までに見たことがない……。彼の外見と中身のギャップがミアを強く惹きつけていた。どうしてか気になって仕方なかったのだ。

「ミア、聞いているのか?」

そう父に声をかけられて、ハッとした。
学校でも、家に帰ってからも上の空のミアを食事の席で父がじっと見ている。きっと珍しく何か話しかけられたのだろう。それに返事が遅れてしまったようだ。
しまったと思ったが遅かった。同席していたサラサがミアをキッと睨んで強い口調で叱責した。

「ミア! せっかくお父様が話しかけて下さったのだからちゃんと答えなさい! 失礼でしょう! 全く、あなたは本当に愚図ね!」
「も、申し訳ありません」

慌てて頭を下げると、父は呆れたようにため息をついた。それに小さく胸がズキッと痛む。今さら父に期待はしていない。でも、露骨にされるとさすがに傷つく。

「ミア、今度の社交界はサラサではなくお前が行きなさい」
「えっ、私ですか?」

ミアは驚いた。
王宮主催の社交界は年に数回開催される。
社交界といっても、若い男女が集まるのが習慣で、交流を深め将来の繋がりを持ったり未来の結婚相手を見つける場でもあった。
引き取られてから、一度だけ社交界に出たことはあるがそれきりで、基本はサラサが出席していた。ミアは愛人の娘だし、恥ずかしくて出したくないのだろう。

するとサラサは大げさに肩を落とした。

「本当は私が行く予定だったのよ。でも婚約中だし、その日はカズバン様と食事をする予定なの。今や出会いの場となっている社交界に、王族に嫁ぐ私が行けるわけがないでしょう? あなただと役不足で心配だけど、まぁ、せいぜい恥をかかないようにやりなさいよ」

サラサは不満そうな顔をしながらそう言った。社交界に行きたかったというよりは、自分の代わりにミアが行くことが不満で仕方がないという顔だ。

「お前も、社交界で顔を売って見初められて来い。そうすれば将来は安泰だ」
「やぁだ、お父様。この子がそう簡単にいくわけがないでしょう? せいぜい、社会勉強くらいにしかならないわ」
「しかし、卒業まで半年を切った。そろそろ嫁ぎ先を決めねばならない。この社交界で良き相手が見つかるのが一番だ」
「それはどうかしらね」

クスクス笑うサラサはミアに「ねぇ、せめて我が家の恥にならないように頑張るのよ?」と言い放った。

「承知しました」

ミアは小さな声で呟く。
サラサの言い方は悔しいが、正直、社交界などの場は苦手だった。初めて行ったときは、サラサにくっついて回るだけでほとんど会話なんてできていない。もちろん、そんなだから知り合いの一人もできなかった。

サラサは派手なことが好きで、ああいう場では積極的だ。しかし、ミアは読書をしたり景色を眺めたりという静かなことの方が好きだった。だからあの華やかな場所はどうにも慣れないと感じていたのだ。

しかし、父の命令となっては行かないといけない。
渋々頷くしかなかった。行きたくないと思っても、それは叶わない。断る選択肢はないのだ。

(逆らえるわけないわ。この家に置いてもらえるだけでもありがたいのだから、少しは役に立たないと……。それにお父様が言うように、将来の相手も見つけてこないといけないし……)

自分にそう言い聞かせるが気分は晴れなかった。ただでさえ、将来なんて何も見えないのに、結婚相手なんて見つけられるはずがない。
憂鬱だ。そう思いながら、ため息を飲み込んだ。


社交界の話をされてから、ミアの心は沈んでいた。
そんな時は、お昼はいつもの湖で過ごして心を癒すことに専念した。自然な空気を胸いっぱいに吸い込めば、社交界への不安も軽減される。
この日も午前の授業が終わると、早々に昼食をもって湖までやってきた。

「んー、気持ちいい」

両手を上にあげて、大きく息を吸って深呼吸をする。新鮮な空気を吸うと、胸のモヤモヤがスッキリしていくようだ。

「あら、久しぶりね」

ミアは足元にやってきたうさぎに声をかけた。ウサギは甘える様にスンスンと足元に鼻先をつけてくる。

「お腹空いたの? 待っていて。サラダのニンジンをあげるわ」

持ってきたバスケットから、サラダに入っているニンジンを取って渡す。うさぎはそれを咥えると満足そうに走り去っていった。
その後ろ姿を微笑みながら見送る。
すると……。

「かわいいな」

急に後ろから声をかけられて、ミアは小さな悲鳴と共にバッと振り返った。いつの間にか、そこにはクラウの姿があった。

「お、驚かさないで……。またあなたですか……。あの、ここはマリージュ学院の敷地なんですよ? もし男子生徒がいるなんて知られたら……」
「大丈夫。ここは滅多に人は来ないだろう? 誰かの気配がしたらすぐに隠れるし心配ない」

クラウはそう話しながら躊躇なくミアの隣に座った。それに少しドキッとする。二人の間はこぶし一つ分程度しかない。
こんな近さで男性と座ったことなどなかった。距離をとろうという思いと、あからさまなのは失礼かしらという思いが交差する。
ミアの迷いに、クラウは頬杖を突きながら可笑しそうに口角を上げた。

「そんな警戒するな。取って食ったりはしないから安心しろ」
「べ、別に警戒なんて……」

考えが見透かされたようで、赤くなって顔をそむけた。男性と二人になるなんて今までになかったからどうしていいのかわからない。
妙に胸がドキドキして苦しい。ソワソワしているミアに反して、クラウはリラックスしたように足を崩している。空を見上げる顎から首のラインが男らしく綺麗で目を奪われる。思わず、つばを飲み込んだ。

「ここは一番美しい景色だよな。ザーランド学院からもこの湖は見えるが、距離があるしここまで綺麗には見えない。この湖は敷地外だから側まで来れないし……。本当にこの国は自然の景色が綺麗だ」
「……カラスタンド王国も発展していて素晴らしい国ですわ。それに比べたらこの国など田舎臭いでしょう?」

自嘲気味に笑うと、クラウは首を振った。

「田舎臭い? どこがだ。自然と文明がちょうどよく混ざっている。我が国は文明ばかりが進んでいて自然が足りない。バランスがうまく保たれていないのだろうな。大国だと言われても、俺はこの国の方が素晴らしいと思うよ。学ぶことが多い」

言葉を選ぶわけでもない、ストレートな言い方にミアは心が温かくなった。自分の国を褒められるのは悪い気がしない。

「……ありがとうございます。私もこの景色がお気に入りなんです。他国の方に気に入ってもらえて嬉しいです」

ニッコリ笑うと、クラウも微笑んだ。

「ミアの赤毛に緑色の瞳が、自然の景色に同化してさらに美しい」
「え……」

クラウに美しいと言われ、カァァと顔が熱くなった。そんなこと今まで言われたことがない。どう反応していいかわからなかった。

「ク、クラウ様はお世辞がお上手ですね」
「お世辞ではないけどな。そういえば、この国の人はいろんな髪色が多いよな?」
「えぇ。基本的に金、赤、ブラウン、黒が多いですね。東西南北で色合いの割合が変わるんです。私は母が南の方の人なんで、その血を引いて赤毛なんですよ。カラスタンド王国は、クラウ様のようにブラウン系が多いんですか?」
「うちの国はブラウン、黒、アッシュ系など暗めの色が多いな。もちろん金や赤もいるが割合的には少ない。ミアのように美しい赤も少ないな」

クラウはミアの髪をサラッと撫でた。その自然なしぐさにミアはドキドキしてしまう。

「あぁ、もう行かなくては。ミア、明日の昼もここに来るか?」
「はい、そのつもりです」
「ではまた明日、この国のいろんなことを教えてほしい」
「私で良ければいいですよ」

ミアはすっかり警戒心が解けていた。むしろ、クラウは話しやすい。自国を知りたいと言ってもらえたことが嬉しくて、二つ返事でそう答えると、クラウは笑って茂みの中へと消えて行った。

その姿を見送りながら、ミアは自分の胸をそっと抑える。

「クラウ様は本当に不思議な方だわ……」

まだドキドキと鳴っている。ミアはクラウともっと話がしたいと思った。