クラウが部屋に来た時、ミアは風呂上りだった。すでに人払いを済ませて、部屋には侍女もハザンも誰もいない。つまり二人きりということだ。
ミアは気まずく思いながらも、笑みを作ってクラウに聞いた。

「クラウ様……。どうされたんですか? こんな時間に」
「あぁ、少し話せないかと思って」
「話……ですか」

改まった雰囲気のクラウにミアの顔が暗くなる。何を言われるのだろうか。そんな不安が胸を支配する。
そんなミアの表情に、クラウはハザンの予想が間違いではなかったと知る。やはり早いうちに誤解を解いておかないといけないとクラウは少しばかり焦った。

「どうぞ……」
「あぁ……」

二人の間に気まずい雰囲気が漂う。クラウがミアの表情を伺いながら口を開いた。

「ミア……、あのさ……」
「あ、お茶でも入れましょうか……」

ミアが話を遮るようにポットの方へ向かおうとするとクラウがその腕を取った。
見下ろしてくるクラウの目は真剣そのものだ。

「話を聞いてくれないか」
「話ですか……?」
「あぁ、お前が俺を避ける理由が分かった。カルノに変なことを吹き込まれたそうだな」

カルノの名前を出すとミアは悲しそうに顔をゆがませた。クラウはすでに昼間のうちに、カルノが何を言ったのか調べていた。そして今のミアの表情で、それが正解だと知る。

「カルノが俺の部屋へきて、一晩過ごしたと……」
「……はい。お二人は関係を持ったのも、正当なこの国の血統が必要なためだと言われました」
「血統……?」

ミアの言葉にクラウは考えるような表情をする。

「あの……、私覚悟は出来ましたので。クラウ様がカルノ様と関係を持っていたとしても、それは仕方がないことだと理解していますから……」

涙声でそう言われても説得力はない。クラウは小さく息を吐くと、ミアの肩を優しく掴んだ。

「まずは、カルノのことだけど。カルノが一晩、俺と過ごしたって話は嘘だ」
「嘘?」
「確かに、あの日カルノは俺の部屋に来た。俺に抱いてほしいと泣きながらな。……でも無理だった」

例の事件で待機を言い渡された時、カルノがクラウの部屋を訪ねてきた。なりふり構わず迫ってきたカルノを、クラウはにべもなく突き放していたのだ。
クラウはそっとミアの手を取る。

「俺はミア以外の女に触れたくない。ミア以外欲しいと思わない」
「クラウ様……」
「カルノはすぐに追い出した。指一本触れなかったのが気に入らなったんだろう。だから、ミアに嘘をついたんだ」

本当なのだろうか。ミアはクラウの心を探るような目でじっと見返す。

「信じてほしい。俺はカルノとは何の関係も持っていない」
「本当ですね? 私に嘘はついていませんか?」
「本当だ。誓って言えるよ。なんなら調べてもらっても構わない」

真剣なまなざしにミアは頷く。クラウの言うことは本当なのだろうか。疑えばきりがない。だが、クラウ自身、不誠実な人には見えなかった。なにより、クラウがそう言うなら信じるしかない。

いや、何よりミア自身がクラウを信じていたかった。

(私はカルノ様に嘘をつかれただけ。本当は何もなかった。それが真実……)

胸の内で言葉を反芻する。
すると、次第に胸につっかえていた不安が解けていくように感じた。大丈夫。クラウを信じる。信じられる。

そう納得すると、気がかりが一つ減り、ホッとして心の荷が下りたのが分かった。

「良かった……。良かったです」

心からの声が漏れた。
ずっと怖かった。クラウにカルノとのことを謝られたらどうしよう、このくらい許せと言われたらどうしよう、そればかりを考えていた。
もしかしたら、嫌われたのかもとすら思っていたくらいだ。ありえない、マイナスなことばかりが頭を支配していた。

すると、クラウが見上げたミアの目を覗き込んでくる。

「それと、血統の話だけど……」

その言葉にミアは頷いた。

「それについては覚悟が出来ました。私は隣国の女で、もし子供を産んでも正式な血統の子供は産めません……。側室が必要なのもよくわかっています。いえ、私が側室になる可能性も」

自分でも矛盾していると思う。
カルノと関係を持つのは嫌で、でも側室を持つことに関しては覚悟をしている。おかしな話だが、カルノの事とは別だと考えることで理解しようとしていた。カルノだから嫌だったのだと。

本当はカルノ以外の女性でも嫌でたまらない。でも、その覚悟を持たないとクラウの側にはいられないということはよくわかっていた。だから何度も自分に言い聞かせた言葉だ。
すると、クラウは不快そうに眉を顰めた。

「はぁ、ミア。わかっていないな」

ばっさり切り捨てるような言い方に目を丸くする。何が分かっていないというのだろうか。

「側室? 誰が側室をもらうといった?」
「え? しかし、この国の王室は側室をもらうのを禁止していないと聞きました。だから、クラウ様ももちろん……」

声がどんどんと小さくなる。涙が溢れそうなのをぐっとこらえる。
しかし、頭上からクラウ様の大きな手が頭の上に乗ると、その手が優しく頭を撫でてくれた。

「もらうこともできる、という話だ。父も祖父も側室はもらっていないし、俺もそのつもりだが?」
「え……? でもそしたら正式な血統は……」
「その正式な血統ってやつだけど」

クラウは苦笑した。

「ミアは母親の血筋をどこまで知っている?」
「え? お母さん?」

急に話が変わって戸惑う。母の血筋とはどういうことだろう。ミアは問われて記憶を辿った。

「母は南部の田舎で踊り子をしていました。そこで父に見初められ、愛人になったんです」
「お祖母さんのことは?」
「祖母ですか? いいえ、私が産まれた時には母方の祖父母はもう亡くなっていなかったので……」

そう答えると、クラウは「そうか」と頷いた。

「俺の調べによると、君の祖母も同じく南部の踊り子をしていた。人気があったらしいぞ。しかし、その生まれは実はカラスタンド王国だ」
「え……」

祖母がカラスタンド王国生まれとはどういうことか。初めて聞いた話に目を丸くする。

「カラスタンドで生まれた君のお祖母さんは、両親が旅芸座をしていたことで若い頃に君の母国へと渡った。そこの南部で生活し、出会った君のお祖父さんと結婚したんだ。そしてそこで生活をし、君のお母さんが生まれた」
「それは、本当の話ですか……?」

安心させるために言っているだけでは? と疑いたくなってしまう。
すると、クラウはミアの考えを見透かしたように軽く笑った。

「あぁ、もちろん。王宮の調査はどこよりも正確だよ。君のことを調べた時、王宮の調査部隊がより深く徹底的に調べたようだ。そうしたら、君がカラスタンドの血を引いていることが分かった」

ふと、夢で母が出てきたことを思い出した。そう言えばあの時……。母に自分のルーツをわかっているのかと聞かれたのだ。

(あれはつまり、私がカラスタンド王国の血を引いていることを言いたかったの?)

あの時、母はずっと優しい笑みを浮かべていた。安心しなさいと言うように。

「だから、正式な血統とかそんなものは気にしなくていい」
「っ……、本当に……?」
「あぁ。何も気にせず嫁いで来い」

クラウの一言にハァァっと安堵で息を吐くと、一気にポロポロと流れてくる涙は止められなかった。胸につかえていたものが落ちた気がした。
「正式な血統」この言葉がミアに大きくのしかかっていたのだ。押しつぶされそうなっていた。自分なんかが王室に嫁いではいけないとすら思っていた。王室の血を途絶えさせてしまうのではないか。その責任が重く辛かった。

「不安にさせて悪かった。俺がちゃんと話をしなかったからだな」
「いいえ……、私、怖かったんです。クラウ様のことがどんなに好きでも、抗えないものがある。その時、どうしたらいいのかわからなくて……。好きだけではどうにもならない事があるのはわかっていましたから……」
「不安がないように迎えたつもりだったんだけど、俺がミアを迎えられたことで浮かれていて、君の不安や怖さや疑問点や多くのことを話ができていなかったんだ。本当にすまなかった」

謝りながら、クラウがそっとミアを抱きしめる。温もりが心をとかしていく。
あぁ、この腕に素直に寄りかかっていいんだ。何も、心配することはないんだ。全ての不安から解放された気がした。

「もう不安になるようなことはないと思うんだけど……。こんな俺と結婚してくれるか?」
「はい……! 私はクラウ様だから側に居たいんです」

ミアはクラウの背中に腕を回す。もう何にも遠慮せず、この腕の中に居ていい。それはとても幸せなことだった。
小さな体がすがるようにきゅっと抱き着いてきて、クラウはたまらない気持ちになった。愛おしさが溢れて苦しかった。愛しているからずっと触れていたい。

「結婚式まで待つなんて……、もう無理だ」

色気のある低い声がミアの耳をくすぐった。