事が動いたのは翌日だった。
今回の主要人物たちを呼び出したのは、国王陛下ではなくその妻、王妃であった。

「王妃がなぜ……」
「わかりません」

ハザンにそっと聞くが首を横に振られる。クラウもフェルズも怪訝な顔をしていた。王妃がこうして人を集める等、あまりないことだ。
ミアは近くに控えるクラウをチラッと横目で見る。昨日のカルノの言葉が頭から離れず、一睡もできなかった。どんな顔をしたらよいかわからず俯くばかりだ。

(カルノ様の話は信じたくないけれど……、もし本当ならと考えると、怖くてクラウ様が見れない……)

顔色が悪いミアに、隣にいたハザンが背中をそっとさすってくれた。事件のことで呼び出され、ついに判断が下されるのだろうという恐怖から動揺しているのだと思ったのだろう。
もちろんそれもある。
きっと婚約は解消だし、犯罪者に仕立て上げられてしまう。どのみちもうクラウの側にはいられない。その恐怖は大きい。

そしてそれ以外にも、昨日のカルノの話が頭から離れないでいたのだ。
二つの辛さを抱え、ミアはもうこの場から逃げ出したい気分だった。

ふと見ると国王陛下の側には、ジルズとカルノが得意げな表情で控えていた。カルノはミアと目が合うと口角を上げ、ニヤッと勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。
俯いてその視線から逃れようとしたときだった。

「今回のことで王妃から話があるそうだ」

国王がそう声を上げた。その顔は相変わらず心ここにあらずといった感じだ。
国王の隣にいた王妃は盛大にため息をついた。

「私が体調を崩している間、なんだか揉め事が起きていたようね?」

ミアは王妃の口調に少し驚いた。
初めて会った時、王妃はフワッとした物腰柔らかく優しい雰囲気を醸し出していた。しかし今の王妃は背筋を伸ばし、凛としている。声も張りがありよく通る。威厳を携えたその姿は、あの時と同じ人物とは思えなかった。

「クラウ様……」
「あぁ、母上が出てきてしまった……」

クラウとフェルズが頬を引きつらせる。

(どういうこと? 王妃が出てきてしまったって……)

ミアが首を傾げた瞬間だった。

パァァン!!
室内に響き渡るほどの大きな乾いた音が響く。警備をしていた衛兵も目を丸くしていた。
それもそのはず。
王妃が隣にいた国王の頬を思いっきり引っ叩いたのだ。衝撃で国王は白目をむいて倒れた。

「ふぅ……。衛兵! 国王を医務室へ連れて行きなさい。これで少しは正気に戻るでしょう。ちゃんと、医師に解毒してもらうことね。それと、国王の執務室は現在洗浄中だから今日一日誰も入れないように!」

はっきりした指示に、戸惑っていた衛兵も慌てて動き出す。

「さて、これで陛下が異国の香りの毒に惑わされることはなくなったわ。ジルズ」

急に名前を呼ばれ、ジルズはハッとしたように顔を上げた。

「陛下に素敵な贈り物をありがとう。あの香料は遠い東の国の物ね。取り寄せるのに苦労したでしょう?」

一転、穏やかな余裕のある口調は逆に怖いものを感じる。目っ直ぐ向けられた射貫くような目に、さすがのジルズも冷や汗をかいていた。

「な、なんのことかさっぱり……」
「誤魔化さなくていいのよ。全て調べはついているのだから」
「っ……」

ジルズは目をきょろきょろとさせて落ち着きがない。しかし、王妃の目がジルズをとらえて離さなかった。

「最近疲れていると話していた陛下に、自分が使っている香料だと言って渡したそうね? いくら家臣でも王族に何か渡すときは調べが必要よ。でも、あなたは希少なものだと言って陛下に直接渡した。執務室で香料を焚けば仕事がはかどるとでも言ったのかしら? すぐに使えと?」

微笑みながら話す王妃の目は笑っていない。王妃の怒りを感じてジルズは言葉を失っていた。
ミアはただ唖然と眺めるだけだ。まさかそんなことになっていたなんて考えもしなかった。

「クラウ、あなたもこのことについては調べていたのでしょう?」
「はい。母上の仰るとおり、ジルズ大臣が父上に香料を渡していたことまでは突き止めています」

そう言うと王妃は深く頷いた。どうやら王妃とクラウ、それぞれおかしいと感じて調べを進めていたようだ。

「香料の成分を調べさせたわ。幻惑の成分となる実がすりつぶされて入っていた。それが陛下の思考を停止させていたのでしょう。そして、あなたはその状態の陛下をうまく操った。自分に有利に物事が運ぶようにね」
「お、お待ちください……。何かの間違いです。私は何もしておりません」
「だから! 誤魔化さなくていいのよ。全て調べはついているといったでしょう? あなたが陛下に香料を渡しているところも、輸入して商人からこっそり受け取ったことも調べ済みなのよ」

ここまで言われるとジルズはもう何も言えなかった。反論できないことがこの話を事実だと裏付けてしまっている。ジルズは不利なこの状況を理解し、ただ青い顔をして小さく震えているだけだった。

「国王陛下に幻惑の香料を渡して言いなりにさせた。これだけでも十分犯罪よね。だけどまぁ……、疑いもせずに受け取った陛下も陛下ね。彼にも落ち度はあった」
「そ、それなら……」
「でもねぇ、次にあなたがやったことは見逃せないわね」

王妃は手を横に出すと、控えていた侍従がその手に一枚の紙を乗せた。

「ジルズ。あなた、クラウが公務で郊外へ出ている時にミアさんを排除しようと企んだわね。ここにすべて書いてあるわ」
「そんなことはありません! あれはミア様が毒を仕込んで……! 私はなにも……!」
「しらばくれるな!」

大声を出してジルズの言葉を遮ったのはクラウだった。クラウは険しい顔でジルズを睨んだ。

「お前はミアに隣国の話を識者にしてほしいのだと陛下の許可を取っていた。もうこの時には、陛下は香料が効き始めていたのだろう。二つ返事で了承したらしいな。そしてサマルに隣国のお菓子の話題を出させ、ミアにそれを作るよう仕向けた」
「あら、クラウもちゃんと調べていたのね」

王妃はクスッと微笑む。

「厨房の料理人を買収して、ミアさんの料理に毒をこっそり入れさせたわね。料理人は多額の報酬を得てすぐさま故郷に帰った。でも、私の部下がその故郷まで行ったわ。料理人は自分がやったとあっさり白状したわよ。ジルズ、あなたの命を受けてやったと証言付きでね」
「くっ……!」

王妃は膝をついて崩れ落ちたジルズの前へ行き、正面から見下ろした。裁判を下す、美しい絵画のようにも見えたその場面に、なぜかミアは背筋が冷たくなるものを感じる。
大きな胸騒ぎ。頭の中で、これは良くないと警報が鳴り響く。
気が付けば足が一歩一歩、王妃とジルズに向けて進んでいた。

「ジルズ、あなたはミアさんとクラウの結婚を阻止し、自分の娘と結婚させようと企んでいた。でもこれはやりすぎよ。ここにミアさんの身の潔白を証明し、ジルズ大臣を取り押さえ処罰いたします!」

王妃が高らかと宣言した時だった。
ミアが走り出したのとジルズが動くのはほぼ同時だった。

「ミア!!」

クラウの叫び声が聞こえた時には、もうすでにミアは王妃に覆いかぶさって倒れていた。
ミアの小柄な背中からは血が流れ出ている。ジルズは血走った眼で、血の付いたナイフを握りしめていた。

「ジルズを取り押さえろ!」

フェルズの声にいち早く反応したのはハザンだ。一瞬で駆け寄り、ジルズの手にある小型ナイフを蹴り飛ばして床に叩きつけ制圧する。女とはいえ、訓練された王宮警備隊だ。訓練もされていないジルズがかなうはずがない。

「くそっ!! 俺はこの国の未来を思ってやったことだ! 悪いことはしていない!」

もがき叫ぶジルズは大勢の衛兵に捕らえられ連れていかれた。側で青い顔をして震えていたカルノも、話を聞かせてほしいと衛兵たちに連れられて行った。

「ミアさん! 誰か医者を! 早く!」
「ミア、どうしてこんな……」

倒れたミアの体を起こし抱きしめるクラウは今にも泣きそうだ。

膝をついて崩れ落ちていたジルズにミアは不穏なものを感じ取っていた。それは本能に近かったのかもしれない。気が付けばミアはとっさに王妃を庇っていたのだ。
そして小型ナイフを持っていたジルズに背中を切られた。
ゆっくり顔を上げたミアは血の気をなくして真っ青だ。しかし、庇われた王妃の無事を確認するとミアは安堵のため息を漏らした。

「王妃様……、ご無事でよかった。クラウ様……、私は大丈夫です。それより褒めて……? ハザンさんよりも衛兵よりも誰よりも先に王妃様を庇うことができました……。これ、凄いでしょう?」

クラウの腕の中で荒い呼吸の中、ミアは満足そうに得意げに微笑んだ。
王宮警備のハザンよりも先に動けたことが誇らしげだ。

「バカ! 自慢するところじゃないだろう!」
「ミアさん、ごめんなさい。私を庇ってこんな……」

王妃はさっきまでの威勢のよさが消え、涙ぐんでうろたえている。

「王妃様にお怪我がなくて何よりです……」
「ミア、もう話すな。出血が多い」

ミアを抱えるクラウが辛そうに呟く。床には血だまりが出来ていた。ミアの血を止めようとするクラウの手も血だらけだ。
そんなクラウを見上げてミアは謝った。

「クラウ様……、私のせいでこんなことになってしまって、ごめんなさい……。私がこの国の人間だったらこんなことにはならなかった……。やっぱり、クラウ様の結婚相手は……、この国の血を引く者の方が良いのかもしれません……」
「何を言って……。おい、ミア! しっかりしろ!」
「今までありがとう……。愛していました……」
「ミア!!」

ミアはそう呟くとそっと目を閉じた。