翌日。
朝から侍女たちが部屋へやってきて、ミアを風呂に入れ、髪を整えて化粧を施すと最後に上質なドレスを着させた。今までに着たことがない手触りのドレスに思わず感嘆の声が漏れる。

侍女たちが言うにはこれから国王と王妃へ謁見するのだという。昨日、クラウから言われてはいたが実際にその時が近づいてくるとさらに緊張が走る。

(どうしよう……。心臓が口から出そうだわ。粗相がないようにちゃんとしないと!)

そうして案内されたのは謁見の間。
見上げるほど大きな扉の前で、ミアは緊張で倒れそうな気分だったが、しっかりしなければと自分を奮い立たせた。

「ミア・カルスト様がお入りです」

その声とともに、扉が開かれる。
広い謁見の間の、通路の奥の上段には国王と王妃が玉座に座り控えていた。通路の左右には王族や大臣、議員が座って一斉にこちらを振り返ってくる。

大勢の人たちの注目を浴びて、ミアは一瞬頭が真っ白になった。体の動かし方が分からなくなるほどにガチガチになる。

(ど、どうしよう……。どうやって歩くんだっけ……)

軽いパニックになる。
すると……。

「ミア」

柔らかくて温かい声が聞こえた。
その声に惹きつけられるようにそちらを見ると、クラウが玉座の横の席からミアを優しく見つめていた。

微笑みながら小さく頷かれ、ミアは一気に安堵してホッと息を吐く。
不思議と、今までの緊張が説かれ自然と足が前に進んでいた。

そしてゆっくりと玉座の前まで進んだ。膝をついて礼を取ると、玉座から「君がミア・カルストか」と声をかけられる。

「顔を上げなさい。話はクラウから聞いておるぞ」
「まぁ、噂通り赤い髪と緑の瞳がとても美しいわね。クラウが気に入るのもわかるわ」

国王と王妃は穏やかに話しかけてきた。クラウと同じ、優しい瞳がミアを見つめている。

「本日は謁見の機会をいただき誠にありがとうございます。ミア・カルストと申します」

ミアが挨拶をすると、クラウが上段から降りてきた。そしてミアの隣へ立つ。

「父上、母上、皆様におかれましても本日は私の婚約者、ミアに謁見の場を設けていただきありがとうございます。今後、ミアには婚約者として一旦、別館である迎賓の塔に住んでもらい、結婚後は改めて私とともに本城の塔の方へ居を構えたいと思っております」

凛としたクラウの声に一瞬聞きほれる。話した内容は事前に伝わっていたのだろう。異を唱える人はいなかった。クラウの宣言に拍手で迎えられる。

ミアは少し面食らった。
もう少し否定的な視線を浴びるかと思っていたのだ。
敵国だった、しかも一般人の娘が王族に嫁ぐなど図々しいと……。

しかし、そんな様子は全く見られず、むしろ友好的な雰囲気すら感じる。
こうなるまで、クラウはどれほど周囲を説得してくれたのだろうか。

ミアは自分ではそれ以上特に話すことはなく、ただ深々と礼を取って挨拶をした。

事前にクラウが周囲に承諾を得ていたおかげか、謁見はあっさりと好意的な反応で終わった。
部屋に戻ったミアは少しあっけにとられる。

(昨日は緊張してほとんど眠れなかったというのに、こんなにすぐに終わるなんて……)

でも無事に終わってよかったとほっと息をついた。体中が緊張でガチガチだったのでなんだか痛い。

(それにしても、ここは迎賓のための塔だったのね。通りで人がほとんどいないわけだわ)

塔の中は警備に当たる衛兵や侍女はいたが、比較的閑散とした雰囲気があった。ミアしかいないのなら納得だ。結婚まではここに住む。王子の婚約者であるミアがいることで、警備はより手厚くはなって行った。

――

「ミア、少しいいか?」
「はい、どうぞ」

部屋の扉が開いて、クラウがやってくる。思わず笑みがこぼれると、クラウの後ろにいる背の高い女性に気が付いた。
女性はドレス姿ではなく、簡易的な甲冑を胸につけて動きやすいズボン姿だ。腰には剣を差している。どうやら騎士のようだ。

「ミア、彼女はハザン。王族警備隊だ。今日から彼女が君の護衛に着くことになった。よろしくな」
「ハザンと申します。よろしくお願いいたします」

紹介されると、ハザンは背筋をピッと伸ばして敬礼した。ミアは慌ててお辞儀をする。

「ミアと申します。ハザンさん、よろしくお願いします」
「護衛兼侍女として身の周りのお世話もいたします。何なりとお申し付けください」

黒い短い髪に生真面目そうな顔で笑顔は少ない。でもクラウ直々に紹介してくれるのだからその信は厚いのだろうと予測できた。

「ハザンは優秀な護衛だ。安心してなんでも相談しろ」
「はい、ありがとうございます」

クラウはそう言うと、ミアを撫でてから忙しそうに出て行った。
少し寂しいけれど我儘は言えない。

残された部屋にはハザンとミアの二人きり。少し気まずい空気が流れる。何か話した方がいいだろうかと話題を見つけようとすると、先にハザンが声をかけた。

「ミア様、お茶などいかがですか?」
「あ、はい、お願いします」

ハザンが気を利かせてお茶を入れてくれる。フワッと紅茶のいい香りがしてきた。紅茶を出してくれると、ハザンは真面目な声で告げた。

「ミア様、今後のスケジュールですが、結婚式の予定日は半年後。それまでにこの国の歴史や文化、伝統などあらゆることを覚えていただきます。その間に、式のドレス選びと寸法、王族マナー全般も学んでいただきますので、かなりハードにはなると思いますが」
「わかりました」

ミアは神妙に頷く。
事前にクラウに話は聞いていたが、結婚式の日取りが意外と早かった。正直、ミアはもっとかかると思っていた。他国を招待するのにも相当なスケジュール調整も必要だろう。きっともっと前から予測して動いていたに違いない。

結婚式までの半年間、覚えることが山積みで少し不安になる。

(半年でそんなに覚えることがあるなんて。私にできるかしら……。そうは言っても、やらないわけにはいかないわ。クラウ様と結婚するなら、この国のことを学ぶのは当然のこと。それに、せっかく国王様たちを説得してくれたのに、がっかりされるような真似はしたくない)

なにより、庶民の娘だからできない、やはり釣り合わないのだと思われたくなかった。
身分が釣り合わないのなら、他でカバーするしかない。出来る限りの努力をするしかないのだ。

ミアの心に灯がともった。クラウが恥ずかしい思いをしないで済むような、立派な妃にならなければと気合を入れる。

「わかりました! 頑張ります」

こうしてミアの勉強の日々が始まった。

ただミア一人でできることにも限界はある。
ミアの勉強には家庭教師が付くことになった。初老のおじいさんだが権威あるお方らしい。
国の歴史から地理、食べ物や気候、その他多くをわかりやすく教えてくれる。もともと勉強が得意だったミアは、知らないことを学ぶのがとても楽しかった。

「いやはや、ミア様は呑み込みが早いですな。わしも教えがいがあります」
「ありがとうございます!」

先生に褒められると、一気にやる気もアップする。

「しかし、少々根詰めすぎではないですか? 休まれることも大切です」
「いえ、まだまだ足りないくらいです。もっと努力しなければ、クラウ様に釣り合いません。それにこの国のことを学ぶのが楽しくて仕方がないんです」

ミアのやる気に、先生は少しばかり困った顔をする。

「わかりました。でも無理は禁物です。いいですね」
「はい」

先生に釘を刺されたところで、ハザンから声がかかった。

「そろそろお茶などいかがですか?」

ハザンはいつもタイミングよくお茶を出してくれる。勉強中も扉の外で邪魔にならないよう警護をし、ミアが疲れた頃にお茶を入れて来てくれる。
最近は初めの頃の気まずさがなくなり、ミアはハザンの気を許し始めていた。

「ハザンさんも一緒に飲みましょうよ」
「いえ、私は」
「せっかくですから。ね?」
「では、少しだけ」

ハザンもミアの誘いにこうして応じる様になっていた。ハザンは寡黙で取っ付きにくそうだなと思ったが、話してみると優しいし会話もちゃんと弾む。それなりに気が合うような気がしていた。

ミアはふぅとお茶を飲むと、すぐさま勉強に取り掛かった。
そんなミアを見て、先生はそっとハザンの声をかける。

「ミア様は頑張りすぎるところがおありのようだ。気を付けてあげてくださいね」
「はい。そのようですね。よく見ておきます」

ハザンはミアの背中を複雑そうに見つめた。


そんなある日。
クラウに「一緒に昼を食べよう」と誘われて、迎賓の館の庭園で昼食をとることになった。

小さな庭だが日当たりも良く、中央の噴水からは心地よい水が流れている。
穏やかな時間は、二人で過ごしたあの時を思い出させた。

「なんだか学校の湖で過ごした時を思い出しますね」
「ハハハ、湖に比べるとこの噴水は小さいけどな。でも、二人でこうして外で食事をすると、ミアにサンドイッチをもらった時のことを思い出すよ」
「フフ。クラウ様、お気に入りでしたよね」

懐かしい。あの頃はまだこの気持ちに言葉をつけられなくて、でもどこかわかっていた頃。もしかしたらクラウも同じ思いだったのかな、だったら嬉しいなとひっそりと感傷にひたる。

あの時はこんな未来が待っているなんて思いもしなかった。
それに、忙しいクラウがこうして隙間時間を見て、ミアと過ごしてくれることが嬉しい。大切にされていると感じる時でもあった。

「お待ちください!」

和やかに過ごしていると、突然、奥の方で護衛達が誰かと話をしている声が響いた。話すというよりは必死で誰かを止めているといった感じだ。

大きな声はどこか剣呑な雰囲気がある。周囲は騒然となり、ミアとクラウの周りは一瞬で守りが固められた。クラウもサッと表情を変えて険しくなる。

「なにかしら……」
「どうした? 何があった?」

クラウが声を張り上げて護衛らに聞くと、その先から人影が現れた。初老の恰幅のいい男性だ。

「ジルズ大臣……」

クラウにジルズ大臣と呼ばれた男性はハハと笑い声をあげた。

「いやいや、クラウ殿下。近くを通りかかったものですからご挨拶をと思いまして。お邪魔でしたかな?」

どこか白々しさを感じる話し方だ。クラウもどこかピリッとしたままである。

「それは、わざわざありがとうございます。ミア、彼はジルズ文化大臣だ」
「初めまして、ミア様」

ニヤッとした笑顔で挨拶をされる。
ミアは品定めをするかのような視線を感じながらも、表情には出さずに微笑みを浮かべてドレスの裾をつまみ挨拶を返した。

「ミアと申します。よろしくお願いいたします」
「おや、ちゃんと学ばれているようですなぁ!」

ミアの完璧な挨拶の仕方に、褒めているのか嫌味を言っているのかわからない笑顔でそう言った。
クラウは表情が硬いままだ。ミアはどう反応したらよいかわからず、曖昧に微笑むだけだ。

「いやぁ、クラウ様が他国に結婚したい娘がいると急に言った時には驚きましたがね。お美しいお嬢さんだ」
「ジルズ大臣。お話はあとで伺いますが……」

クラウがやんわりと制止をかけるが、ジルズは気が付かないそぶりで話を続ける。

「こんなにお美しいお嬢さんがお相手なら、うちの娘に勝ち目はございませんなぁ! 婚約破棄されて当然ですよ」
「え……?」

ミアは目を丸くする。

(今なんて言った? 婚約破棄って、どういうこと? クラウ様には婚約者がいたの?)

戸惑いながらミアがクラウを見上げると、クラウはジルズを厳しい目で見ていた。

「カルノ殿との婚約は、私が留学へ行く前にすでにお断りしていたはずです。それを認めず話を引き延ばしていたのは大臣の方ではありませんか。そんな話、ミアの前では止めていただきたい」
「そうでしたな。いやいや、カルノが王子の婚約を知って涙に暮れておりましてな。親としてもどうにか王子に考え直しをと思いましたが……。余計なことのようでした」

ジルズは好き勝手言うだけ言うと、「では、失礼」と一礼して来た道を戻って行った。

残されたミアとクラウには気まずい空気が流れる。
クラウはハァァとため息を漏らした。

「嫌な思いさせてごめん」
「いいえ……。あの、婚約者がいたというのは……?」

一国の王子だ。婚約者くらいいたって当然のことだろう。
カルノという女性と婚約破棄をしたようだが、ミアは不安な気持ちを隠せなかった。

「ジルズ大臣の一人娘、カルノが俺の婚約者だった。というか、年が近いからごり押しで選出されたに近いけど……」

クラウはため息をついた。

「俺は彼女と結婚する気はなかったから、留学前に婚約破棄を申し出たんだ。だが、カルノ側が認めなくて引き延ばされていた。そこに、俺がミアとの結婚話を持ち帰ったものだから気に食わなかったんだろう」
「だから、ああして嫌味を……?」
「……嫌味だけならまだいい。少なからず、他国の、しかも一般の娘との結婚を快く思っていない人もいるんだ。ジルズら反対派一派は……、ミアに危害を加えるかもしれない」

クラウの低い声は剣呑な響きをしている。
いつの間にか側に来ていたフェルズもハザンも硬い表情にままだが驚いた様子はない。

ということは、もしかしたら前からそういう動きや話があったのだろうか。いや、なくても容易に想定できることだ。

(危害……。だから、ハザンさんを私に側近としてつけたのね)

合点が行って、ハザンをチラッと見るとハザンは小さく頷いてミア達の話を静かに聞いていた。

「結婚を承認しても、思い直して反対派に回ることもある。いくら城内とはいえ、大臣、議員、使用人ら多くの人が出入りする。身元は十分に分かっているし、どこよりも安全な場所のはずなのだが、そうはいかなくなっている。十分に気を付けてほしい」

クラウの言葉に、その場にいた全員が硬い表情のまま深く頷いた。