「…助けてくれて、ありがとう……ございました」
「……………」
返事はなく、コツンコツンと、ヒール音だけ。
コツン、コツン、コツン。
行ってしまう。
もう俺は游黒街に行くつもりもないから、たぶんもう会えない。
思い入れがあるわけじゃないし、彼女に何かを伝えたい気持ちがあるとかでもない。
でも、なんか、その後ろ姿を見ていると無性に泣きたくなって、馬鹿みたいな単語が頭に浮かぶんだ。
「────……母さんッ!!!」
こんな、ばかみたいな単語。
変だよな、笑えるよな。
意味わかんないよな。
母さんとか、そんなわけないのにな。
鼻が俺と似ていて、笑った顔も俺に似ていて、とても綺麗なひと。
強くて、綺麗なひと───父さんはそう言っていた。
いま俺もまったく同じことを思ったんだ。
そんなものを彼女に対して「母さん」と言ってしまった言い訳にしたら、許されるだろうか。
単純にそんなふうに呼んでみたかったから、なんて理由も付け足したとしたら。
「─────…………」
女はゆっくり振り返った。
振り返った頬に、流れている涙。