「やあ!アンジェ。大変だったね」
「…は?」

ディナーの時間になり、身支度を整えてダイニングルームに行ったクリスティーナは、いつものように声をかけられて困惑する。

「あの、王太子様、ですか?」
「そうだよ。どうしたの?たった一日会えなかっただけで、もう顔を忘れたのかい?」
「いえ、あの、そういう訳では…」
「争いも落ち着いたし、早く君のお披露目パーティーを開くとしよう。俺の美しい花嫁としてのね」

「聞き捨てならないな。誰の花嫁だって?」
「フィル!」

振り返ると、正装したフィルが扉から入って来るところだった。

「あの、一体どういうこと?」

クリスティーナは、もはや何がなんだか訳が分からない。

「説明するよ。座って」

促されて、クリスティーナは席に着く。

「まずこいつは、俺の従兄弟のアンドレア=ギルバートだ」
「ギルバートって、フィルが最初に名乗っていた?」
「ああ、母親の旧姓だ。アンドレアは母の兄の息子に当たる。俺と同じ二十一歳。つい最近まで海外にいたんだ」
「従兄弟…。だから二人はよく似ているのね」
「自分ではそうは思わないけど、どうやらそうらしい。俺の替え玉としてはちょうど良かった」

するとアンドレアが、酷い言い方だなと苦笑いする。

「お前よりも爽やかさ五割増しで、完璧な王太子を演じてやったのに」
「どこがだよ?!どさくさ紛れに彼女に手を出そうとしておいて、よく言うな」
「結局出せなかったよ。夜になると無理やりお前に交代させられたからな。あーあ、俺もアンジェと同じベッドで寝たかったな」
「アンドレア!」

フィルに睨まれてアンドレアは首をすくめる。

「えっと、つまり王太子様…いえ、アンドレアはフィルに代わって王太子のフリをしていたってこと?」

クリスティーナの問いにフィルが頷く。

「争いが激しくなり、俺は他国と協定を結んで連合国軍を抑えようと奔走していたんだ。だが、王太子として動き回れば敵に勘づかれる。どうしたものかと思っていた矢先にこいつが帰国してきたから、ちょうどいい、と替え玉になってもらった」
「おい、言い方!」

アンドレアが突っ込むが、フィルは構わず続ける。

「そして俺は動きやすいように、近衛隊に入隊した。君の遠い親戚のクリスとやらと同じ日にね」

なにやら含んだ口ぶりに、クリスティーナは思わず視線を逸らす。

「このことを知っていたのは、国王と王妃、君の父上のジェラルド連隊長。それからロザリーと数人の付き人だけだ」
「お父様も?!」
「ああ。俺が近衛隊を抜けて各国へ赴く時は、手助けもしてくれた」
「そうだったのね」

また知らない父の一面を垣間見て、クリスティーナは神妙な面持ちになる。

「君には黙っていて悪かった。それにこんな形で巻き込んでしまったことも。アンドレアは頭はいいけど剣の腕はイマイチでね。敵がこの王宮に潜んでいるかもしれないと分かって、父と母がアンドレアの身を案じたんだ。それを聞いたジェラルド連隊長が、君を花嫁候補としてそばに付かせるなんて話を持ち掛け、俺の知らない間に事が進んでしまった。本当に申し訳ない」

頭を下げるフィルに、クリスティーナは首を振る。

「いえ。これは私が望んだことでもあったので」
「君が望んだ?王太子の護衛を?」
「ええ。私、どうにかして父とこの国の役に立ちたかったのです。たとえほんの少しでも」

少しうつむいてから、クリスティーナは言葉を続けた。

「父は、とても責任感の強い人です。どんなに怪我を負っても自分の身を顧みず、連隊長として最前線で戦おうとします。私はそんな父が心配でした。いつか父の手助けが出来るようにと、日々剣の稽古をしていたのです。それにこの国は、地方に行けば戦火が広がっています。敵に怯え、食べる物も手に入らずに不安な日々を過ごしている人がたくさんいる、そう思うと胸が張り裂けそうでした。今回のことは、全て私が自ら望んだことなのです。王太子様の護衛も、敵国の捕虜になることも。ですからどうぞ、謝らないでください」

胸を打たれて押し黙るフィルとアンドレアに、クリスティーナは静かに微笑んでみせた。