「あぁ、大地の息吹。自然の源よ!」
開けばちょっとだけ涼しい風。中の熱気と外の空気が入れ替わる。
サウナ状態から解放され、堪らず感嘆の声をあげた私。そよそよと風が吹く中、生き返った気分になりながら涼む。
外を見れば部活を終えた生徒が門に向かって歩いていて、その中に澤田君の姿もあった。やったー、ラッキーと顔がニンマリ。窓の下。歩く澤田君に上から声を掛ける。
「澤田君!」
「あぁ、まだそこに居たのか」
「うん!片付けてたら鍵が閉まっちゃって」
「は?鍵?」
「そう。絶賛、閉じ込められ中です」
だから開けて欲しい胸を伝えたら、澤田君は「待ってろ」と言って校舎の中に戻っていった。
良かったー。助かる。これで都市伝説にも七不思議にもならなくて済む。思っていた以上に早く抜け出せてラッキーだった。安堵の溜息。
「菜々」
程なくして準備室の扉の前に澤田君が来た。ただ来たのはいいが、扉を蹴り飛ばしているような、けたたましい音が廊下から響く。
「おいおい、澤田君。いったい何をやっているのかね?」
「鍵がねぇんだよ」
「まさか壊す気ですか?」
「そっちの方が早い」
そりゃそうかも知れないけど!校長の泣き顔と先生の説教顔が一瞬にして頭の中に浮かぶ。
しかし、澤田君はそのまま扉を蹴って鍵を壊してしまった。扉が開き、神妙な面持ちをした澤田君と目が合う。
「澤田キュン。助けてくれてありがキュン。イケメンに見えます!」
「いや、今はそういうのいいから」
「……はい」
「それより、なんで閉じ込められてんの?」
「さぁ……。私もよく分からないです。いきなり閉められたんで」
真面目に答えた私に澤田君は短く「そっか」と呟いた。視線を逸らして、溜め息を吐いて、不満そうに頭をクシャクシャ。機嫌が悪そう。かなり怒っている。何だか気まずい。
「あー⁉もう開けちまったのかよ」
なのに空気の読めないバカが廊下の隅からひょっこりと顔を出す。
このツンツン頭が。奥に引っ込んでろ!と親指を下げたいのを我慢して、目の前に現れたツンキーを真顔で見つめる。
無言の圧。真顔のテレパシー。今すぐ逃げろのサイン。しかし、鈍感なツンキーは空気を読まずに澤田君にちょっかいを出し始める。
「うぃ〜!閉じ込められパート2」
「またお前かよ」
「そうだ。あのまま終わる俺じゃない」
お願いだから、ちょっと黙ってろ。
そう思う私の気持ちを無視してツンキーは意気揚々とこちらに近付いてくる。準備室の鍵をクルクルと指で回しながら、楽しそうにニヤニヤと笑って。
「お前か、犯人は」
「そうだ。俺以外に誰がいる」
「しつけぇんだけど」
「俺からしてみればしつけぇのはお前だ」
全日本うぜぇヤツランキングがあれば堂々の1位に輝けるくらい鬱陶しい面構えで、ツンキーは澤田君の肩を掴む。
おいおい、ヤメておけ!って顔が強ばったが、私のことなんて完全に無視。存在すら忘れられている。
「……うぜぇ」
ツンキーに絡まれた澤田君はガンッと物騒な音を立てて壁を叩く。怒りを発散させるように。
やばい……。かなり苛ついている。ピンチだ。
「澤田君」
「マジで腹立つ」
「澤田君ってば」
上手い言葉が出てこず、とにかく名前を連呼。さすがの私もふざけられないくらいの怒りようだ。
怒っている理由が自分なだけに頭が回らない。どうしてそこまで怒っているのか謎。
そりゃ閉じ込められはしたけど、直ぐに出て来れたし、何もそこまで怒らなくても。そうは思ったが、止めたって意味は無く。澤田君はツンキーを殴ってしまった。
左の頬に一発、お腹に一発、蹴り二発。ガッ、ゴッ、なんて鈍い音を立ててツンキーを殴る澤田君。
「うわぁ……」
軽くドン引き。ツンキーも殴り返そうとするが、追い付かずに殴り返されている。散々、煽っておいて一発も返せないとは何事か。
「澤田君、ちょっと落ち着いて」
「うるせぇ!」
一応、止めたが無駄だった。澤田君は止まらない。
まぁ、そうなるのも仕方ないか。今まで散々、嫌がらせをされてきた訳だし。それは理解出来ているが、フルボッコにしていて焦る。
「おい!お前らヤメんか!!」
しかもタイミング悪くゴリ山に見つかってしまった。
来るのが遅い!それならさっき来て欲しかった。そしたらピンチを救ってくれた王子様だったのに。
今はただの厄介な目撃者だ。これから訪れる波乱の予感をヒシヒシと感じながら、私はツンキーを引き離すゴリ山の背中を焦る気持ちで見つめた。
「マズイことになったね」
どんよりと重たい空気が漂う生徒会室。いつもと同じく皆が長机を囲み、その中心に座った理央が肘をつきながら暗い顔付きで溜め息を吐く。
夏休み中で学校は休みだが、不測の事態が起きたため全員が集まり緊急会議を行うことになった。題材は勿論、澤田君についてだ。
「どうなるかな?」
「少なくとも停学は確定だね」
「相手だって悪いのに?」
「そうは言っても怪我だってさせちゃったし」
不安そうに尋ねた颯に理央が憂鬱そうに答える。
ツンキーはあの日、澤田君から殴られた所為で腕の骨にヒビが入ってしまったらしい。しかも一方的にボコボコにやってしまったものだから尚更、澤田君への処分は重くなるみたいだ。だから今日もこの場に居ない。
処遇が決まるまで自宅謹慎でその後は登校停学になる可能性が高いだろうとのことだった。
「しかも元々、素行が悪かったからね。ただの停学じゃなく無期限になる可能性が高い」
「そうなると厳しいですね。出席日数もギリギリでしたし」
「そう。補習だけじゃ補えない」
「留年、確定ですか?」
「そうなるくらいなら転校させる、っていうのが澤田君の親からの返答」
「……校長の泣く姿が目に浮かびます」
事情を話す理央に雄大が欝々しく視線を落とす。
そうだ。澤田君一人だけの問題じゃなく私たちの目標と校長の野望もこれにてジ・エンドになりかけている。
澤田君が転校してしまったら確実に寄付金は貰えなくなるし。行事だってしょぼくなり、一旦は廃止された恋愛禁止の校則だって復活してしまうかも知れない。
つまり学園中の生徒がつまらない学校生活を送るはめになろうとしている。ツンキーただ一人の手によって。
「そもそも菜々ちゃんを閉じ込めたツンキーに非があるんだから、その辺、裁量してくれても良くない?」
議事録を作成していた小春が納得のいかない顔で理央に訴える。
ツンキーに人1倍不満を抱える彼女からすれば本当に腹立たしく許せないことなのだろう。だが、理央は首を横に振った。
「それがツンキーの方はやってないって否定しているらしくて」
「はい?自分からやったって言ってたのに?」
「先生の前では認めないんだってさ。証拠がないとか訴えてる」
「前科が1回あるじゃん。菜々だってそう言ってるし」
「そうだけど、菜々が澤田君を庇っている可能性もなくはないからね。先生からしてもそこは慎重になりたいところなんだよ」
憤慨する鈴花に理央が苦笑いを浮かべる。
本当にそう。ツンキーの言う通り犯人だと証明するような証拠がないんだよ。確実に犯人はツンキーで間違いはないんだろうけど、証拠がない以上は先生たちも詰められないのが現状。
南京錠は扉に掛かっていたし、閉めることは誰にでも出来る。いくら鍵を持っていたからって証拠にはならない。開けるために持っていたと言われたらお終い。
「澤田君はなんて言ってるの?」
「しょうがない、って」
「諦めちゃってるのか」
「うん。迷惑が掛かりそうだから生徒会も抜けるって昨日、俺に言ってきた」
「えぇ……。せっかく仲良くなれたのに?」
「一応、俺のところで話は止めてあるけどね」
辞めて欲しくないよね、と皆で言い合う。
開け放った窓から見える空が暗い。真っ黒な雲が一面を覆って雷が遠くの方でゴロゴロと鳴っている。
事態はかなり深刻だ。あの日の私が想像していた以上に。
「せめてツンキーが犯人だと証明出来ればね~。どうにかなると思うんだけど」
しょげていた颯が独り言を言うようにポツリと呟く。それと同時にピーコが飛んできて私を慰めるように自分のお宝を差し出してきた。壊れたカメラの部品。
「あ、だったら……証拠集めをしません?」
「ツンキーが菜々を閉じ込めた犯人だって証明するの?」
「いいね。広報の腕の見せ所だよ」
「証拠を集めてそのまま自白に持っていこう」
提案した私に皆が顔を上げて頷く。
とにかく何もやらないよりはやった方がいい。そんな心境で私たちの証拠集めの日々が始まったのだった。
「んー、その日は直ぐに帰っちゃったから何も見てないや」
次の日の補習後。教室から出た私は証拠集めをするべく補習に来ていた別の生徒に聞き込みを開始した。
しかし、苦戦中。目撃者が全くと言っていい程いない。皆、首を横に振るばかりだ。
そりゃそうか。皆、補習が終わると同時に直ぐ帰っていたし。部活に来ていた生徒だって他の教室からは少し外れた場所にある準備室の前なんて通らないだろう。だからこそ私も閉じ込められて焦っていたんだし。
「原谷〜。その腕、どうしたん」
「あぁ、澤田にボコられてさ」
「マジ?」
「マジマジ。機嫌が悪かったみたいで」
腕に包帯を巻いたツンキーが声を掛けてきた他の生徒に弱々しい微笑を向ける。
いつもは真っすぐなツンツン頭も今日は普通だ。特徴のない平凡な姿になっている。
「あいつやばいじゃん……」
ツンキーに声を掛けた生徒は驚き顔。それをいいことにツンキーは犯人のくせして被害者を演じている。
きっと一発も殴り返せずにボコボコにやられたのが悔しかったのだろう。「受け身を取ったけどダメだった」とか「やり返したら負けだと思って」とか、言い訳みたいにツラツラと喧嘩に負けた理由を並べている。
自分は意思を持ってやられたのだ。と、そこすらも嘘を吐いて。虚しい男だ。ツンキーよ。
「あ、私、階段を上っていく人なら見たよ」
場所は代わり学校の門の前。ビデオカメラを持って聞き込みをしていた慶彦に女生徒の一人が目撃情報を話し出す。
その子が言うには部活の練習終わり、補習に出ていた友達と一緒に帰ろうと教室まで行ったところ、準備室のある四階の方へ階段を上っていく生徒を目撃したらしい。
その時の教室はまだチラホラ人が居る状態。時間的には準備室の鍵が閉められる少し前。四階には使われていない教室が多いし、犯人の可能性が高い。
「顔とか体型とか覚えてる?」
「それは見てないや。一瞬だったし」
「そっか。それは残念」
「でも、男子生徒だったのは間違いないよ」
「制服的に?」
「うん。それに髪がツンツンで珍しい髪型だった」
探偵並みに聞き込みをする慶彦に笑顔で語る女生徒。慶彦はカメラを構えてご満悦。
「そう言えば補習終わりに誰かが準備室の鍵を借りに職員室に来たな」
「本当ですか?」
「あぁ。中に人が居るのに気付かずに鍵が閉められたとか言って」
「その生徒は澤田君でした?」
「いや。別の生徒だったな。それで中山先生が様子を見に行ったから……」
傍に居た先生もその時の状況を語り出す。
そっちも時間的に澤田君が私に気づくよりも少し前だ。あの時、澤田君の近くを歩いていた部活帰りの生徒達の顧問だから間違いない。
ちょうど解散して職員室に戻って直ぐだったし、その人たちが着替えたりする時間を換算すると、鍵を取りに行った生徒の方が私が騒ぐより先に閉じ込められていることを知っていたのは確実。
誰かが廊下を通らないかと注意を払っていたけど、誰一人来なかったもの。つまり閉じ込められたことに気づいたのは閉めた直後。
むしろ閉めた犯人でしかない。それで鍵自体はツンキーが持っていたから……、やっぱり閉めた犯人はツンキーに違いないって話にいきつく。
「生徒会新聞の取材か?」
「はい。そうです」
話し終わって尋ねてきた先生に笑顔で答える。広報の慶彦は生徒会新聞を作るため、時々こうやってビデオカメラを持って取材をしている。メモを取るよりも確実だからと。
だからビデオに撮られているとはいえ、皆あまり違和感を感じていない。ツンキーも近くを通ったけどスルーだったし、道行く生徒もチラリと見るだけで何もツッコまない。あぁ、いつもの生徒会新聞のやつか。って顔をしている。
実のところ、これは証拠の動画作りだ。目撃情報があったと証言するために撮っている。
私たちが目指すところはツンキーの自白だから、あまり意味はないのかも知れないけど、念の為。証拠としては薄いが使わせて貰おうと思う。