「それだけ周りに凄いのが居るってことは、お前も大物になりそうだ」
「いいえ。平凡ですよ、私は」
「そうか?意外と眼鏡を外すと別人みたいになるとか、そんな設定はねーの?」
「全然。何の変わりもありませんし、素朴なもんです」
「へぇ。どんな?」
「こんなんです」
ほら!と眼鏡を外して澤田君に素顔を見せてみる。そこには絶世の美女……ではなく素朴な私の姿が。
「あんまり変わんねぇな」
「そりゃそうですよ。そんなものです」
「まぁでも、嫌いじゃねぇわ」
「そりゃどうもです」
ヘラヘラと笑って眼鏡を掛け直した私に澤田君はちょっとだけ微妙な顔をした。反応が薄いなー、って。
「おっと。ここはやはりしっかりとドキッとしておいた方がいいです?」
「しなくていい。言われてするもんじゃねぇ」
「えー」
「それよりあれから原谷に絡まれて無いよな?」
「はい。それは全く。皆、姿を見つけると直ぐに知らせてくれるんで」
「そうか」
安心したような表情を浮かべる澤田君にニッコリと愛想の良い微笑みを向ける。
澤田君はここ最近、毎日こんな感じだ。自分が理由で絡まれたこともあってか話す度にチラリとツンキーのことを聞いてくる。心配しなくって私は大丈夫なんだけども。
「ふふん。今やツンキーは一般生徒を殴ろうとした極悪卑劣な悪党ですからね。何を喚こうが避難の的。彼に勝ち目はないです」
「末恐ろしいな」
「何を言っているんですか。売られた喧嘩は叩き壊して熨斗紙を付けて送り返す。それくらいやらないと」
悪どい表情を浮かべてクックックッと笑って見せる私に澤田君は声も無く笑う。呆れたというより頼もしいって意味で。
「お前はホント優しいのか、恐ろしいのか、それともアホなのか、どれだよ」
「全部です」
目を細めて尋ねてきた澤田君に、手を腰に当て、指を指し、顎を上げ、自信満々に言い返す。
全ての要素をひっくるめて私、松戸菜々である。その考えだけは何があろうが譲れない。
「あ、2人とも。ちょうどいいところに居た。少し手伝ってくれない?」
両手に大量のプリントを抱えた理央が私たちを見つけて声を掛けてきた。
隣に居た澤田君がふらりと寄って理央の荷物を半分持つ。それを更に半分持ち、歩きながらプリントに目を通すと体育祭らしいイラストが描かれてあった。
きっと体育祭に向けて集った旗や看板のデザインが返ってきたのだろう。どの旗を候補としてあげるか意見を聞こうと思っているに違いない。
「上手いですね、皆」
「あぁ」
「澤田君はどんな絵にしました?」
「俺は描いてないし、出してねー」
「ヤル気なっしーですね」
「そういう菜々は絶対ピーコの絵を描いただろ」
「勿論。ピーコは私の唯一無二ですからね」
ぴたりと正解を言い当ててきた澤田君に笑顔で自分が描いたイラストを見せる。
プリントの中に収められているのは空を羽ばたくピーコの絵だ。ピーコの愛らしさがよく出ていて我ながら良い出来ではある。
まぁ、まだどれが選ばれるかは分からないけど、今から結果が楽しみだ。
私が描いたピーコの絵が空に羽ばたくかも知れないと思ったら胸が熱い。きっと忘れられない。それを見たピーコが自由奔放に空へ羽ばたいて行かないか少し心配ではあるけども。
「ピィィィィコォォォッ!!」
夕暮れ時の校庭。古ぼけた飼育小屋の前。私の大絶叫が辺り一面に響く。
放課後、机の中に放り込まれてあった『飼育小屋に来い』と書かれた手紙に気づき、指示された通りノコノコとこの場所へ来て今。
昔ながらの飼育小屋の中。金網の奥でピーコが震えながら縮こまっている。扉には南京錠。鍵を保管している職員室まで往復15分。待っていられるか!と思わずガシャンッと音を立てて金網に大突進。叩いたり蹴とばしたり、ぶち破ろうと必死になる。
「菜々ちゃんっ⁉どうしたのっ⁉」
私の叫び声に気付いた小春が生徒会室の窓から凄まじい形相で顔を覗かせた。その横から出てきた理央も焦りを滲ませた顔で何事かと身を乗り出す。
「ピーコが……!ピーコがぁ……!」
「ピーコがどうしたのっ?」
「ピーコが殺られるぅぅ!」
「ええっ⁉」
「早く出してぇ!早くぅぅっ!」
堪らず再び大絶叫。心配してくれた小春に事情を説明しょうと叫ぶが、涙も相俟って上手く話せない。息も絶え絶えに「鍵が欲しい」と伝えるので精一杯。
だって大ピンチ。ピーコの傍らには殺人鬼と呼ばれている大悪党のニワトリがウロウロしている。
こやつ気が荒ぶるとボロボロに突っついてくるわ、蹴るわ、叫ぶわ、暴れるわ、で物凄く強暴。一緒に育った仲間達は怪我だらけになって別の場所に貰われていった。それほど強暴な暴れ鳥。
更にその奥には我が校のギャングと言われているうさぎ達。ふわふわで愛らしい顔をしているが、可愛いと思って触ろうものなら、その丈夫な歯で肉を食い千切る勢いで噛んでくる。
あの強暴なニワトリと対等に渡り合える時点でお察し。要は両方、飼育員泣かせの鬼だ。恐ろしく頭も回るし。
上に飛んで逃げようにも掴まるものが何もない。疲れて羽を休めたら最後。大人しいピーコに勝ち目はない。
「ピーコ……」
居ても立っても居られず声を掛けると、ピーコは頭を上げ、悲しそうに瞳を揺らした。『クルックー』と助けを求めるように鳴く。
その瞬間、殺人鬼(ニワトリ)が『コッケェェ』と威嚇の雄叫びをあげてピーコを睨んだ。怖がって震えあがるピーコ。私の可愛いピーコ……。愛しのピーコが!
「いやぁぁあ!ピーコォォォ!」
涙で顔を濡らしながら再び金網を全力で叩いて大絶叫。その所為で皮膚が切れ、血が滲んできたけど、気にしていられない。とにかく助けたくて必死。お前の獲物はこの私だ、コッチを見ろ、の精神。
「菜々」
「澤田君!ピーコが、ピーコが!」
「分かったから。落ち着けって」
暫く格闘していたら澤田君がやってきて私を背後から羽交い締めにした。いきなり抱き締められて仰天。飼育小屋から離されて手首まで掴まれる。
「離して!」
「あんまり叩いたり騒いだりするな。余計にあいつらの気が荒ぶる」
「でもっ!」
「いいから。もうすぐ鍵がくるし、待ってろ」
「……う、うん」
「大丈夫、大丈夫」
やけに落ち着いた声で言われて何だかちょっと安心。心が一瞬で冷静になる。澤田君は大人しくなった私を更に落ち着かせるように、腕をポンポンとリズム良く何度も叩いてきた。何だかちょっと子ども扱い。あやされているみたいだ。
「落ち着いた?」
「うん」
「助けてやるから。騒ぐなよ」
「……分かった」
コクリと頷いて直ぐ。校舎から小春と理央が全速力で走ってきた。その手には鍵。途端に背筋が伸びる。だって鍵。今すぐ開けなきゃ。何が何でも直ぐ。早くピーコを助け出したい。
「菜々ちゃん!鍵っ」
「小春〜!ありがとう」
「いいの。それより早く出してあげよう」
お礼を言った私に小春は鍵を差し出しながら大きく頷いた。澤田君が「俺が行く」と言って小春から鍵を受け取り飼育小屋の入口に向かう。
程なくして澤田君の手によりドアがガチャリと音を立てて開いた。慣れ親しんだ澤田君の姿を目に捉えたピーコは一目散に澤田君の肩へ飛んでいく。
「ピーコ……!」
そして傍に駆け寄るとピーコは私の元へ直ぐに飛んできた。堪らず頬ずりをすれば『何よ!どういうことよ?怖かったわ!』と言いたげな目を向けてくる。撫でてやれば嬉しそう。感動の再開だ。
「無事で良かったな」
「うん」
「しかし、なんでピーコが飼育小屋に?」
傍に戻ってきた澤田君が不思議そうに首を傾げる。
そう。問題はそこだ。どうしてココにピーコが?飼育小屋の鍵は閉まっているし、ピーコは普段生徒会室の鳥かごの中に居る。
生徒会室は夕方まで鍵が掛かっているし、飼育小屋の掃除をするのは昼。万が一、窓が開けっ放しになっていたとしても、ピーコは基本的に臆病だから1人で外に出たりしない。それこそ私が一緒に居るときにしか。
だからこそ自らココに来て閉じ込められた可能性は薄い。誰かが連れてきて閉じ込めたとしか思えない。
「生徒会室の鍵は掛かってたよね?」
「そうだね。俺が開けたから、そこは間違いないよ」
不思議そうに小春と理央が言う。騒ぎを聞きつけたらしい鈴花と雄大も来て、皆、不思議そうにしていた。しかし、犯人は直ぐに判明する。
「あれー?もう外に出しちゃったのかぁ〜。つまんねー」
良く言えば剽軽、悪く言えばバカっぽい声をあげながら、ツンツン頭のヤンキーがゴミ置き場の裏からひょっこり顔を出す。ツンキーだ。途端に澤田君の目が据わる。
「……お前がやったのかよ」
「ああん?」
「お前が犯人かって聞いてんだけど」
「そうだ。これで俺の凄さも分かったし、少しは懲りただろ。バカ女も」
鬼のように不機嫌そうな澤田君を更に煽るようにケラケラと笑うツンキー。肩に乗っていたピーコが、怒り狂ったように羽をバサバサと羽ばたかせてギャーギャー騒いでいる。
透かさず澤田君がツンキーのところへ飛んで行きそうになったから今度は私が羽交い絞めにして止めた。ここで挑発に乗ったらツンキーの思うつぼ。それは避けたい。
「ピーコォー!だって。ビービー泣いててマジでウケたわぁ。ザマァ」
「最低……」
「食われりゃ良かったのに」
「うるせぇ。ゴミ」
「あーそ。だから何だぁ?何とでも言えや」
「クズ」
「カス」
「チビ」
「ツンツン頭」
「あ?」
何とでも言え、と言ったくせにツンキーは髪のことを指摘した鈴花を睨む。そこはやっぱり気にしているらしい。髪を押さえて眉間に皺を寄せている。だったら髪型を変えろって話だが彼は一向に変えようとはしない。今日も今日とて相変わらずのツンツン頭。
「元はと言えばお前が悪いんだろ!面白おかしく澤田と俺の噂を流しやがって!」
「それはもう、そっくりそのまま返します」
「そうだよ。元はと言えば変な噂を流したり、菜々に手を出そうとした、そっちが悪いと思う」
怒るツンキーに雄大と鈴花がサラリとごもっともな意見を返す。きっと一連のこれは悪役ツンキーとして定着してしまったことに対する反抗だろう。しかし、更に悪役度を上げてどうする。
「いい加減にしろや。腹立つ」
「ああん?」
「こいつには手ぇ出すなって言っただろ」
あまりに理不尽なことを言うツンキーにムカついたのか、澤田君が怒り心頭な顔で立ち上がる。
胸きゅんランキング、ベスト10みたいな台詞を吐いているけど、顔付きを見るからにこちらは生きた心地がしない。焦った雄大が「まぁまぁまぁ」と澤田君を落ち着けにいく。
「澤田君〜。怒らないでよ」
「お前らな……」
「それよりも!僕、疑問なんだけど。原谷君はどうやってピーコを連れ出したの〜?」
怒る澤田君を宥めつつ、颯が目をパチクリと瞬かせ、あどけない顔でツンキーに尋ねる。純粋な子供のような眼差しだ。水族館で泳いでいる魚の名前でも尋ねているような。
「そんなんチョチョイとやって直ぐだ」
「へぇー。凄いね。開けるの難しくなかった?」
「全然、鍵を盗むくらい俺の手に掛かれば余裕よ」
「おー。鍵ってあれ?生徒会室の?」
「おぅ」
「えー!ってことは校長に見つからずに持ち出せたってこと?凄い」
「まぁな。あのババア、時々鍵を開けっぱで出ていくから。その隙をついて中に入ってさ」
天使のような悪魔に誘導尋問され、ツンキーは自分の犯行をペラペラと喋っていく。得意げに話してくれてますけど、あなた。その会話、全て理央に録音されてますよ。
「オッケー?理央。ちゃんと録音できた?」
「バッチリだよ」
証拠を収めてにこやかに笑う颯と理央。ツンキーがしまったって顔をしたけど、もう遅い。悪魔たちの作戦勝ちだ。
「障害物競走、原谷。こっちも原谷。これも原谷」
ピーコ閉じ込め事件から1週間後の生徒会室。メンバー全員が長机を囲って体育祭の種目について議論する中、未だツンキーに対して苛立っていた私は障害物競走の走者の欄に永遠とツンキーの名前を連ねていた。
あれからツンキーは停学になり実質的には成敗された。しかし、謝ってもくれず反省もなく、こちらはモヤモヤを募らせてる。
顔を合わせないし、怒れないし、処分は甘いし、怒りをぶつける先がここくらいしかない。ファッキュー、ツンキー。許さんぞ。
「なんで、あいつの名前ばっか書いてんだよ」
それを隣で見ていた澤田君が苦笑いを浮かべる。すっかり生徒会のメンバーの一員って顔をして、絶対に入りたくないと拒否していた最初の澤田君が嘘のようだ。
「一人で障害物競走を走らせるためですよ」
「一人じゃ競技にならないだろ」
「ならなくていいです。途中で彼が食べるパン全部に下剤を仕込むことが出来ますから」
『的中率100%!』と言って悪魔のような笑みで“タン”と舌を鳴らし、首を切るように親指をシュッと横切らせる。ツンキー成敗のポーズだ。勿論、冗談ではあるが。
「待て。それだけはヤメておけ」
しかし、澤田君は真剣な顔で私を止めてきた。ペンを握った私の手を掴んで、首を横に振って、諭すような瞳で本気も本気。冗談で言っただけなのに顔がガチ。しかも他の皆まで真に受けている。
「絶対にヤメてよ。菜々」
「そうだよ。さすがに全国ニュースに載るのは困るから」
「僕、嫌だからね?同じ生徒会のメンバーとして一言!ってインタビューなんか受けたくないし」
「そうですよ。仕返しをするならもっと別の、違う方法を一緒に考えましょう」
全員が一丸となって私を取り囲み真顔で諭してくる。ニュース沙汰になるようなことだけはヤメようって。ただの冗談なのに。
嘘だと理解しているのは議事録を書いている小春とピーコだけ。いや、笑顔で頷いているってことはツンキーを成敗することに賛成しているのかも知れない。
「もう。本気ではしませんよ」
「絶対だぞ」
「念を押さなくたって絶対にしません」
「お前は本気でしそうで怖い」
「いったい私にどんなイメージを持っているんですか」
しかと言質まで取ってくる澤田君に苦々しい笑みを向ける。確かにツンキーに対しては腹が立っているけど、さすがに物事の善悪くらいはちゃんとつく。そこまで真剣に心配をされるのも複雑だ。危険人物だと思われているみたいで。
「まぁ、腹が立つのは分かるけどね〜。思っていたより処分が甘かったし」
「そうだね。せめて3週間は反省して欲しかった」
「1週間って。校長も甘いと言うか」
「あの人は結構甘いところがあるから」
「勉強に関しては厳しいのにね〜」
皆、思い出したようにツンキーの処遇について呟く。
あの後、校長から言い渡されたツンキーへの罰は『停学一週間』だった。校長室から鍵を盗み、ピーコを連れ去って飼育小屋に閉じ込めるという大罪を犯したわりには処罰が甘い。
自分にも非があっただけに責めきれなかったのかも知れないが、やられたこちら側としては不服。これじゃまた懲りずに同じことをやりそうだし。
そうなったら次こそ澤田君がキレそうで心配だ。あの日、去っていくツンキーを見る彼の目だってかなり怖かったから。言わないだけで溜まっているものが結構あるんじゃないかと思う。
まぁ、言ってる間に夏休みも挟むし、お互いクールダウンしてくれればいいんだけど。こればっかりはツンキーの気まぐれによる。