湊人がセットしたアラームで目が覚めた。

瞼を開けただけで周りは見えていない。

この部屋の色はどんなだったかを思い出す。

引っ越してから、
もしかしたら、湊人がインテリアをDIYして、
壁紙を貼り付けたかもしれない。

壁を触って確かめるが、変化している
ところはない。


今日も、1人この家で1日を過ごさないと
いけない。

台所には、丁寧にラップされて準備された
朝食用のパンケーキとパスタが
置かれていた。

パジャマ用の短い黒のホットパンツと
メンズ用の白に黒文字で
LOVE&PEACEと英語が書かれた
長袖Tシャツを着て、
おしゃれ服に着替えることもなく、
朝食にありつこうとした。


どーせ、自分も見えない服で、
誰にもみられることもないだろうと
ご行儀悪く、椅子に膝を立てて座りながら、
湊人が作ったメイプルシロップの香りがするパンケーキを食べた。

匂いには敏感だった。
さらに舌も敏感になっていた。

少しでも味加減が変だと食べられなかった。
おかしな体だ。
どんなものでも平気に食べていたのに、
賞味期限切れの食材も変わらずに。

食欲は前よりも小食になっていた。

皿いっぱいに乗っている
パンケーキも半分食べられて良い方だった。

生きる気力が失っているからだろうか。


食べ終わると、
皿をそのままにベランダに置いてある
椅子に座った。

いつも、湊人がタバコ吸う時に
いっぷくする場所だ。

何も言わずにぼんやりとここで外を見ながら
吸っている。

車の走るタイヤの音が何台も聞こえてくる。

外は少し肌寒かった。
風が吹いて、杏菜の服を靡かせた。


「さむ。」



部屋の中に戻ろうとすると、
頭からバサっと何かが飛んできた。

愛用しているグレーのパーカーだ。
色は見えないが、肌触りで覚えている。
フリースでもこもこしていた。


「なんで飛んでくるんだろう。」


「そんな格好で
 そんなところいたら、
 風邪引くだろ。
 足丸出し…。」

 湊人がいつの間にかリビングにいた。
 音に敏感な杏菜でも気づかなかった。

「いつの間に帰ってきたの?
 音が全然してなかった。」

「は?
 俺まだ出かけてないし。
 さっきまで洗面所いたんだよ。
 今日の講義は午後からだから。
 念入りにお手入れしないとね。」

「え。
 なんで、朝ごはん、台所にあったの?
 一緒に食べればよかったじゃん。」

「別にいいだろ。
 一緒に食べなくても家族じゃないし。
 あくまでシェアハウスだろ。」

 湊人はそういうと、冷蔵庫から
 ペットボトルの炭酸水を取り出して、
 ごくごく飲み出した。
 照れ隠しだ。
 作ったご飯のことで
 何かコメントされることの
 恥ずかしさが嫌だった。

 ふと、杏菜の鼻につんとした匂いが
 漂った。

「洗面所で何していたの?
 なんか、匂いきついよ。」


「あーー、ブリーチを染め直してたんだよ。
 そろそろ、真面目に生きないとねって。」

 杏菜は衝撃的だった。
 あんなにギシギシの金髪の湊人の紙が
 真面目人間の髪色にチェンジするなんて
 想像できなかった。

 有無を言わさず、杏菜は湊人の頭
 そっと手を触れた。
 
「ちょっと、触んなって。
 乱れるだろ。」

「黒に染めたの?」

 色は見えてない。
 想像で聞いてみた。
 
「うーん、黒っていうより
 茶色に近いかな。
 焦茶色?」

「えー見てみたかった。
 サラリーマンみたいな湊人の髪。」

 ゴワゴワとセットしたばかりの
 髪をぐちゃぐちゃにする杏菜。

「おい!!やめろって
 今セットしたばかりだって
 言ってんだろ。」

 完全なる嫉妬だ。
 髪を自由に自分で染められるなんてと
 イライラした。
 目が見えなくなって、いろんなことに
 制限がかかる。

「もういい!!」

 勝手に触って勝手にキレている。
 むしろ、きれているのは、湊人の方なのに
 一転する。

「って、何がもういいって。
 こっちがもういいだわ。」

抱き枕にも使えるふわふわの
ダックスフンドのぬいぐるみを抱っこして
ソファに座る杏菜は、
テレビのリモコンをポチッと押した。

画面は見えないが、ほぼドラマCDのような
感覚で楽しんでいる。


「……急にそうなるのかよ。
 面倒クセェな。」

 湊人は機嫌を損ねて、
 洗面所でもう一度髪をセットしに行った。

 鏡を確認して、くしで丁寧にとかした。

 鏡をふいに触れて、自分の顔を見つめた。
 これは、杏菜には見えていないことを
 思い出し、寂しげな表情をした。

 その後、湊人は杏菜に一言も話さずに
 玄関のドアを開けて、出て行った。

 
 ドアの閉まる音がしっかりとわかると、
 ため息をついてテレビの音に集中した。

 パタンと体をソファに委ねた。

 テレビの音はBGMのようにして、
 両膝をぎゅっと抱えた。


 まだこの環境に慣れない。

 湊人以外誰とも接点がない
 この世界はものすごく寂しかった。

 目だけじゃない。

 心まで闇深いところまで
 沈んでいた。

 
 そのまま眠ってしまった杏菜のところへ
 誰かがやってきた。

 インターフォンの音が部屋中に響いた。

 誰が来たのか確かめもせずに
 飼い主を出迎える犬のように
 玄関のドアを開けた。