「はぁ、ったく…」
「…あのー、ナイルさん…?」
どうやら終わったようなので声をかけてみると、ナイルさんはバッと顔を上げて、目を丸くする。
「リアナちゃん…見てたの?」
「えっとぉ…はい」
「ごめんね、こわがらせちゃった?」
眉を下げてほほえむ顔は、やっぱり王子さまのよう。
さっきまでのナイルさんと同一人物とは、とても思えない。
「まぁ…ナイルさんがヤクザさんなのは、本当なんだなー、とは…」
思ったかな。
正直に答えると、ナイルさんは…なんと、窓枠を足場にして、上に登ってきた。
一歩下がれば、私がさっきまでのぞいていた窓に足を置いてしゃがみこみ、私を見下ろす。
ここ、3階なんだけどなぁ…。
「さっきのは、相手もヤクザだったから特別対応というか。どうせタフだしなにしても大丈夫っていうか」
「は、はあ」
「カタギにはあんまり手出さないし、もちろんリアナちゃんに荒っぽいことしたりはしないから、安心して?」
眉を八の字にした、はかなげな視線を向けられて、顔と行動が結びつかなすぎる、と苦笑いした。
「わかりました」
私はナイルさんを見上げて、体のうしろで手をつなぎながら笑う。
すると、ナイルさんはほっとしたようにほおをゆるめて、「ねぇ」と顔をまえに出した。
「このあと、時間ないかな?よかったら2人ではなさない?」
「えっ…うーんと、ごめんなさい、なかなか空き時間がなくて。それに私、アイドルだし、男のひとと2人で会うのはちょっと…」
なんて、いまも2人で会っちゃってるんだけど。
オウキくん立ち合いだったら、と考えていると、ぼそりとナイルさんの声が落ちてきた。
「ストーカー10回、盗撮30回…」
「え?」
「1ヶ月で俺が阻止した数だよ」
にこりと笑いかけられる。
…えぇと?
「こっちが勝手にやってることだし、恩に着せようってわけじゃないけど…俺がいなかったら、リアナちゃんどうなってたんだろう」
わぁ…。
もしかして私いま、きょうはくされてる?
ナイルさん、ぜんぜん王子さまじゃないなぁ…。
「えぇと…夜、家に帰ったあとなら空いてますよ」
「そう?それじゃあ都合のいいときに連絡して」
にっこりした王子さまのような笑顔が、もうやさしい親切なひとの顔には見えなかった。
ナイルさんは「じゃあまた夜にね」と手をふって下に降りていく。
…大変なことになっちゃったかも。
夜おそくまでのレッスンを終えて、家に帰ってきた私は。
写真フォルダに残っているQRコードをアプリで読みこんで、ナイルさんにメッセージを送った。
[こんばんは、リアナです。いま帰りました。よかったら家に来てください。部屋番号は812です]
既読がついたのは一瞬で、はやっと思いながら返信を待つ。
[わかった。おじゃまするね]
うん、返信もはやい。
私はスタンプを返して、リビングを片付けることにした。
ピンポーンとインターホンが鳴ったのは3分くらいあとで、「わぁ」と声がもれる。
ナイルさん、撮影所にもいたし、ストーカーまがいのことしてるのかなぁ…。
私はモニターでナイルさんの顔を確認して、エントランスのロックを解除した。
ナイルさんが玄関に来るまでに片付けが終わったから、一安心。
「こんばんは。お招きありがとう」
「こ…こんばんは」
玄関の扉を開けてナイルさんを出迎えると、目を細めて、なんだか色っぽいほほえみを向けられた。
お顔がお顔だから、どうしてもドキッとしてしまって、どぎまぎしながらナイルさんをなかに入れる。
扉を閉めて、カギとチェーンをしっかりかけてからふり返れば、ナイルさんはまだそこにいて。
あごにふれた指が私の顔を上に向かせて、せまってくるものを唇で受け止めさせた。
「…え?」
「やわらかい。…ね、もっと食べていい?」
タンザナイトのような、青紫色の瞳が妖しく私を見つめる。
…。
一拍遅れて、ぶわっと体温が上がった。
私はあわててナイルさんの胸を押し返して、両手で口をガードする。
「な、な、なっ…!?」
「…あれ?」
ナイルさんはなぜか、きょとんとした顔。
「い、いきなりっ、なにを!?」
「えーと、もしかして俺のかんちがい?ごめんね、家に来てって言うから、おそわれる覚悟できてるのかと思っちゃった」
「お、おそっ!?ち、ち、ち、ちがいますっ!こんな時間に外、出かけられないしっ、家で会ったほうが安全だからっ」
顔の熱を感じながら、必死にごかいをとく。
ナイルさんはぽりぽりとほおをかいて、眉を下げた。
「…ごめん」
そんなふうにあやまられたって…!
私、初めてだったのに…っ。
ばくばくとさわぐ心臓をなだめる方法なんて知らなくて、口を押さえながら視線を落とす。
「もうさわらないから、安心して」
やさしい声を聞いて、おそるおそる視線をもどすと、ナイルさんは顔のたかさに両手を上げていた。
「…ナイルさんって、私にそういう気持ち、あるんですか…?」
「もちろん」
う、と顔の熱が上がる。
「大人が高校生に、なんてよくないと思います…っ」
「俺、わるい大人だから。好きな子が大人になるまで待てないんだ。あ、もちろんいやがることはしないけどね?」
にこりとほほえむ顔は大人っぽいのに、言ってることはぜんぜん大人らしくない。
「…まっかになってるリアナちゃん、ひかえめに言って抱きたいくらいかわいい」
「だっ…!?」
なに言ってるのナイルさん!?
私かなりキケンなひとを家に入れてない!?
「あ、ごめん、こういうの未成年にはよくないよね。気をつけるよ」
「~~っ…ナイルさんがこういうひとだとは思いませんでした…っ」
「そう?…まぁ、好きな子の家に来てテンション上がってるから、紳士的にはできてないかも。ごめんね?」
小首を傾げて、もうしわけなさそうに笑う顔が直視できない。
やっぱりナイルさんを家に上げないほうがいい気がしてきたけど、いまからどこかに行くのもあれだし…。
「と、とりあえずリビングにどうぞ…っ。お茶くらいは、出しますから…」
「うん。ありがとう」
すなおに従ってくれたナイルさんにほっとしつつ、サンダルを脱いでリビングに向かった。
ナイルさんにソファーをすすめたあと、キッチンでお茶を用意してリビングのテーブルに持っていく。
「どうぞ…」
「…ふふっ」
「な、なんですか…っ?」
おそるおそるコップを置いたら、ナイルさんに笑われた。
ナイルさんは手で口元をかくしているけど、目もにっこにこだから、笑っているのはぜんぜんかくせてない。
「ごめんね、俺のせいなんだけど、警戒してるリアナちゃんがかわいくて…いま俺、男としてすごく意識されてる?」
「っ…!」
ぼっと顔が熱くなって、そっぽを向いた。
するとまた、「ふふふっ」と笑い声が聞こえる。
「リアナちゃんってほんとにかわいい女の子だね。オヤジに感謝しないと。アイドルなんて興味なかったし」
「…ナイルさん、ファンとしてもよくないですからね。アイドルと1対1で会うなんて…ふつうは握手会限定なんですから」
ナイルさんって、あのときの布教で私のファンになってくれたみたいだけど…こんなに距離が近いの、ふつうは怒られちゃうんだから。
ちょっとふくれて言えば、ナイルさんはすこし間を空けて答えた。