カフェ用のケーキと飲み物を持って帰るという仕事を果たすため、家庭科室へ寄ったあとクラスへと向かっている道のりで、ばったりと天城に出くわした。
「いたー!」
蓮見が天城に駆け寄り抱き着いた。
「まったく心配しただろ!」
「寝てた」
天城はそう言いながらも、こっちを凝視していた。ケーキを乗せたお盆を持っている私、そしてペットボトルをいくつも抱えている榊に目を移したあと、蓮見の方を向いた。
「白石と話があるんだけど」
この一言だけで、蓮見は何かを察したのかにやりと笑った。
「おう」
そして私の方にやって来て、ケーキのお盆を取り上げた。
「俺が運ぶね。2-Bに届けとく」
「え…?」
「いいねえ!うちに来たからには集客手伝えよ」
戸惑う私をよそに、榊はどこか嬉しそうに蓮見を肘で小突いた。
「メイド服、貸してやるから」
「いい!俺はこの格好で大丈夫です」
蓮見が一瞬ひるんだのを見て、榊が突っ込みを入れた。
「メイド喫茶だぞ!お前もメイドになるんだよ!」
「嫌だ!」
そんな風に賑やかに話しながら、二人はその場から離れて行った。
(蓮見、あんた自分のクラスの出し物はいいの…?)
後ろ姿を見送りながら私がそんなことを考えていたが、天城に腕を掴まれて我に返った。
「行くぞ」
「え、どこに…」
「静かなところ」
廊下は大勢の学生でごった返していた。自分のクラスに呼び込み中の学生や、休憩時間で楽しそうにクラス内を覗いている学生などさまざまだ。どこか静かなところなどあるのだろうか。
私は引っ張られるままに天城についていくが、人は多く混雑している。もちろん空いている教室など一つもない。
そしてもう一つ気になることがあった。
(忘れてたけど、こいつ人気者なんじゃん…)
天城を見かけた女性生徒たちが、一緒に写真を撮りたいと近づいてくる。普段は蓮見がやんわり断るなど対応しているが、今回はその仲介役もいない。天城は非情にも無言でその場を早足で過ぎ去っていく。
(すごい全無視…)
無視された生徒たちは、代わりに引っ張られている私を凄い形相で睨みつけてくる。その恨みがましい視線を受けないように、私は下を向いて歩くことにした。
(ただのとばっちり…)
「上に行くか」
廊下の突き当りにある階段まで来た時、天城が呟いた。確かに上の階には使われていない教室がある。生徒たちの荷物などが置いてあり、休憩室も兼ねていた。
(どんだけ聞かれたくない話をしたいんだ…)
階段を登っていく天城の後ろに続きながら私はそう思ったが、はたと気づいた。
(もしかして、私の秘密がバレた…?)
途端に一気に不安が押し寄せた。
思い出してみると、天城の家にいた時も修学旅行の時も、天城の前で呑気に眠ったことがある。
(寝言で何か言ったとか…?)
生前はよく寝言がうるさいと言われていたが、その体質もこの世界に持って来ていたのだろうか。そう考えるだけで背筋が凍った。
「おい」
「は、はい!」
いきなり声を掛けられ、私は大きく返事をした。
「聞きたいことがある」
「な、なんでしょう…?」
私は誰もいない教室の入り口から、おそるおそる聞いた。
「なんでそんな遠いの?」
天城は窓際に背を預けて私を見ている。
「いえ、特に理由は…」
「話しづらい」
不機嫌そうにそう言われ、私は渋々教室内へと足を踏み入れた。
「明日の予定は?」
「へ?」
てっきり深刻な話をするかと思っていたため、突拍子もない質問に思わず変な声が漏れた。
「…明日は文化祭に参加しますが」
「夜」
短くそう言われ、私は首を傾げた。
「夜…?」
察しの悪い私に天城が苛立ったように言った。
「後夜祭」
「ああ。後夜祭…」
そこまで言われて思い当たる節があった。
二日目の一般公開が終わると、夕方から大規模なキャンプファイアを作り後夜祭が行われる。真徳祭の中でも目玉の一つで、気になる異性を誘って踊ったりするのが慣例となっているらしい。また、そのキャンプファイア中に好きな人の名前を書いた紙を燃やすと、恋が実るという真徳高校ならではの都市伝説まで存在していた。
「誰かと行くのか?」
天城の瞳が私を捉える。
「榊とか」
黙ったままでいる私に質問を投げかける天城は、いつもと雰囲気が異なって見えた。
「いえ。そもそも後夜祭に参加するつもりもないですが」
「なんで」
天城は腕を組んだ。
どこか不満げな様子だが、とりあえず深刻な話でも、秘密がバレた話でもないので内心安心していた。
「片づけをしようかと」
「片づけの日は別に用意されてる」
「いや、まあそうですが。キャンプファイアは恋人同士のイベントだと思うので…」
(カップルイベントなんてクリスマスパーティーだけで十分)
私はそんなことを考えていたので、天城が目の前まで来たのに気がつかなかった。
「つまり自分は恋人がいないから参加しないと?」
見下げられるような体勢に、一瞬ひるんだ。
(怒らせるようなことした…?)
「え、ええ。まあ」
「俺は?」
突然の言葉に私は思わず身を固くした。
「婚約者だけど」
「…え?あの、もう婚約破棄しましたよね?」
天城の言葉の意味が分からなくて変な汗が出て来た。
「正式にはまだだけど?」
質問に質問で返される。なんだか居心地が悪く、私は少し後ずさりした。
「え、いや、でも学校内の皆も周知の事実ですし、両親も来ませんし」
しどろもどろで言いながらも考えてしまった。
(もしかして、後夜祭も母親に報告されるのか?そうなったら厄介だな)
私は眉間の皺が深くなっている天城に目を向けた。
「嫌いな私と後夜祭に参加しますか?」
拒否してくれと心の底で願っている自分がいた。設定を覆すような行動を起こしてくれるなと。もしくは本当は好きな奴と行きたいが親から命令されたから面倒だがお前と行ってやる、とでも言ってくれれば、そのつもりでこちらも心構えができる。
思えば、この時からかもしれない。天城に対する自分の気持ちが本気であやふやになり始めたのは。

「…嫌いではない」
じりじりするほどの長い沈黙の後、天城が呟くように言った。
「と、言ったはずだ。修学旅行の時に。本当に何も覚えていないのか?」
天城の鋭い視線が突き刺さる。
リネン室で私が先に寝てしまったと言ってから不機嫌だった天城を思い出す。
「え、ええ。会話した記憶がなくて…」
覚えているのはふわふわで温かい毛布に包まれて眠ったことだけだ。
天城は私に聞こえるような大きなため息を吐いた。
「今度は良く聞いてろよ。あの日、あの夜、俺はもっとお前を知りたいと、伝えた。以前とは全く違うお前に最初は戸惑ったが、今はなぜか気になる。もっとお前と一緒にいたい」
普段よりよく喋る天城は、まるで別人のようだ。
「おそらく、俺はお前が…」
「ストップ!」
私は手を大きく出した。
(なんか、この先を聞いてはいけない気がする…!)
心臓が飛び出しそうな程に脈打っている。
「…は?」
途中で言葉を遮られた天城の顔が凄い形相になっている。
(顔怖っ!)
幾度となく怒りを隠さない天城の顔を見て来たが、今回は格別だった。
「わ、私、用事を思い出しましたわ!」
それでは、と天城に背中を向けたが、すぐさま腕を掴まれてしまった。
「い、急いでいるのですが…」
教室のドアから視線を離さずに私は言った。
「逃げんの?」
天城の冷たい声が背中に迫って来た。
「俺はお前と向き合いたいと言っているのに、卑怯じゃない?」
挑発的な物言いに、思わず私は後ろを振り返った。しかしすぐに足元に視線を落とした。真剣な眼差しの天城と目が合わせられない。
「逃げる訳じゃないわ。ただ…」
「ただ?」
冷や汗が首の後ろを伝った。
(実は16歳の白石透じゃなくて、10歳も年が離れてる別人ですなんて、言えるはずが・・・)
「俺には言えない秘密がある、とか?」
驚いて顔を上げた私の表情を見た天城が、あざ笑うようにはっと息を吐いた。
「やはり榊の言った通りか」
「榊…?」
予想もしていない名前が飛び出し、私は聞き返した。
「前に言われたことがある。白石透には大きな秘密があると」
「なっ…!」
(あんの野郎~!秘密があることを拡散してどうする!)
私は拳を握りしめた。
「榊とは共有してるんだ」
そう言いながら細められた天城の瞳が怖くて、私は目を逸らした。
「え、ええ。ちょっと事情がありまして…」
酔った勢いで自分から暴露したあの時に戻れるなら、今すぐ戻ってやり直したい。
しばらくの間、重苦しい沈黙が流れた。未だに天城は私の腕を掴んでおり、逃げるに逃げられない。
「…分かった」
数分後、何かを考えていた様子の天城が言った。
「言えないならそれでいい」
諦めてくれたことにホッと安堵していると、天城が腕を思いっきり引っ張った。その拍子で私は天城の胸に思いっきりぶつかった。
(相変わらず乱暴な奴め…)
私は思いっきり睨んだが、それを物ともしない天城は見下しながら言った。
「吐かせる」
「はっ?」
「もう容赦しない」
「な、何を言っているの…?」
(まさか、ボコられる?)
私が天城から離れようと苦戦していると、後ろでガタっと音がした。