どこか息苦しく感じ、私は目を覚ました。
私は目だけをきょろきょろと動かし、今自分がどこにいるのか把握しようとした。しかし、目の前に迫る白いものの正体が分からない。ここはどこだろう。心なしか身動きもしにくいし、息も苦しい。自然と呼吸が早く、浅くなる。
(い、息が…!)
「…くうっ」
喉からこもった声が出た。
「大丈夫?」
突然、新鮮な空気が入って来たと思ったら、大きな光が飛び込んで来て、私は思わず目を覆った。
「どうした?」
「布団で窒息しかけてた」
「あぶな!」
聞き覚えのある三人の声がする。光に目が慣れると、自分が布団の上に寝かされているのに気がついた。私は慌てて体を起こした。
「起きた?」
隣の布団に寝転がっていた五十嵐が、枕に頭を乗せたままこっちを見ていた。
私は開いた口が塞がらなかった。
明らかに女子部屋とは違う空気感。右隣では五十嵐が寝ているし、左隣では天城も寝そべりながら本を読んでいる。そして向かいでは、蓮見がわざわざ家から持って来たのか、ゲーム機で遊んでいた。皆、まだ髪が濡れているところを見ると、温泉後のまったりタイムのようだ。
(ちょ、ちょっと待て…。え?なんで?)
無意識に頭に手をやり、もはやパニック状態の自分に心の中で話しかける。
(私、ロビーにいたよね?いつの間に移動?ってか、ここ男子部屋だよね?)
蓮見あたりが何か言っているが、私の耳には届かない。
(あれ、これヤバい状況?西園寺にも、先生にも見つかったらヤバいやつだよね?)
「あの、なぜ私はここに…?」
聞きたくないような、聞いてはいけないようなそんな面持ちで私は口を開いた。
五十嵐が欠伸をしながら言った。
「僕が連れて来た。まだロビーで寝てたから」
私は「はあ?」と五十嵐の方に向いた。
(何をしてくれてんねん!そっとしておいてよ!)
心の中で威嚇しながら思い切り五十嵐を睨みつける。
「風邪引くよって言ってたの誰?」
どこかムッとした表情で五十嵐が言った。
「あれは、あなたの髪が濡れてたからで…」
「髪が濡れてなくても、あんなところで寝てたら誰だって風邪ひく」
「私は引かないわ」
「この意地っ張り」
五十嵐がふんと鼻を鳴らし、私は自分の拳が震えるのが分かった。
(このクソガキ~!)
「まあまあ。この話、そんな簡単じゃなくてさ」
蓮見が腕を広げながら、私たちの間に入った。しかしどこか楽しげな表情をしている。男子部屋に女子が一人だけいるスリル感でも味わっているのだろうか。完全にこの状態を面白がっている。
「俺と海斗が風呂に行った時にもまだロビーで寝てたから、白石ちゃんを女子部屋に戻してあげようとしたんだよ。でも鍵はかかってるし、ノックしても誰も扉を開けてくれないから、連れて来ちゃったの」
(来ちゃったの、じゃないわ!)
無邪気な蓮見の笑顔に、苛立ちを覚える。
ここにいるお三方は事の大きさを何も分かっていない。先生や西園寺に見つかるのも、もちろん心の底から怖いが、何よりこのお三方が好きな女子たちに知られたら、いびられるに決まっている。
(これ以上余計な敵を作りたくないのに~!)
「お前、部屋追い出されたの?」
天城が本から顔を上げて、私をじっと見つめた。
「いや、まあ、でも点呼の時に帰ればいいから…」
私はしどろもどろになりながら、答える。
「女子って怖いね」
五十嵐が興味なさそうに呟いた。
(それよりも、ここにいる方がヤバい)
私はすくっと立ち上がった。
「どこに行くの?点呼まであと少しあるけど」
腕時計を見ながら、蓮見が言った。
「ロビーに戻るわ。ここにいたら…」
その時、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。私はさっと口を手で覆った。
「どなた~?」
私の緊張などお構いなしに、蓮見が明るい声でノックに答えた。また別の階から女子が遊びに来たとしか考えていないのであろう。天城は何も気にせず本の続きを読んでいるし、五十嵐はすでに布団を頭からかぶって寝ている。
(少し早めの点呼に来た先生だったら…?あー、嫌だ!男子部屋に遊びに来るような人間に認定されたらどうしよう!それより、こんなことが広まったら絶対母親にぶっ飛ばされる)
頭の中で色々考えながら、私は足音を立てないように、壁の方に後ずさった。
しかし、扉の向こうから聞こえた声の持ち主は、先生よりも最悪な人物だった。
「西園寺よ。天城さま、いらっしゃる?」
「あれ、西園寺だ。海斗」
蓮見が天城の方を見た。
私の顔から血の気が引くのが分かった。
(ヤバい。天城と一緒にいるだけでも私を刺しそうな勢いなのに、男子部屋に一人で乗り込んでいると思われたら、一巻の終わりじゃん!)
どこか隠れるところはないかと探していると、突然腕を引っ張られ、私は布団の中に倒れ込んだ。
「何」
ドアを開ける音がし、天城が答えた。
「話したいことがありますの。上がってもいいかしら?」
西園寺の少し不機嫌な声が聞こえた。いつも天城の前で見せる、乙女モードは発動していないようだ。
「あー・・・」
当惑した天城の声が聞こえた。
「旭がもう寝てる。外でいいか?」
私は布団の中でじっとしながら、耳をそば立てた。早く去って欲しいと心の中で一生懸命に祈るが、その声は届かなかった。
「いえ。お部屋で話したいですわ。五十嵐さまが寝ているのであれば、好都合ですもの」
そして、部屋に上がり込んでくる音がした。西園寺が歩くたびに、畳がきしむ。
私の心臓ははち切れんばかりに脈打っていた。布団の中いるため既に息が苦しいが、呼吸音が聞こえてしまうのが心配で、手で口を押える。
「蓮見さま。申し訳ないですが、少し席を外してもらっても良いでしょうか」
「え!」
明らかに焦ったように蓮見が反応した。
「すぐ終わりますわ」
有無を言わせない強い物言いに、蓮見は「外で待っている」と言うと、部屋を出て行った。
扉が閉まる音が聞こえ、部屋の中がしんと静まり返った。
自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。どうにか音を止められないか。そんなことを考えていると、西園寺が畳に座る音が聞こえた。
「天城さま、お座りにならないの?」
「何の用?」
少し突き放すような口調で言う天城に私は更に焦った。
(もっと優しく話してよ!ここで暴れられたらどうすんのよ!)
私は手に触れた布団をきつく握った。
「先ほどの話ですが…」
西園寺が少し戸惑ったように口を開いたが、天城はその言葉にかぶせるように言った。
「もう話はついたと思うけど」
いつもの天城らしくないと、西園寺も察したのだろう。しかし、それについては何も触れずに先を話し始めた。
「いいえ。まだ、終わっていませんわ」
西園寺ははっきりと言った。
「いきなり、別に気になる人がいると言われても困ります。私はすでに両親と話をしているんですもの。両親が日本に帰って来る頃に、白石さんとの婚約破棄を公に発表しましょう。そして、同時に私たちの婚約を発表するのが良いと思いますわ」
私はぐっと手に力を込めた。
(婚約発表の時期が近づいている…?ということは、突き落とされるのも時間の問題か)
全ての主要なイベントが前倒しになっているのを認めざるを得ない。妹の言う通り、そろそろ本格的に問題の階段を突き止めなければ。
「今は口止めしていますが、教師も含めもう校内では知らない方もいませんし、スムーズに済むと思いますの。あとは、白石家がどう出るが心配ですが、それに関してはこちらにも考えがあります」
「勝手に決めないでくれる?」
黙って聞いていた天城が、低い声で言った。
布団の中に隠れている私でさえ、背筋がぞっとするような声色だ。目の前で見ている西園寺はもっと怖かっただろう。西園寺が小さく息を呑むのが分かった。
「その後をどうするかは俺が決める。それに、白石と婚約破棄をしたのは、お前のためじゃない」
(え、そうなの?)
今度は私が驚く番だった。
「あの時の俺はまだガキだった。ただアイツがきら…」
そこで天城は言葉を止めた。
(嫌いって言おうとしたな、絶対)
私は布団の中で小さく鼻を鳴らした。
「あんな事をして、今は後悔さえして…」
「今更そんなこと仰るなんて酷いですわ!」
西園寺が立ち上がるのが分かった。
「私がどんな思いで…!」
「旭が起きる」
天城は激怒している西園寺をよそに、冷静に言った。
(これが典型的な嫌われる男よ。女心が分からないんだから)
「天城さま!」
「勘違いしているようだけど」
天城が低い声で言った。
「お前と婚約するとは一言も言ってない」
部屋に真冬にも勝る凍った空気が充満した。
(天城のアホ!相手を怒らせてどうすんのよ!言い方があんでしょ!言い方が!)
憎い西園寺のはずなのに、なぜか気の毒に思ってしまうほど、天城の言葉は人でなしすぎる。
「…あまり動かないで」
耳元で五十嵐が言い、背中から回された腕に力がこもった。
西園寺が乱入する前に、五十嵐に腕を掴まれ、彼の布団に引き込まれていた。今五十嵐から体を離したら一瞬で見つかるだろう。
私は言われた通り、布団の中でじっとする。