「あ。白石ちゃん!」
拝殿へと向かう参道で、蓮見が私を見つけて声を上げた。
「途中で姿が見えないから心配したよ!」
「もう帰られたのかと思いましたわ」
口元を隠し、皮肉っぽく西園寺が言ったが、私の後ろにいる天城の姿を認めて一気に表情が変わった。
「天城さま!やっといらしたのですね」
「渋滞だった」
私は隣に立った天城の表情を読もうとしたが、相変わらず何も分からない。西園寺は特別だと言っていたが、それは顔に表れないらしい。
(この鉄仮面め)
「俺たちはもう参拝終わったんだよね。この辺で待ってるから、行って来なよ」
蓮見が私の肩をぽんぽんと叩いた。
「ええ。そうするわ」
私と蓮見が近い距離で話すのが嫌なのか、藤堂の瞳が険しくなっている。西園寺は天城を見つめたままでいるし、ここにいるのは何とも居心地が悪い。
私は逃げるように、拝殿へと足を速めた。

(しかし、人が多いな)
参道は道幅が広いため、人が多くても問題はなかったが、拝殿の前は人口密度が一気に高くなる。前にも後ろにも人が押し寄せ、最近経験した満員電車を思い出した。
平松を買い物のたびに呼び出すのは忍びないと、一人で電車に乗った時のこと。前後ろに自分より縦も横も大きい人に挟まれ、押しつぶされて呼吸が出来なくなり、命の危険を感じた。
それ以来、ラッシュの電車に乗るのを避けていたというのに、まさか電車以外の場所でもそんな体験をするとは。
(息がしづらい…)
昔は、基本的に頭一個分は出ていることが多かったため、息苦しく感じることもなかったし、どんなに混んでいても人の波に揉まれることもなかった。しかし、今は少し背中を押されるだけで、転んでしまいそうだ。
「小さいと、こういう時に本当に不利ね…」
目の前には、参拝客のコートがあり、すぐ後ろでは楽しそうに話している学生が並んでいる。
初詣の話に乗ったのは間違っていたと後悔をしていると、上から声が降って来た。
「マフラーはどうした?」
引き離したはずの天城がいつの間にか隣に立っていた。
「マフラー?」
そう言われて首元を手で確認すると、確かに朝巻いてきたマフラーが消えていた。
「どこかで落としたみたい…」
足元を見るが色々な足が入り乱れているため、この中でマフラーを探すのは無理に近い。発見した時には、いろんな人の足跡が付いていることだろう。
天城は大きなため息を吐き、自分のマフラーを外すと私の首に巻き付けた。
「なんで?」
あまりに驚いたので、素が出てしまった。
クリスマスパーティーの時といい、天城はどこかおかしい。
「風邪を引かれると困る」
「ああ…」
(そういうこと)
私はふっと笑った。
「まだ世間体的には、婚約者同士ですものね」
一緒に神社に行って、白石透だけ風邪を引いたと噂が広がれば、困るのはきっと天城家だ。
「は?」
天城の声に少し苛立ちが含まれた。
私は彼から視線を逸らさずに言った。
「周りに誰もいない時には、気遣いをして頂かなくても結構よ。私の方は、私で何とかするわ」
天城が何か言おうと口を開いた瞬間、ちょうど前の人がいなくなり、私の番になった。
賽銭箱の前に立つと、財布から五円玉を出して、放り投げる。
(なんか願い事…)
願い事なんて数えきれないほどあったはずなのに、人混みで疲れたのか今は何も思いつかない。後ろがつかえている為、考えている時間もあまりない。
(とりあえず、誰も傷つかない形で全てが上手く収まりますように!)
私は一礼をし、その場から逃げるように立ち去る。
参拝客の波から少し外れただけで、途端に息がしやすくなった。
「今後、人混みは避けよう…」
そう心に決め、蓮見たちが待っているという砂利道へと足を向けた。
しかし、先ほど蓮見達がいたところには、何かを飲んでいる西園寺しかいなかった。
(また二人きり…)
辺りを見渡し、皆の姿を探した。
「蓮見さんたちは…」
私はそこまで言いかけたが、西園寺の鋭い睨みによって口をつぐんだ。
「そのマフラー。なぜ貴女が持っているの?」
威嚇するような低い声で西園寺が言った。
(そうだ。天城のマフラー…)
「先ほど、マフラーを落としてしまって、天城さんが私に…」
「嘘を言わないで。また無理やり奪ったのでしょ!」
カップを持っている手が震えている。
(何言っても信じてもらえないな)
私は首からマフラーを外すと、西園寺の空いている方の手に押し付けた。
「西園寺さんから返して頂けると嬉しいわ」
西園寺は驚いたように目を見開いたが、マフラーに目を移すと一瞬だけ柔らかい表情になった。
(ただ天城が好きなだけだもんな~。この子も)
最終的に悪いことをしてしまうキャラであっても、その根源は好きという感情からだ。
西園寺が少し気の毒になった。しかし、そんな彼女が私に視線を戻した時には、ギラギラとした憎悪に満ちた瞳に戻っていた。
「どうして、貴女ごときが天城さまの隣にいるのかしら」
西園寺が言った。
(ごときって…。私だって居たくて居る訳じゃないのに)
そう言い返したいが、やめておく。ここで喧嘩を買ってはいけない。
「嫌がる天城さまを無理強いして婚約者になるなんて、本当に卑しい人ね!迷惑がられているのが分からないの?」
「そうね」
私は素直に頷いた。
「確かに、昔の私は彼の気持ちを考えていなかったかもしれない。でも、今は違うわ。私の側に居ることを無理強いしていないもの」
西園寺の顔が歪むのが分かった。
「何様のつもりなの?天城さまが好んで貴女の近くにいるとでもいうの?貴女を見るだけで虫唾が走るわ。今後一切彼に近づかないで頂戴!」
声を荒げてそういう西園寺に向かって、私はぼそりと呟いた。
「近づいているつもりはないのだけど」
(むしろ避けている方・・・)
私の態度が癇に障ったのか、西園寺は持っていたカップの中身を私にぶちまけた。低い外気温のおかげか、コーヒーは完全に冷えていたため、火傷の心配はいらなかった。ただ。白いコートにコーヒーの染みは、人目を引くものがあった。
私は大きなため息を吐いた。
(…コーヒーだったか)
〈記憶〉のおかげで「何か」をかけられるのは分かっていたが、勝手に水だと思い込んでいた。しかし、このままの恰好でいるのは恥ずかしい。
「彼は私のものよ。誰にも渡さない!」
私は顔を上げ、もはや正気を失っているとしか思えない西園寺を見た。西園寺は、紙コップをぐしゃりと握りしめ、鋭い眼光で私を思い切り睨みつけている。
「これが最終通告よ」
低い声で言った。
以前見た西園寺とは全く異なる風貌に、私は言葉を失っていた。初めて見た時は、凛とした大人びた印象だったのに、今は全身を震わせ、顔を真っ赤にしている、全く余裕のない西園寺だった。
「何してんの?」
湯気の立ったカップを持った天城が言った。後ろにいた蓮見が驚いている一方で、隣に立っている藤堂はどこか楽しげに笑っていた。
「何でもありませんわ」
私はそう言ったが、西園寺は天城に顔を向けた。なぜか涙ぐんでいる。
「白石さんの方から、ぶつかって来ましたのよ!私は謝ったのだけど、許してくれなくて…」
天城の刺さるような視線が、西園寺から私のコートへと移る。
「本当か?」
「どうでしょう」
私は肩をすくめた。それから口をぽかんと開けている蓮見に向かって言った。
「今日はお誘いありがとうございました。申し訳ないけど、私はここで失礼しますね」
小さくお辞儀をすると、私は化粧室へと向かった。後ろで、藤堂が大げさに西園寺に駆け寄り、「もう大丈夫」と優しく声を掛けているのが聞こえた。