体育に参加する気のない五十嵐は、私の濡れた教科書とノートを持ったまま保健室へと消えた。保健室にあるストーブの前で乾かしておいてくれるらしい。
私は使った形跡のない五十嵐の教科書を見ながら、考えていた。
(また、五十嵐に借りが出来てしまった)
何か困ったことがあるたびに、登場する三人を避けられずにいる。
漫画では、婚約者であった天城以外は、ほとんど描かれることがなかった。つまり、彼らの性格や動きが全く読めないのが避けられない理由の一つでもあった。
(今のところ悪い方向には行ってないから、放っておいて大丈夫かな)
そう今は、他に考えなければならない事が出て来てしまった。
先ほどから、隣の榊がじっとこちらを見つめて来る。その視線が気になって、全然授業に集中出来ない。まだ教科書を貰っていないという彼と共に一緒に見なくてはならないのが、大変で仕方ない。右手で顔を隠しながら、教科書をめくり、ノートに書き込む際には髪の毛をだらりと垂れ下げて顔を隠す。
「お前さ…」
榊がぼそりと言った。
「何かしら?」
普段より声を高くして、私は聞いた。
「その髪、暑苦しくない?」
(え、今?)
予想だにしていなかった質問が飛び出し、私は思わず榊の方を見そうになった。
「慣れているから平気よ」
私は心を落ち着けてから答えた。
「ふうん」
答えに満足している様子はなかったが、黙った榊に私は一瞬安心した。しかし、それも本当に一瞬だった。
「バスケする時みたいには、結ばないんだ?」
この時ばかりは、榊の方を向いてしまった。目が合った榊がにやりと笑った。
「やっぱりな」
「白石」
何か言おうと口を開きかけた時、担任が私の名前を呼んだ。
「お前ならこの問題解けるか?」
教室を見渡すと、郡山が気まずそうな顔をしていた。授業中に注意された結果、先生にあてられたが、答えられなかったのだろう。
私は静かに立ち上がり、黒板に式と解を書いた。
「よし、正解だ」
満足そうに先生は言った。
郡山が口の中で何か呟いていたが、その声は誰にも届かなかった。私は満足げに郡山を一瞥すると、席に座った。
「あれ、猫かぶってる?たいぶしおらしいけど」
小声で榊が言うのを、私は手で制した。
「あとで話しましょ」