妹と供養をした夜以来、凛子の姿を見ることはなくなった。ほっとしたような、どこか寂しいような、そんな気持ちがしばらくの間消えなかった。しかし、そんな私を置いて月日はどんどん進んでいく。
そして、とうとう4月上旬。虐めのイベント盛りだくさんの高校2年生となる季節がやって来てしまった。
「大丈夫なの?」
ある日の夜、私の部屋にやって来た妹が聞いた。高2から色々事件が起きると嫌でも記憶している妹は心配でたまらない様子だ。
「やはり原作通り、郡山(こおりやま)と藤堂と同じクラスになった」
新学期初日、2-Bに行くと見慣れた顔ぶれがいた。予想していた通り、郡山や藤堂の取り巻きも一緒のクラスだ。
「藤堂さんの様子は?」
妹はソファーに座ると、私の方を向いた。
「それが」
私は腕を組んだ。
「西園寺と既に接触しているせいか、もう白石透に秘密がバレたと思っている気がする」
最近の藤堂の行動を思い出す。
いつもは鬱陶しいほどに仲良しアピールをしてくる藤堂が、私を見ると凄い形相で睨んでくるようになった。以前も敵意は隠していなかったが、人前ではあからさまな態度は取ることはなかった。しかし、最近では、明らかに敵意をむき出しにしている。
「ということは、イジメは…?」
「まだだけど、それも時間の問題だね」
「ちょっと!」
妹が私の腕を叩いた。
「もっと被害者意識を持ちなさいよ!」
「そうなんだけど」
どこか他人事のように言う私に、妹は苛立ちが隠せないようだ。
「でも、回避は出来そうなんだよね」
まどかが身を乗り出した。
「本当?」
「何をしてくるか分かっているから、その前に動けばいいじゃない?例えば、机にペンキを巻かれる件に関しては、前以てペンキを隠しておけばいいでしょ。教科書が捨てられる件は、勉強道具を毎回持ち帰ればいい。罵声に関しては…まあ、無視ね」
妹が私の顔をじっと見つめた。
「そのペンキはどこにあるの?」
「え?」
私は言葉に詰まった。
「ええっと、美術室か用務室?」
「全然だめじゃない!」
まどかの雷が落ちた。
「ペンキを隠すって言っても、まずそのペンキがどこにあるのか知らなければ準備のしようがないわよ!」
「いや、全くその通りです…」
「もう。手がかかるんだから」
妹はそういうと、膝に置いていたパソコンを開き、何やら調べ始めた。
「え。もしかして、どこに何があるのかも調べられるの?」
何やらよく分からない文字が並んでいる画面を見ながら私は聞いた。
「まあ、見てて」
見ていても何も分からないが、まどかは発見したようだ。
「ペンキ缶は全部で18個あるわ」
「え、そんなにあるの?」
数缶しかないものだと簡単に考えていた私は、思わず声を上げた。
「それに、結構バラバラだわ。職員室、美術室、用務員室、園芸部の部室…」
何故そんなところにペンキ缶が、と疑問も思う場所にまである。
「重石代わりに使っているケースも考えられるわね」
まどかはキーボードを何回か叩いた。
「まず園芸部の部室や職員室は外れるわ。不審に思われずに運び出すのは難しいし、園芸部は校舎から離れている」
「確かに」
「美術室も違うわね。藤堂さんが階段を登ってまで運ぶとは思えないわ。1缶でもかなり重いもの」
「そしたら、用務員室?」
確かに自分のクラスと同じ階に用務員室はある。そして、用務員室から2―Bの教室までの距離もそれほど遠くない。運ぶのは容易かもしれない。
「そこが一番有力ね。藤堂さんの手の届かないところに置くか、見つからないように隠しておいて」
「分かった。やってみる」
妹はふうとため息を吐き、それから私の方を向いた。
「それで、階段探しの方は順調なの?」
「それが、まだ…」
暗い場所しか特定が出来ず、校舎内には至るところに階段がある。この中から特定するのは難しい気がした。
「何か他に情報があればいいのだけど」
妹が天井を仰ぎながら呟いた。
私は「あ」と声をあげた。
「そう言えば、この前。西園寺の家に行った」
「はい?」
まどかの瞳が大きく見開かれた。
「危険なことはしないって…!」
声が震えている妹に、私はすぐに弁明する。
「大丈夫、西園寺はいなかったから!公園でたまたま会った人が、西園寺のおばあさんで、知らずに招待されただけ」
妹は疑わしそうに私を見ている。
「西園寺は、体が弱くて学校にあまり来られないらしい。だから学年もダブっているって」
「え!その情報、早く教えてよ」
まどかの言葉に、私は首を振った。
「漫画にはそんなこと書かれていなかった。裏の設定だったのかもしれない」
「ちょっと待って」
妹は再度パソコンに向き直り何やら調べ始めたが、すぐに頭を振った。
「だめだわ…」
「どうしたの?」
まどかは私の視線を受け止めて言った。
「もし留年するほど学校を休んでいて、家にもいないのであれば、彼女は基本的には病院にいるはず。入院生活の合間に登校しているというのなら、校内で中々会わないのにも辻褄が合うし、他の人に虐めを委ねるのも頷ける」
妹は続けた。
「もし、どこの病院に西園寺響子がいるのか分かれば、外出日を特定できる。それさえ分かれば、お姉さまが警戒すべき日が特定できるのよ」
頭の回転の早い妹を、私はただ茫然と見つめるしか出来ない。
「ただ、そんな簡単に場所を突き止めさせてくれないのよね」
キーボードをタンタンと打ちながら、まどかが残念そうに呟いた。
「学校の記録にも残っていないし。隠しておきたいのかしら」
それから、まだ無言でいる私に言った。
「何とか病院を見つけるから、それまでは用心していて。もちろん西園寺響子以外の子にも要注意よ。何をされるかあらかじめ分かっているとは言え、ちゃんと回避できるかどうか。お姉さまを見ていると心配になってくるわ」
ため息を吐く妹に向かって、私は強く頷いた。
「大丈夫よ」
妹に頼ってばかりは、いられない。
「こっちには事前情報があるんだから」
任せてと、私はウィンクしたが、妹は呆れた顔をしただけだった。