時間通りに仕事を切り上げた司は、急ぎ鈴木の車に乗り込む。

「何時までにお戻りになればよろしいですか?」

いつも忙しい司の事だ。きっと分刻みに働いているだろうと考慮する。

「1時間以内に戻ると言ってある。それよりも間に合いそうか?」

「ええ、道が少し混んでいますが、裏路地に入れば直ぐですから。」
鈴木は微笑みを浮かべる。
司が今まで仕事以外を優先した事なんて無かったのだから。

10時きっかりに待ち合わせ場所の喫茶店に着く。

相手側は既に到着していたらしく、入口で名前を聞かれ席に通された。

「初めまして。東雲家で三年ほど女中をしておりました琴乃と申します。」

小さな赤子を抱いた女性が立ち上がり挨拶をする。

「初めまして。お手紙を出させて頂きました鈴木と申します。こちらは当家の次期当主です。
今日はお忙しいところ足を運んで頂きましてありがとうございます。」
鈴木がにこやか挨拶をして、司を紹介する。

司が初めましてと、頭を下げて挨拶もそこそこに早く座る様にと琴乃に促す。

赤子はよく眠っているようだ。横に置いてある籠の中にそっと寝かす。

「時間もはばかれますので、単刀直入にお聞きます。
女中として東雲家で働いていた頃、10代の子供のような女子が下働きにいなかったでしょうか?」

いつもより声のトーンを下げた司は、赤子を起こさぬように配慮しながら話し出す。

「私が女中に入った年に、女の子が1人どこからか連れて来られました。彼女は不思議な存在で、誰も話しかける事すら出来ず…。
主人から関わるなと…一切話しかけるなと…言われておりまして…来られた時は女学校の初等部を卒業したばかりのお年頃で…本当にお可哀想な事を…。」

そう言って、ハラハラと涙をこぼす。

司はポケットからハンカチを取り出し琴乃に渡す。
「その子の名前をご存じですか?」
男2人は片唾を飲み返事を待つ。

「森山…莉子様です。
お父様が自死されお取り潰しになった公爵家の長女だと伺いました。」

男2人は顔を見合わせる。

だからか、と言う気持ちが溢れる。

どこか女中とは違う佇まい。気品や育ちの良さを感じられる立ち振る舞い。

全てが繋がる。

「それは…どなたから聞いた話しですか?」
司は食い付くように話しかける。

「本人からです…。
あまりに可哀想な仕打ちに見ていられ無くなって…半年経った頃、隠れて余ったお菓子やパンを差し上げたりしました。
とても優しいお嬢様で、紀香様とはまるで正反対です。お可哀想に…紀香様の癇癪の矛先になっていつも、叩かれたり物を投げられたり…水をかけられたり、生傷が絶え無いほどの仕打ちを受けられておられました。」

司は拳を握り締め、東雲紀香に今まで以上の怒りを覚える。

「東雲家は皆そのように彼女を扱っていたのですか?」
司は怒りを押し殺して質問をする。

「いえ、旦那様とお兄様の信彦様はそんな事はなかったと思います。信彦様はどちらかと言うと庇っていらっしゃったかと、奥様は躾けと称してよく蔵に莉子様を閉じ込めたりもしておりましたが…。」

司は額に手を当て天を仰ぐ。
歳はかも無い子供を痛ぶってたなんて…奥歯を噛み締め怒りをおさえる。

それでも耐え忍び、彼女が今までなんとか生き延びていてくれた奇跡を噛み締める。