そのタイミングで、
「司様、そろそろお時間ですよ。」
と、千代の声が襖の向こうから聞こえてくる。

そこでお互いやっと近い事に気付き、ハッとして慌てて離れる。

「あらまぁ、仲の良い事で。ネクタイの縛り方を教えてあげてらしたのですね。」
襖から顔を出した千代が、ニコニコと満面の笑みを司に向けてくる。

「興味がありそうだったから…。」
司は淡々とそう言って、ネクタイピンを自分で箱から出して付ける。

ネクタイピンを知らなかった莉子は、恥ずかしくなる。それに何もお役に立てず、逆に忙しい時間を邪魔をしてしまったという、後悔の念に駆られる。

それでも小物だけでもと、急いで膝を付き手渡してみる。

「ありがとう。
そのネクタイ貸してやるから練習してみればいい。今日はそれが君の仕事だ。帰ったら出来るかどうか見せてもらうからな。」

司はフッと軽く笑みを残し、カバンと帽子を持って足速に部屋を後にする。

「ありがとうございます…。」
莉子は袖元にそのネクタイを急いで仕舞い、司の後を、千代と共に追いかけて玄関へと行く。

玄関には既に女中頭の中澤を先頭に、女中が5人ほど並んでいるから、莉子もそちらへと並ぼうとするのに、千代から手を取られ、笑顔を向けられ止められる。

「司様のネクタイが少し曲がっています。」
小さな声で千代から言われ、
莉子はハッとして、靴を履いている司の側に急いで行く。

「あの、ネクタイが…。」
そっと手を伸ばしネクタイの曲がりを整える。

土間に立つ司と向かい合うと、身長差が急に縮まり顔が近いと、思わずドギマギしてしまう。

「ありがとう。
今日は家で夕飯を食べる。帰りに何か甘味を買ってこよう。」

司はそうにこやかに言って、莉子の頭をポンポンと撫ぜるから、その場にいる誰もが驚き息を呑む。

あれは誰?今のは何⁉︎
若い女中は顔を見合わせ驚きを隠せない。

今まで司がこんなにも爽やかに笑ったところを、一度だって見た事があっただろうか?

彼は誰が目を奪われるような美男子だ。

それに背も高く、そこに居るだけで存在感は半端ない。

ただ、笑わずいつも無愛想で近付き難いオーラが合間って、乳母の千代以外、誰も親しげに声をかけるなんて出来ない雲の上の人なのだ。

何かどうなってしまったのか…
千代以外は皆、動揺を隠せない。

「行ってらっしゃいませ。」
千代が正座をして司に頭を下げる。
それを見て莉子も慌てて隣に座り頭を下げる。

「行って来る。」
司は踵を返し、颯爽と玄関を出て行く姿をみんなで頭を下げて見送る。