困惑しているのは司も同じで、まだ怪我人である彼女がなぜ働いているのかと怪訝な顔をしている。

「なぜ女中のような真似をしている?
君はまだ怪我人だ。仕事なんてしなくていい。
身体を冷やすといけない早く部屋に戻るんだ。」
少し命令口調でそう言われて、手を引っ張られ客間へと連れ戻される。

「あの…司様、私もう熱も下がりましたし大丈夫です。これは、私が千代さんにお願いして働かせてもらっているのです。」
莉子は引っ張られながらも必死になって説明する。

昨夜、帰りが遅かった司には話しが一切通ってなかったようだ。

「そんな事、俺は許可してない。部屋で大人しくしているんだ。」
怒り口調でそう言われると、莉子は萎縮してしまう。

「申し訳、ございません。」
正座して頭を深く畳につけて詫びている。そんな莉子を見て、

ああ…しまった…やってしまった。と司は動揺する。

「いや…怒っている訳ではない。頭を上げてくれ。
…まだ、朝方は寒いから…。それに、君は我が家にとっては客なんだ。働かせるつもりでここに置いている訳ではない。」

声のトーンを落として、なるべく冷静になって話しかける。

「あの…ずっと… 寝ていると身体が鈍ってしまいますし、何が恩返しがしたいと相談したところ…麻里子様の花嫁修行の指導をお願いされました。
私には力不足だと重々分かっておりますが…それでも何かお役に立てればと思っております。」

今までになく一生懸命に話す莉子のお願いを、無碍にする事は出来ず司も腕を組んで考える。

実は医者から脳震盪を起こした後、数ヶ月はまた同じように頭をぶつけると、命に関わる危険があるから気を付けるよう言われていた。

その事もあって、司としてはあまり動き回って欲しくないのだ。

怖がらせるといけないと、本人や千代達には伝えていなかった。

「分かった…。
とりあえず麻里子の身の回りの世話からにしてみないか?怪我をして以来、着替えや移動など日常生活に手助けが必要なんだ。」

莉子は司の提案に二つ返事で、

「是非やらせて下さい。
麻里子様の怪我は元はといえば紀香様のせいなのです。そのお詫びが少しでも出来れば嬉しいです。」

笑顔と共にそう言う莉子を、司は思わず見惚れて固まる。

この笑顔が見たかったんだと司は確信する。

彼女が俺に向けてこの笑顔を見せたのは初めてだ。

歓喜にも似た感情が湧き上がり、ドクドクと脈打つ音が全身を包む。

「君が東雲紀香の罪を被る必要はない。
麻里子が起きたら伝えるからそれまでは部屋で大人しくしててくれ。」

司はぶっきらぼうにそう言って、そそくさと部屋を後にした。

冷えた廊下を足速に歩きながら司は自答する。

何を俺は動揺しているんだ?
彼女の笑顔如きでこれほど心が躍るとは…。

自分が自分でよく分からない感情は初めてで、高鳴る鼓動を上手く治める事も出来ない。

ただ、脳裏に先程の莉子の笑顔が焼き付いて離れないのだ。