一歩足を踏み入れると、そこは大勢の人々で賑わい、赤色の提灯がいたる所に灯り、薄暗い夜に花街だけが照され浮かび上がって見える。

それは幻想的で、まるでひと夜の夢のような儚い輝きを放っていた。

「失礼ですが…花街は初めてですか?」

若旦那に話しかけられ正直に話す。

「恥ずかしながら接待でも来た事が無く、足を踏み入れたのは初めてです。」

「そうでしょう。
貴方は健全な生き方をしておられると見られる。僕はどっぷりハマってしまって、なかなか抜け出せないでいるよ。」
苦笑いする若旦那につられて愛想笑いする。

色恋沙汰に疎い俺には到底理解できないが…。 
いや…もし、ここに莉子が居たとしたら…毎日でも通うな。他の男になんて指一歩触れさたくない。いくらでも大金を積んで直ぐに連れ去るだろうな。

と、ついそんな事を考えてしまう。

「学君とはこのところ良く会うから、ご贔屓でもいるのかと思ったら、人を探してると聞いて、贔屓の花魁に聴いてみたんだ。そしたら知ってる子だって言うからさ。」

「わざわざありがとうございます。
藤屋は敷居が高くなかなか入れないと聞いていたので、非常に助かりました。」
俺は誠心誠意感謝を込めて礼を言う。

そして人混みをすり抜けながら、若旦那の後を着いて行く。まるで縁日の境内を歩くような感覚だ。

しかも…
さきほどからやたらと女子達に声をかけられ、腕を取られ…なかなか前に進めない。

こんな場所に莉子を連れて来なくて良かったと心から思った。

「ねぇねぇ、お兄さん良い男だねぇー。こっちで遊んで行かないかい?」
思う側から腕にしがみついて来る女が1人…

「悪いが…行く場所は決まっている。」

そう言って振り解くのだが、相手もなかなか強情で離れてくれない。しかも白粉や香水の匂いがキツくて酔いそうだ。

花街の仕組みは良く知らないが、客引きや呼び込みは風紀法に定めていないのか?
苛立ちを感じながら前方一点だけを見て歩みをなんとか進める。

「申し訳ないけど僕ら、今から大事な用があるんだ。
終わったら戻って来るから離してやって。」
見兼ねた弟の学が、俺に絡み付く女子を説得してくれる。

「兄さん、適当にあしらいなよ。さっきから女達を無駄に惹きつけてる。いつもの冷酷な感じで払い除けてけば良いんだよ。」
学が呆れた顔でため息を吐き、俺を見やる。

「そんなに俺は鬼じゃない…。
それに…必死で商売してるんだ無碍にも出来ないだろ。」
眉間に皺を寄せて言う。

「婚約者が出来てからやたら女子に甘いね。」

「司君は婚約者がいるんだ。
それじゃ、こんな所に呼び出さない方が良かったね。バレて婚約破棄になったら大変だ。」
若旦那が楽しそうにそう言ってくる。

「いや、彼女には行く前に予め告げて来たので問題にはお呼びません。」
と顔色も変えず淡々と話す。

「理解のある出来た婚約者だねぇ。羨ましい限りだ。僕にも遠い昔に許嫁がいたんだけどなぁ…。」
ふと若旦那は遠い目をし、昔の思い出に思いを馳せる。

許嫁が居たのにこんな場所に通われていたのかと、俺としては少し避難の目を向けてしまう。

「本当…あの頃の僕はどうかしてたね。
遊び呆けてないでサッサと婚約しておけば、今頃まともに生きられていたかもしれないね。」

フッと寂しそうに笑う彼に何が会ったのか…図る由はない。

慰めの言葉も思い付かずにいる俺を横目で見ながら学が、

「いろいろあったんですね、若旦那も…。
まぁ、浮世の事は忘れて楽しみましょう。ここはそう言う所でしょう。」
と、若旦那を慰める。

「学君は若いんだから、花街なんかにハマッちゃダメだよ。」

「肝に銘じます。」
ふざけて笑いながら学が頭を下げる。

俺には到底こう言う返しは出来ないな…。そう思いながらひたすら目的地を目指して無心で歩く。

「君達兄弟は似て非なるだね。まるで月と太陽だ。
こっちの世界じゃ学君が陽だけど、外の世界じゃ司君が陽になるんじゃないだろうか。
君はお日様の当たる道を真っ直ぐ歩く人と見た。
僕と違って…だから一度会ってみたいと思ったんだろうな。」

そう呟く若旦那はまるで世捨て人みたいな顔をする。

それは出会ったばかりの莉子を思い出させ、胸がズキンと痛む。