「ばばばば……ばかっ!! 1人でお粥くらい食べれるでしょっ!」

「寒気がするし、具合が悪くて手に力が入らない」


「えっ、え゛ぇえっ?!?! 嘘でしょ?」

「ゴホッ……ゴホッ……、ソファに座って口を開けるからスプーンで食わせて」



『お前は俺様じゃなくて王様かよ』……と突っ込みたくなってしまったけど、私は雇用契約を結んでいる家政婦だ。


ーー21時6分。
退勤時間はとっくに過ぎているけど、高熱で苦しんでいる彼も心配だから、渋々意見を飲んで再びエプロンを装着した。

彼がソファに腰を落としたのを見て、お粥とスプーンとお水を持ってリビングテーブルに置く。
彼は少し辛そうに息が上がっていて、隣に座っただけでも熱気が伝わってくる。
とりあえずご飯を食べさせたらベッドに連れて行こうと思って、スプーンでお粥をすくって彼の口元へ。
しかし、彼は顔を横にプイッと背ける。



「フーフーしてない。俺、猫舌なんだよね……」

「そこまで必要かなぁ」


「早く……フーフーして。ゴホッ……ゴホッ……」

「わっ、わかったから!! もう、ちっちゃい子どもみたい。しょうがないな……。フーフー」



結菜はお粥に息を吹きかけてからスプーンを口元へ持っていくと、日向は生気のない目で口を開く。
しかし、その姿があまりにも衰弱していたので、一口食べさせてからお皿とスプーンをテーブルに置いてスクっと立ち上がった。



「やっぱり薬局に行ってくるっ! すぐ帰ってくるから少しだけ待っててね!」



今にも倒れてしまいそうな彼を見ていたら、ついに我慢は限界を迎えてしまった。
日向が心配で、心配で、心配で……。
1分1秒でも早く回復して欲しいと心が強く願っていた。

しかし、一歩足を進ませようとした途端、彼に右手をギュッと掴まれた。
そのまま驚いた目を向けると、彼はやつれた目を向ける。



「薬は要らないから傍にいて欲しい……」

「でも……、日向が倒れちゃったら嫌だよ」


「ゴホッ、ゴホッ……、どうして?」

「どうしてと言われても……。家政婦……いやっ、日向の親友だから心配してるの」



この時点で様子がおかしかった。
普段はこんな事を言う人じゃないのに、薬を拒んでまで傍にいて欲しいだなんて通常では考えられないから。

ところが、彼の身体はそのままぐったりとソファにもたれかかると、不安定な息遣いが届けられた。
しかし、次の瞬間。
彼は目を閉ざしたまま驚くべき事を口にした。



「親友…………じゃ、無理……」

「えっ?」


「あいつに……1秒でも……触れて欲しくない……から……」



私は、口を開くのが精一杯になりながらもブレーキがかかってるかのように一つ一つの言葉を丁寧に言われた瞬間、人生最大級の胸の高鳴りに襲われた。

あいつって、もしかして二階堂くんの事かな。
今朝抱きしめられてる所を引き離しに来たのは、二階堂くんに触れて欲しくなかったから?

……ううん、多分それは勘違い。
自分の都合のいいように解釈してるだけ。
またいつものようにセリフの練習をしていただけなのに、バカみたいに間に受けちゃったよ。
私……、なんか変。


心の中で気持ちの軌道修正をしてると、日向の手の力がスッと抜けてスースーと寝息が聞こえてきた。
額には無数の汗。
身体が風邪と戦っている証拠だった。

私は洗面所からタオルを持ってきて、額にポンポン当てながら汗を吸い込ませた。
本当はベッドまで連れてってあげたかったけど、そこまで運ぶ力がないから身体を横に倒して夏掛けをかけてから、水で冷やしたタオルを額に当てた。

その間、彼の言葉を頭の中でループさせながら。



「さっきの言葉は聞かなかった事にするね。私、また真に受けちゃいそうだから……」



私は歯を食いしばって気持ちに踏ん切りをつけてから彼の家を出て行った。

トクントクンと揺れる鼓動。
蒸気が吹き出しそうなほど真っ赤な顔。
そして、後ろ髪が引かれる想い。

さっきの言葉を思い出すだけでも心が引き留められてしまうのは何故だろうか。


結菜が赤面したままエントランスを出ていくと、ドラッグストアのレジ袋をぶら下げながら付近を歩いていた堤下がそれに気づいた。