「お兄ちゃん、おしっこ〜……」



突然甘い雰囲気を断ち切るかのように、日向の正面側からクマのぬいぐるみを抱えているミカが目をこすりながらリビングにやってきた。
結菜の気持ちは既にパンク状態だが、日向は平然とした顔で身体を起こしてソファーを周ってミカの方へ寄っていく。



「こらこら、寝る前にトイレに行くのを忘れたの? あんなに注意したのに」

「トイレには行ったよ。ジュースをいっぱい飲んじゃったけど」


「そっか。じゃあ、トイレに寄ったらまた布団に入ろうね」



日向はミカの肩に手を添えながらトイレに連れて行くが、その背中は動揺している気配は感じられない。
結菜はここで気持ちの温度差を感じると、ソファーにうつ伏せになって左右の拳で座面を交互に叩いた。

ボフッ、ボフッ、ボフッ……

もぉぉおぉぉぉ!
あいつったら、何なのよ〜〜!!
いきなり変な事を言ってくるから、どうしたらいいかわかんなくなっちゃったよ。

さっき言ってたのは冗談だよね。
普段から変な事を言ってくる人だから、冗談と本気の境目がわからないよ。

……でも、もしあれが本気だったら?
なんて答えればいいの?
私には二階堂くんがいるから無理って断った方がいいかな。
変に期待させて気があるなんて思われたくないし、誤解を与えるとまた調子に乗りそうだし。

うん、そうしよう!
あいつが戻ってきたらちゃんと断ろう。
興味がない事を伝えなきゃ勘違いされちゃう。


彼はミカちゃんをトイレに連れて行ってから7分後にリビングへ戻って来た。
その間ドラマの続きを観ていたけど、内容が一切頭に入って来ない。
さっきの言葉だけが頭の中をグルグルと循環している。

彼はダイニングイスに座って再び食事を始めると、私の心臓は7分ぶりに跳ね上がった。
過剰に意識する必要なんてないのに。



「あのっ……。さ、さっきの返事だけど……」

「ん、何の返事?」


「ほら、『どうしたら俺を好きになってくれるの?』って言ってたでしょ?」



話を蒸し返すのは嫌だけど、中途半端なままになるのも嫌だ。
もし、本気で気持ちを吐き出してくれたのなら誠意を伝えたいと思っている。
断る準備は万端。
あとは自分の考えをきちんと伝える所までが今の目標だった。

ところが、彼は気まずいあまり俯いている私とは対照的にあっけらかんと答えた。



「あぁ〜あ、さっき俺が言ってた事を言ってんの? もしかして間に受けてたの?」

「へっ?」


「俺がミカをトイレに連れて行ってる間にドラマの続きを見てたら気付いたかと思った。俺のシーンに切り替わった時に言ってたでしょ」

「何を?」


「『何を?』って……。さっきのセリフ以外何があるんだよ。ドラマを楽しんでたから先取りサービスで俺のシーンのセリフを言ってやったのに。……もしかして、ドラマの続きを観てなかったの?」

「そっ、それは……。観て……あはっ。てっきり私に愛の告白でもしてるのかと思った」



激しい勘違いを後悔したのは言うまでもない。
ドラマのセリフを言われた瞬間から頭の中が日向の言葉で目一杯になっていて、当然その後のドラマの内容など全く入るはずもなかった。

しかし、恥ずかしい勘違いから始まったこの騒動の先には、本当の地獄が待ち受けていた。