高級住宅街の一角に建つ篠沢邸は、第二次大戦後に建てられた白壁の大邸宅だ。庭こそないものの、立派な門構えとリムジンが三~四台は駐車できるカーポートが家の立派さを物語っている。
 洋館だけれど玄関でスリッパに履き替える日本式の生活スタイルなので、わたしはスリッパの音をフローリングの床に響かせながらリビングへ飛び込んだ。

「――ただいま」

「お帰りなさい、絢乃。桐島くんは?」

 先に帰宅していた母は、部屋着姿で出迎えてくれた。

「もう帰っちゃった。ウチでお茶でも、って引き留めたんだけど」

 落胆して答えたわたしを、母は優しく慰めてくれた。

「そうなの。彼は優しいから、絢乃が疲れてるだろうからって遠慮したのかもしれないわね」

「うん、そうみたい。でも連絡先は交換してもらえたから」

 そして、出迎えてくれたのは母だけではなくもう一人。

「お帰りなさいませ、お嬢さま。奥さまから伺いました。本日は大変でございましたねぇ」

「ただいま、史子(ふみこ)さん」

 彼女は住み込み家政婦の安田(やすだ)史子さん。当時は五十代半ばくらいで、家事一切を任されていて、すごく働き者だ。もちろん今も篠沢家で働いてくれている。

「ママ、これからパパの説得に付き合ってくれる?」

「えっ? いいけど……あなたも疲れてるでしょう? 少し休んでからでもいいんじゃないの?」

「ううん、わたしなら大丈夫だから。行こう」

 この時のわたしを突き動かしていたのは責任感だったのか、父への思い遣りだったのかは今でも分からない。母もわたしから強い意志を感じたらしく、快く父のところへついてきてくれた。


 検査を受けるよう母とわたしから勧められた父は、案の定顔を曇らせた。不機嫌になるほどではなかったけれど、あまりいい反応ともいえなかった。

「パパ、お願い。わたしもママも、検査を勧めてくれたその人だってパパの体が心配なんだよ? だからその気持ちは分かってほしいの。パパだって病気が早く分った方が安心でしょ?」

 渋っていた父に、わたしはとどめの一押しをした。母とわたしの顔を見比べた父はとうとう降参した。

「…………分かった、私の負けだよ。絢乃の言うとおりだな。明日にでも検査を受けてこよう。加奈子、私の携帯で後藤(ごとう)に連絡を取ってみてくれ」

「ええ」

 母は父に言われたとおり、父のスマホで電話をかけた。当時、大学病院の内科で勤務医をしていた後藤聡志(さとし)先生は、父と学部は違ったらしいけど大学の同級生で、父が亡くなった後大学病院を辞めてクリニックを開業したと聞いた。

「――後藤先生、明日の午前中に検査も含めて診察して下さるって。あなたのこと笑ってらしたわよ。『あいつ、(いま)だに病院嫌いなのか』って」