翌朝、フレイヤとシルヴェリオとオルフェンはまた治癒院へと向かった。
 今日はフレイヤの祖父、カリオの墓参りの後に王都に帰る予定のため、その前にテミスとチェルソに別れの挨拶をしに来たのだ。

「お姉ちゃん、おはよう。体調はどう?」
「おはよう。まだ吐き気があるけど、治癒師がすぐに治癒魔法をかけてくれるから楽になったわ」
「安静にしてね。それに、退院してからも無理しないでね?」
「わかっているわよ。昨日、子どもが生まれるまで仕事をするなとチェルソから言われてしまったところなの。この機会に赤ちゃんの肌着やら服やらをゆっくりと作り始めるわ」

 ロードンの人々は、子どもが生まれるまでに必要な物を自分たちの手で作る。
 衣類はもちろん、揺りかごやおもちゃなど、あらゆる物を用意して我が子の誕生を待つのだ。

「お姉ちゃん、チェルソお義兄ちゃん。改めて言うね、おめでとう」
「ありがとう、フレイちゃん」 

 チェルソが照れくさそうに礼を言う。
 テミスもまた照れくさそうで、はにかんだ笑みを浮かべた。
 
「ふふっ、ありがとう。生まれたらすぐに手紙を送って知らせるわ。ぜひ顔を見に来てあげてちょうだい」
「うん。おもちゃをたくさん持って会いに行くよ」

 ちゃんと笑顔で言えた。
 その充足感と安心感だけを胸に残し、病室を後にした。

 もう振り返らない。
 心に決めた想いを胸に、顔を上げて廊下を歩いた。 

     ***
 
「――シルヴェリオ様、昨日はありがとうございました」

 治癒院を出て馬車に乗ると、フレイヤはおもむろに話を切り出した。
 昨夜シルヴェリオと交わした会話が背中を押してくれていたのだ。早く礼を言いたかったのだ。 

「話を聞いてくださったおかげで……その、心が楽になったんです」
「……そうか」

 シルヴェリオの目は柔らかく細められ、唇の両端は微かに上を向く。

「あれだけでも力になれたのなら、よかった」

 いつになく柔和な表情は普段の冷たい美貌にも負けず劣らず美しく――フレイヤは目を大きく見開いて魅入った。
 二人のやり取りを見たオルフェンが、コテンと首を傾げる。

『そういえば昨日の夜、シルヴェリオの魔力を感じたよ。フレイヤに会いに来ていたんだよね? どうして?』
「昨日の菓子を渡し忘れたから届けに行ったんだ」
『ふ~ん。そう』
 
 オルフェンはすっかり興味をなくし、窓の外に広がる景色を眺める。
 一方でシルヴェリオはいつもの仏頂面に戻った顔のまま、こっそりと動揺を隠した。

 本当は菓子を渡すことなんて、ただの言い訳だった。
 オルフェンになにか指摘されるのではと、珍しく焦ったのだった。
 
 馬車は途中で花屋に寄り道してから墓地に辿り着いた。

『カリオの墓はどこにあるの?』

 オルフェンはフレイヤが途中で買ったお供え用の花束を大切そうに両手で抱えたまま、キョロキョロと辺りを見回す。
 忙しない動きに振り回され、花束の中にある橙色や淡い黄色の花びらが、ふわりと宙を舞った。

「その曲がり角を右手に曲がって、まっすぐ歩くとあるよ」
「同じ石ばかりで見失っちゃいそう」

 意気揚々と前を歩いていたオルフェンだが、フレイヤの横にピッタリとくっついて歩き始めた。
 シルヴェリオは二人の後に続いて歩く。

「あれ、あの人たちは……」

 フレイヤは目の前を歩く、見知った二人の姿に目を丸くした。
 
 一人は銀色の髪を丁寧に撫でつけており、切れ長の黄金の目と豊かに蓄えられた銀色の口ひげが風格を出している、街薬師のロドルフォ。
 その隣にいるのは、壮年の男性で、栗色の髪と目を持つ寡黙そうな人物――ロドルフォの甥のベニートだ。

 一カ月ほど前にロードンから王都に戻る途中、牝山羊(キマイラ)に襲われていた二人を助けた。
 その時にベニートは深い傷を負っていたが、今は回復したようで、しっかりとした足取りで歩いている。
 
「ロドルフォさんとベニートさん! お久しぶりです」
「久しぶりですな。ルアルディ様に香水の依頼をしたかったのだが、あいにく火急の用事のせいでなかなかできませんでした。今度こそ是非依頼させてください」
「ありがとうございます。いつでもお待ちしております。――ところで、お二人はもしかしてお知り合いの墓参りに来たのですか?」

 フレイヤの問いに、ロドルフォはにこにこと人の好い笑みを浮かべた。

「ええ。弟がここに眠っているのですよ。故郷を飛び出してこの街に辿り着いたのだと最近知りましてね。愛する者と大切な家族に囲まれて幸せに過ごしていたのだと街の人から聞いて安心していました」
「……そうでしたか……」

 ロドルフォの弟は、フレイヤの祖父のように、家族のもとを立ち去ったまま死別したらしい。
 
 祖父の家族は今頃、祖父をどう思っているのだろうか。
 祖父やその孫であるフレイヤたちを疎ましく思っているのだろうか。
 
 フレイヤは複雑な思いで相槌を打った。

「それでは王都で、また会いましょう」
「これから王都に行くのですか?」
「ええ、とても大切な用がありますからな」

 挨拶を交わして別れた後、フレイヤはシルヴェリオが眉間を寄せて思案顔になっていることに気づいた。

「シルヴェリオ様、どうしましたか?」
「少し気になることがあるのだが……今はまだ確証を掴めていないから、何とも言えないが……」

 シルヴェリオは振り返り、ロドルフォの背を見遣る。

「以前は牝山羊(キマイラ)のことで気を取られて気付かなかったが――どこかで見かけたことがあるような気がするんだ」

 それがどこで見たのかさえまだ思い当たらず、シルヴェリオは引っかかりを胸に残したまま、踵を返した。
 
     *** 

 カリオの墓石の前に辿り着いたフレイヤは、供えられている白い花束を見つけて首を傾げた。

「あれ、お花が置いてある。誰かがついさっき、ここに来ていたみたい……」
 
 命日ではないが、誰かが定期的に来てくれているのだろうか。
 心優しく気さくな祖父は、この街の人たちに愛され、死後は惜しまれてきたのだ。

『そっかぁ、これがカリオの墓なんだね』

 しみじみとした声でそう呟くと、オルフェンは手にしていた花束を置く。
 長い指先で、墓石に刻まれている友人の名をなぞった。

『本当はね、また生きているカリオに会えるかもしれないと、心のどこかで思っていたんだ。フレイヤが嘘をついていると思ったんじゃないよ? 話を聞くだけでは、実感できなかったんだよ』

 カリオな名前をなぞり終えると、今度は掌で墓石を撫でる。
 
『墓石を見て、カリオにはもう本当に会えないって思い知らされたんだ。もう二度と……カリオと話せないんだね』
「オルフェン……」 
 
 初めてできた友人の喪失はあまりにも大きく、受けとめきれない。
 いつもは飄々としているオルフェンの傷ついている姿に、フレイヤはいたたまれなくなってそっと彼の肩に触れた。

「もし良かったら、これからも心の中で祖父に話しかけてあげてね。返事が無くてもきっと、祖父は天国でオルフェンの話を聞いてくれているよ」
『うん……。絶対に、そうする。カリオに話そうと思っていたことや、フレイヤと作る思い出をカリオに話すよ』
 
 オルフェンが呪文を唱えると、墓石の周りに透明な水晶細工のような花畑が現れた。

『これからは一年に一回は会いに来るよ。僕にとっては頻繁だけど、人間にとってはそれでも少ないのかな?』

 薄荷色の目からほろりと涙が零れ落ちる。

『ああ、君にまた、ちゃんとご飯を食べろだの早く寝ろだの、小言を言われたかったな』