「あ、あのね。ハルモニアにお土産を持って来たの。受け取ってくれる?」

 フレイヤは鞄の中から大きな紙袋を取り出す。
 今にもはちきれそうなほど膨らんでいるその紙袋を、躊躇いがちに掲げてハルモニアに見せた。

 自分のために溢れんばかりのお土産を買って来てくれた幼馴染の思いやりに、ハルモニアは目尻を下げて微笑んだ。
 
「もちろん。フレイからの贈り物は何でも喜んで受け取るよ」
 
 フレイヤから紙袋を受け取ると、紙袋の入り口から本の表紙が見える。この国から東の方に進んだ砂漠地帯にある国について記されている本だ。

 ハルモニアは昔から遠い異国への憧れがあった。それをフレイヤが覚えてくれていたことにハルモニアは胸が熱くなるのを感じた。
 
「他国の歴史書か――私が好きそうな本を買ってきてくれたんだね。ありがとう。大切に読むよ」
「もし読みたい本があったら、お姉ちゃんを通して私に知らせてね。今度ここに来る時のお土産として買ってくるから」
「――ありがとう。その時はまたゆっくり二人で話そう」
 
 ハルモニアは名残惜しそうにフレイヤから視線を外すと、笑顔をしまってシルヴェリオに向ける。

「領主の弟君、内密な話がある。少し時間をくれないか?」
「……内密な話か――いいだろう」

 正直に言うと、まだたった二回しか顔を合わせていないハルモニアが自分に用があるとは意外で内心驚いている。
 
 もしかするとこの森で何か異変が起こっているから自分を通して領主――姉に伝えたいのかもしれないなど思案した。
 
「フレイさんとオルフェンはここで待っていてくれ」
「はい、わかりました」
 
 頷くフレイヤの隣で、オルフェンは退屈そうに欠伸を噛み殺す。
 
『早く戻ってきてね。もうこの森にいるの飽きちゃった』
「退屈なら一人で先に街に戻るといい」
『え~っ、フレイヤと一緒がいい。シルヴェリオが一人で戻ってよ~』 
 
 オルフェンは子どものように頬を膨らませてごねるが、シルヴェリオは一瞥もせずハルモニアについて行き、フレイヤとオルフェンから少し離れた場所へと移動した。

 周りの木々がフレイヤとオルフェンの姿を隠すが、微かに二人の声が聞こえてくる場所だ。
 
「フレイが身につけているあのバングルはあなたが贈ったのか?」

 ハルモニアは声を落とし、シルヴェリオに問う。
 フレイヤに向けていた柔和な笑みはなく、敵を威圧するかの如く鋭い眼光を水色の目に宿らせている。

 どうやら内密な話とはフレイヤのことらしい。
 シルヴェリオは自身の予想が外れたことを悟った。
 
「そうだ。フレイさんが仕事に専念できるように作った護符(アミュレット)だ」
「……なるほど。護符(アミュレット)だとフレイに言いくるめて贈ったとは……あなたも同じ穴の狢というわけだな」

 ハルモニアは嘲笑するように口元を歪めた。シルヴェリオは自分と同じようにフレイヤを想い、求愛の証に近いものとしてあのバングルを贈ったのではないか。

 そんな彼の考えが言葉から感じ取られ、シルヴェリオは微かに眉根を寄せた。
 
「同じなものか。俺は部下を守るために正真正銘の護符(アミュレット)を渡しただけだ」
「それならバングルを贈らずに防御魔法をかけていればよかったではないか。フレイからあなたの魔力を感じたし、堅牢な防御魔法の気配もあった。それだけで事足りるはずだとあなた自身もわかっているだろうに、わざわざ護符(アミュレット)を贈る理由は何だ?」
「もしもの場合に備えてだ。最悪の事態を想定して用意しておくに越したことはない。フレイさんはカルディナーレ香水工房を辞めた関係でセニーゼ家という力のある家門に目をつけられているし――時に無茶をする。それにオルフェンのような厄介な存在に絡まれることだってこの先ありそうだ。もし俺の目の届かないようなところでそんな厄介ごとに巻き込まれたときに彼女を守るためのものが必要だと思ったんだ」
「……随分とフレイを心配しているのだな。部下を想うにしては、少々過保護に思えるくらいに」 
 
 そう小さく呟くハルモニアの視線が、更に冷えていく。
 果たしてシルヴェリオ・コルティノーヴィスは無自覚で過保護ともいえるほどの守りをフレイヤに与えているのだろうか。それとも自分にはしらばっくれているのだろうか。
 いずれにしても自分とは違い、人間の世界でフレイヤの隣にいられる彼を妬ましく思った。
 
「フレイを心配する善き上司のあなたには教えておこう。フレイは義兄のチェルソさんに想いを寄せている。一途で、彼以外の誰かに気持ちを逸らしたことは一度もない」
「――っ!」

 あまりにも唐突に切り出された話にシルヴェリオは息を呑み、言葉を失った。
 どういうわけか自分の心がひどく痛みを訴えていることにも動揺している。
 
「もちろんフレイはそのことをチェルソさんにもテミスさんにも知られないように隠しながら自分の気持ちに折り合いをつけようと苦心している。優しいフレイは二人の幸せを願っているから、静かに自分の想いが消えるのを待っているんだ」
「なぜ……」

 シルヴェリオは言葉を切った。ぐっと奥歯を噛むと、言葉を続ける。
 
「なぜそのことを俺に話す?」

 ハルモニアは傷ついていることに気づいていない恋敵を哀れに思う。それが、自分が与えた一撃で傷ついたと知りながら。

「あなたが知りたいことかと思ってね。フレイのことが気になるだろう?」
「……あいにく俺はフレイさんの私生活を探ろうとする趣味はない。もしチェルソさんがフレイさんを虐げているならフレイさんを守るために探りを入れるだろうが……」
「なるほど、あなたはフレイをあくまでも部下と思っているのか」 

 フレイヤが恋い慕う相手がいるとしって動揺しておきながらもシルヴェリオはフレイヤを守ろうとしている。
 自身のフレイヤを想う気持ちに気づいていないことを、ハルモニアは悟った。

「己の気持ちに気づけないとは哀れだな。あなたはフレイを一人の女性として好いているというのに」
「俺がフレイさんに――恋愛感情を持っていると?」
「どう見たってそうだろう。あなたがフレイに向ける表情を見て気づいていたし、ただの部下のために防御魔法や護符(アミュレット)を与えるわけがないだろう。フレイ以外の部下にも同じようにしたのか?」
「それは……していないが……」
「自分がフレイをどう思っているのか、よく考えてみるといい」
 
 ハルモニアはそう言い捨てると、踵を返してフレイヤたちのもとに戻ろうと脚を進める。

 取り残されたシルヴェリオは、上着の胸元を掴んだ。先ほどからずっと、ズキズキと痛むその場所を鎮めようとして。
 脳裏にはフレイヤと出会ってから今までに見た彼女の表情や印象的だった会話が怒涛のように押し寄せ、彼女のことで一杯になっている。
 
 その一つ一つを思い出すにつれて、胸はさらに切なくなった。
 彼女にはすでに想い人がいるのだと、悲嘆にくれる心が囁いてくる。
 
「俺は……フレイさんを……好いているのか」

 小さく呟いた声は、シルヴェリオ以外誰にも聞かれることなく森の中に溶けた。