昼食を終えたフレイヤたちは馬車に乗って森へと向かう。
 
 馬車の中でオルフェンは退屈そうに足をぶらぶらとさせている。
 二日連続で馬車にずっと乗っていたため、すっかり馬車での移動に飽きてしまったらしい。
 
『今から会いに行く半人半馬族(ケンタウロス)って、フレイヤにそのネックレスをあげたんだよね?』
「うん。そうだよ。ハルモニアと言う名前で、このあたりの半人半馬族(ケンタウロス)の群れの長なんだ」
『ふ~ん、どんな半人半馬族(ケンタウロス)なの?』
「優しくて物知りなんだよ。薬草にとても詳しくて、薬草の先生でもあるの」

 フレイヤは窓の外から見える森を見遣ると、懐かしそう眺めた。

「ハルモニアには、お世話になってばっかりなんだ」

      ***

 ハルモニアと初めて出会ったのは、子どもの頃。
 半人半馬族(ケンタウロス)たちと薬草の取引をする両親と一緒に森へ行った時のことだ。
 
 ハルモニアもまた両親に連れられて来ており、それぞれの両親の勧めで二人で遊ぶことになった。

「初めまして。僕はハルモニアです。君の名前は?」
「……」 
 
 当時のフレイヤは人見知りが激しく、ハルモニアと遊ぶように言われても父親の陰に隠れてしまう。
 父親はフレイヤの頭を撫でながらハルモニアに謝った。
 
「ごめんね。フレイヤは人見知りしているんだ。何度か会うと慣れるから、もう少し待ってあげてくれるかい?」
「……なるほど」
 
 ハルモニアは小さく呟くと、フレイヤたちから離れてどこかへ行ってしまった。

 自分が名乗れなかったから怒ってしまったのだろうかと、フレイヤは父親の服をぎゅっと掴んだまま落ち込んでしまう。
 するとこちらに向かってくる蹄の音が聞こえ、顔を上げるとハルモニアが花輪を手に戻ってきているところだった。
 
「これあげる。君の髪は花のような色だから良く似合うと思う」

 ハルモニアはフレイヤの頭に花輪を載せる。
 その時、花の甘い香りがフレイヤの鼻腔をくすぐった。

「思った通り、よく似合っているよ。向こうに花畑があるから、一緒に花輪を作るのはどうかな?」

 柔らかに微笑むハルモニアに、フレイヤの警戒心が薄れていく。

「うん。一緒に作る」
「じゃあ、案内してあげる。僕の背に乗せてあげるよ」

 ハルモニアが差し出した手をフレイヤが握り返す。
 このことがきっかけでフレイヤはハルモニアと友人になり、以来二人は森で一緒に遊ぶようになった。

 森の中を駆けまわったり、木の実を見つけて食べたり。
 やがて成長すると二人は森を駆け回らなくなったが、二人で楽しかったことや最近学んだことの話をするようになった。
 そしてフレイヤが義兄のチェルソへの想いをハルモニアに相談することもあった。
 ハルモニアはただフレイヤの気持ちに寄り添い、フレイヤの心が落ち着くまで彼女の話を聞いた。
 
      ***
 
 森に着くと、フレイヤたちは中に入った。
 フレイヤが先頭に立ち、いつもハルモニアと会っている場所へと向かう。
 
「ハルモニアは、この先の倒木のある場所にいるかもしれません」
 
 そこは森の中にある開けた場所で、ずっと昔に倒れた大樹が横たわっている。
 故郷に住んでいた頃はこの倒木に寄りかかり、ハルモニアと一緒に話していた。
 
 森の奥へと進むと、目的地が見えてくる。
 陽の光に照らされた大きな倒木の前に、栗毛の馬の体を持つ黒色の長い髪の美丈夫――ハルモニアの姿を見つけた。

『もしかしてあの半人半馬族(ケンタウロス)?』
「うん、そうだよ」

 フレイヤはオルフェンの質問に頷くと、軽やかな足取りで彼に近づく。
  
 ハルモニアは膝を折って地面に座り、本を読んでいた。
 恐らく薬草の取引をしている人間に持って来てもらった本だろう。
 幼い頃から彼は人間から貰った本を読んでいた。
 ハルモニアは人間から文字を学んで読み書きができるため、昔は一緒に本を読むこともあった。

 ハルモニアはすぐにフレイヤたちに気づいた。
 
「おかえり、フレイ――領主の弟君と見慣れない妖精を連れてきたんだね」
 
 ハルモニアはスッと目を細めると、本を腰に下げている鞄に入れて立ち上がる。
 ゆっくりとフレイヤに歩み寄って近づくと、少し背を屈めて抱きしめた。

『うわあ、僕たちを睨んでいるよ。怖い顔』

 オルフェンが小さく呟いた声は、フレイヤの耳には届かなかった。

「また会えて嬉しいけど、いったいどうしたの?」 
「突然来てごめんね。ハルモニアに話があるの」

 遠慮がちにハルモニアから離れたフレイヤの手首でミスリルのバングルが輝いている。
 ハルモニアはそれを見つけると、微かに片眉を上げた。

 控えめながらも高級感のある意匠のバングルをフレイヤが自分で買ったとは思えない。
 おまけにバングルからはフレイヤ以外の魔力が感じられる。

 何者かがフレイヤに贈ったものであることは間違いない。

「ハルモニアがシルフに頼んでセニーゼ商会の馬車を風で吹き飛ばしたって聞いたよ。本当にハルモニアが頼んだの?」
「フレイがシルフと会うなんて誤算だったな。ああ、そうだよ。フレイの夢を邪魔した奴らが許せなかったんだ。フレイは優しいから奴らに復讐なんて考えないだろうし、私はそんなフレイが好きだよ。……だけど時にはもう二度とフレイに酷い仕打ちをしないよう、わからせないといけないこともある。私自身の手で懲らしめたかったが――長の私がこの森から離れることはできないからシルフに頼んだ」

 ハルモニアは拳を更に握りしめる。
 大切な存在をそばで守れない自分に腹が立って仕方がない。
 
「フレイは私に、シルフを止めるよう言いに来たんだね?」
「うん……お願い。私のためを思ってくれたハルモニアの気持ちは嬉しいよ。だけど私はハルモニアの言う通り、復讐は考えていないの。確かにカルディナーレ氏によってもう調香師になれないかもしれないという苦しみを味わったよ。だけどその苦しさを知っているからこそ、他人に同じ苦しみを味わわせたくないの。もしも今ここでカルディナーレ氏や他の調香師たちを見て見ぬふりをすると後悔して、これから調香する時に迷いが出てしまうと思う。だから私は復讐をするつもりはないよ」
「そうか……フレイらしいね。だけどフレイが許しても、私は許さない。君が積み上げてきた努力を知っているのに、許せるわけがないよ」

 調香師になるために彼女が費やした月日も努力も知っている。

 真面目な彼女が調香師の道を奪われそうになった時、どれほど絶望しただろうか。
 そのことを想像するだけで怒りが込み上げてくる。

 二人の会話を見守っていたシルヴェリオが口を開いた。
 
「頼まれてもいないのに復讐をして何になる。望まない復讐をされたところでフレイさんが困惑するだけだ。君の自己満足にフレイさんを巻き込むな」
「――っ」

 ハルモニアは奥歯を噛んでシルヴェリオを睨む。
 自分とは違い、人間の世界でフレイヤのそばで彼女を守れるシルヴェリオが、羨ましくて妬ましくて仕方がない。

 しかし彼の言葉はもっともだ。自分はフレイヤを困らせたいわけではない。
 
「――ああ、フレイが望まないことをするのは本意ではない。シルフに言って襲撃を止めよう」 
「うん、お願い。それと、私のために怒ってくれてありがとう。色々あったけど、今はもう大丈夫だから安心してね?」 

 フレイヤがそう言うと、ハルモニアは寂しげな表情を浮かべた。
 彼の大切な幼馴染の成長を喜ぶべきなのに、ますます自分から離れていくようで素直に喜べない。

「もう一つ話したいことがある」

 シルヴェリオはそう切り出すと、フレイヤの着けているネックレスを指差した。

「あれは半人半馬族(ケンタウロス)の求愛の証だろう。なぜフレイさんに身に着けさせた?」
「お守りの効果があるからだ。私はフレイのそばにいられないから彼女の守りとなるものを贈りたかった。それに私は――フレイ以外の誰かにあのネックレスを贈るつもりはない。フレイを愛しているから贈ったまでだ」

 ハルモニアは淡々と答える。
 フレイヤにはお守りと偽っておきながら、彼は本来の使い方の通り求愛の証として贈っていたのだ。
 開き直ったような彼の態度に、シルヴェリオは深く溜息をついた。

「……結局はフレイさんにはなにも説明しないで求愛の証として贈ったということか」 
「きゅ、求愛の証って……そんな……ハルモニアとは幼馴染で、ハルモニアはお守りとしてくれたのであって……」

 二人のやり取りをしっかり聞いていたフレイヤだが、まだその言葉の内容を咀嚼しきれずにいた。
 頭の中ではわかっているのに、心が追いついていない。

 確かにハルモニアのことは好きだが、それは友人としての好意であって、恋人への愛ではない。

 それなのに自分がこのネックレスをつけていていいのだろうか。
 ハルモニアの気持ちに応えられない自分なんかが持っていていいはずがない。

「ハルモニア……ごめ――」

 フレイヤが謝罪の言葉を言いかけると、ハルモニアは力なく首を振ってその言葉を遮る。
 眉尻を下げた元気のない顔が、それ以上は聞きたくないと言外に伝えていた。
 
「謝らないでくれ。それに返却は不可だ。これからもずっとフレイが持っていてくれ」
 
 そう言い、ネックレスを外そうとしていたフレイヤの手に触れて制する。
 
「フレイを愛している。だからもし、なにもかもが嫌になったら私のところに来るといい。……いつでも待っているから」
「そんな……」

 フレイヤは言葉を切ると、項垂れるように俯く。
 待っていると言ってくれている彼の気持ちに、自分はどう向き合うべきかわからない。

「私なんかよりハルモニアにふさわしい素敵な相手を見つけられるはずだし……ずっとハルモニアに待っていてもらうなんて、私……」
「どうか想い続けることは許してくれ。自由にしようとしてくれなくていい。私は望んでフレイに囚われているのだから」

 本当にそれでいいのかと問いたいが、これ以上彼の気持ちに干渉してはいけないとわかっている。
 ハルモニアの想いに応えられないから新しい相手を探してほしいだなんて考えてしまうのは自分のエゴだ。
 
 どうしていいのかわからず、ただハルモニアの水色の目を見つめ返すことしかできなかった。
 
「これから何かあった時は、思い出してくれ。君のことを愛して待っている存在がいるということを」

 ハルモニアはフレイヤの首からネックレスを外すと、彼女に手渡す。
 両手で受け取るフレイヤの所作を見て、水色の目を潤ませた。

 騙すような形で贈ったネックレスだがフレイヤは大切に扱ってくれている。
 そんな彼女のことがやはり愛おしくて仕方がない。

「ロードンに帰って来た時は、これまで通り会いに来てくれると嬉しい。私に気を遣わないでくれ。私が勝手にフレイを想い続けているのだから……フレイが私とは友人のままでありたいのであれば、そう接してくれるといい」

 永遠に実らない初恋だとずっとわかっている。
 それでも愛することを止められなかった。