隣の席の●し屋くんと、世界一尊い恋をする。

「ミスった!」

「……そっすね」

「ごめんもう一回!」
 
「うす」


 そしてもう一度絆創膏を取り出して、貼り付ける。 グチャッとした。 ハッ。


「またミスった!」

「そっすね」

「も、もう、もう一回…」


 わたしは涙目で救急箱から三枚目の絆創膏を取り出す。 帰りにお小遣いで絆創膏買って帰ろう……。

 
「や、これで大丈夫」

「えっ、でも、」


 肘になんかゴミがついてるって言われちゃわないだろうか。
 

「傷口覆われてればいいんで」

「ごめん……っ! 練習しとくね!」


 わたしが手を合わせて言うと、船橋くんが目を丸くした。


「それは……また来るってことっすか」

「え? うん!」

「……いま仮っすよね」

「うん!」


 え? なんでそんなビックリした顔?


「あの……これ、今からやるんすよね。 手伝います」

 
 船橋くんはわたしがこれからやろうとしてる業務を指さした。

 
「えっ、いいよいいよ、練習戻りたいでしょう?」

「いや、でも、」

「大丈夫! わたし今ね、船橋くんのやる気に感化されて元気もりもりになったから!」

「え……?」


 半ば強引に船橋くんを部室の外に押し出した。


「今日、船橋くんが頑張ってるから頑張ろうと思えたよ! ほんとにありがとう!」


 満面の笑みで手を振って、ドアを閉めようとノブに手をかけた。 すると船橋くんがドアを掴んでそれを阻む。


「ん?」

「こっ、越谷さん」

「はいっ!」


 船橋くんは少し言いにくそうに視線を泳がせた。


「……実は、スコア記録とかジャグ運びも全部、昨日まで俺たち一年がやってたんです」

「えっ、そうなの?」


 船橋くんはコクリと頷く。

 
「阿見先輩はずっとあんな感じなんで、これまでも何人かマネが仮で来たんすけど、みんなすぐ辞めちゃって……先輩たちはなぜか阿見先輩に甘いし、自分たちがやるしかなくて。 今日越谷さんが来てくれてすげぇ助かりました。 一年みんな感謝してます」


 ほんとは今日、ずっと心細かった。

 マネ希望の二人が帰っちゃって、わからない仕事に追われながらまりか先輩も上級生も冷たくて、世界で一人ぼっちになっちゃったような感覚に陥っていた。
 でも、そうじゃなかったんだ。 一年の男子たちはそんなふうに思ってくれていたんだ。

 思い返せば一年生たちはどこか心配そうにしてくれてた気がして、胸が熱くなる。


「今日越谷さんがいっぱい走り回って頑張ってるの見て、俺も元気もらったから……ありが、とう」


 途中で恥ずかしくなったのかだんだんと口籠っていった船橋くんは、赤くなった頬を隠すように口元を片手で覆って目を逸らした。


「明日は……手伝うんで」


 船橋くんはそれだけ言って軽く頭を下げると、部室を後にした。

 ……船橋くん、なんていい子なんだ。 船橋くんのたどたどしい『ありがとう』に、黒く煤汚れた心が洗われるようだった。 ちゃんと役に立ててたんだってわかったら、やる気がみなぎってくる。

 よし、わたしも船橋くんを見習って、いつか敏腕マネージャーって言ってもらえるように前向きに頑張るぞー!

*.




「…………あ」


 朝のまっさらなグラウンド。
 ポツンと一人佇んで、今日は朝練がない日だったことを思い出した。
 同時にふかふか枕とポカポカお布団の誘惑から必死で這い出した朝を思い出して、膝を折る。


「っだぁー……」


 早起きは三文の徳と言うけれど。
 毎日筋肉痛と戦うわたしには、1分でも長い休息が欲しかった。 時間がないからと泣く泣く残した家政婦さんお手製バナナスフレパンケーキのことも惜しい。

 しばらく誰もいないグラウンドで悶々としたわたしは、ここにいても仕方ないのでフラフラと教室へ向かった。

 サッカー部のマネージャーになって、1週間ほどが経っていた。

 この一週間で分かった。
 まりか先輩、本当に全然なにもしてない。

 二、三年生が見てるときだけ重たい荷物を持ってるフリをする。 実際にはほとんどをわたしがやっているのだけど、なぜかまりか先輩の手柄になる。 まりか先輩はサボタージュの天才だ。
 その割にこないだのチョコミルクとか、手作りのお菓子とかを突然持ってきて部員の心をわしづかみにしてる。 そして隙あらばうつつを抜かしているみたいだ。 それも不特定多数の人とらしいと、一年部員たちが噂していた。
 そんなまりか先輩を、いまはもういない二年生のマネージャーたちが咎めたそうだけど、まりか先輩を溺愛する二、三年生の男子部員たちに返り討ちにされて、耐えかねて辞めたそうだ。

 誰もいない教室について、わたしは自分の席にペシャッと崩れ落ちる。
 机に頬をくっつけて窓の外を眺めながら思う。

 ……し、しんどい。

 マネージャーという仕事のハードさもだけど、部活に行く度〝ブスな方のマネージャー〟とヒソヒソ揶揄されることもしんどい。
 上級生は、マネージャーはあくまで可愛い存在で、癒して支えることが仕事だと思ってるみたいだ。
 かわいいは正義ってか。
 わたしが可愛かったら、もう少しやりやすかったのかな。

 悲しくなってきて、グスッと洟を啜った。


 その時、ガララと教室後方の扉が開く音がした。


「ん。 おはよ」


 今日も呑気な空気をまとった元殺し屋くんが、そこにいた。

 その姿にきゅん、と胸が疼く。
 
 ……再会してまだ1ヶ月にも満たない今。

 わたしはまた、この人に恋をしてしまっていた。

 
「……おはよう」


 机に頬をくっつけたまま挨拶を返すと、優成は扉を閉めてこちらに向かって歩いてくる。


「早くね」 

「朝練と思ったらちがった」


 わたしの声、上擦って変になっちゃってないだろうか。

 教室に優成と二人ってだけでわたし、ちょっと舞い上がってる。

 いや、ちょっとじゃないかも。 かなりかも。

 さっきの悲しかった気持ち、どっかいったもん。


「あー、みんないなくて寂しいやつね」


 は、と笑った優成は、わたしの隣の席に鞄を置いて椅子をひく。

 優成はいつも穏やかで、さりげなく優しい。

 いつも余裕そうで、わたしに心を乱されることなんて一切ないように見える。 それがちょっと悔しい。

 それにしても優成はいつもいい匂いがする。 香水使ってるのかな。


「……優成も早いね。 いつもこの時間?」

「うん。 乗り換えの関係ですごい早く着くかすごい遅く着くかの二択で、致し方なく」

「へー」


 優成ん家遠いんだ。 どんな家なんだろう。

 鞄を片付けた優成は一息つくと、わたしと同じように机に頬をくっつけて視線を絡ませてきた。


「……!」


 同じ目線になって、一緒に寝てるような錯覚が起きる。

 心臓が否応なく騒ぎ始めた。


「な……なに……?」

「別に」

「別にって……」

「見てるだけ」

「だ、なんで、見るの」
 
「……なんとなく?」


 そう言って優成は、柔らかな優しい目でひたすらにわたしを見つめ続ける。

 そんなふうにされると、どうしたらいいかわからなくて困る。

 そんなに可愛くない顔をそんな綺麗な顔で見ないでほしい、困る。

 ……って、困るなら自分から目を逸らせばいいのに、逸らす気にもなれない。

 いつもより空気が澄んでるような気がする教室で、静かにわたしを見つめる優成の瞳があまりにもきれいで、息が苦しくなった。

 さっきまでぐじゅぐじゅと考えていたことがどこかに行ってしまって、目の前の優成のことしか考えられなくなる。

 やばい、顔、熱い。

 優成がおもむろに手を持ち上げた。

 そしてその手のひらを、わたしの頭の上に置く。


「っ、?」


 そして優しく上から下へと、撫でる。

 なで、なで、なでなでする。

 送られてくる視線はどこか甘い。
 

 …………えっ、彼氏かな?

 
 頭の上にいる優成の手を意識して、体中が心臓になったみたいにドキドキする。

 あれ? もしかしてわたしたち付き合ってた?


「……可愛い」

「……えっ」


 これ以上ないほど顔を熱くして固まるわたしに、優成がふ、と微笑んだ。



「雨の日のレナみたい」


 
 なんて?

 
 
「……レナ?」

「レナさん」

「レナさん……」


 雨の日に項垂れるアンニュイお姉さんを思い浮かべて、さっきまで沸騰しそうに熱くなっていた血がみるみる冷えていく。


 優成、彼女いたの?


 優成は鞄のポケットからスマホを取り出して、そのロック画面をわたしに見せた。


「これ、レナさん」

「……」


 そこにいたのは、毛並みの良い犬だった。


「ワンさんじゃないですか」

「ワンさんだよ」


 この白と黒の賢そうな犬種知ってる。 たしか、ボーダーコリー。


「可愛いね!」

「なに怒ってんの」


 嬉しそうに笑った優成はまたわたしの頭を可愛い可愛い、となでなでする。


「雨の日は散歩行けないから、わかりやすくしょげるんだよなぁ」