隣の席の●し屋くんと、世界一尊い恋をする。

 それから酒々井くんは後ろの柱に背中を預けて、飴の袋をあけて口に含んだ。

 
「ゔぇ。 甘」


 そしてまずそうに顔を歪ませる。


「えっ、うそ! 美味しいじゃん!」

「無理。 甘すぎ。 越谷さん味覚死んでね?」

「ひどい!」

「出していい?」

「え!? だめだよ、もったいない!」


 コンビニはしごしてやっとゲットしたレア商品なのに!


「え~めんどくさ……あげるよ。 はい」


 そう言って酒々井くんは、私の顎を掴んだ。


「!?」


 透き通る赤色の飴を前歯で挟んだ酒々井くんが、グッと顔を近づける。


「……!」


 あげるって、まさか、直接……!?


 意味を理解した時には酒々井くんのキレイな顔がもう息がかかるほど近くにあって

 慌てて酒々井くんの腕のシャツを掴んで目をギュッと瞑った。


 直後。

 パキッと音がした。


「……?」


 何が起こったのかと目を開けると、酒々井くんがボリボリと飴を噛んでいた。


「……え」


 酒々井くんの喉仏がゴクン、と動く。

 あ。 飴、飲んだ。

 その瞬間、突然酒々井くんから妖艶な空気が漂って息ができなくなる。

 その三白眼に吸い込まれそうになって、頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。

 それから私のこめかみにトン、となにかがあてがわれた。




「……バンッ」

「!」


 酒々井くんにこめかみを撃ちぬかれた。

 正確に言うと、人差し指でこめかみを撃つ、真似をされた。


「ちょろ。 今なら二秒で殺せそう」


 は

 ハニートラップ……!!


「な、な、なん……っ!?」


 顔を熱くさせてあぐあぐする私を、酒々井くんは楽しそうに笑いながら見下ろす。


「死にたくなったらいつでも言って?」


 私は涙目で必死に首を横に振る。


「なっ、らないよ!」

「苦しまずにイかせてあげるよ」

「逝かない! 生きる!」

 
 酒々井くんがクハッと笑いだした。

 それがまた無邪気で、訳が分からなくなる。


「うんうん。頑張って」


 酒々井くんは子供をあやすように私の頭をポンポンして、背中を向けた。


「また明日ー」


 そう言って、手をヒラヒラさせながら駅の改札の向こう側へと消えていく。


「……」


 その背中を見送りながら、力が抜けた私はヨロリと柱に身体を預けた。


 ……前世のことは、もう忘れることにした。


 でも


 色んな意味で、大丈夫かな……!?




 青く光る読み取り部にスマートフォンをタッチして、前の人に続いて改札を抜けた。

 Bluetoothのイヤフォンを耳に入れ、今日クラスのやつにすすめられた音楽を聴きながら電車のホームに足を向ける。

 人がまばらに立つホームでは、無秩序に見えてちゃんと列があって、その最後尾になんとなく並んだ。

 ガシャガシャと鳴るドラム、うごめくベースにジャキジャキのギター。

 そこにのせられた癖の強い女の歌は、なんだかキレイな言葉ばっかりで、ちょっと胸焼けがした。

 このキレイさをそのまま受け止めて『いい曲だから聴いて』ってすすめてきたあいつの白い心そのもの、みたいで。

 煤まみれの自分が際立って醜いものに思えて、なんだか心を抉られた。

 曲が終わる頃にホームに滑り込んできた四角い箱の中へ、その他大勢と共に入る。

 車内はほぼ満員、他人との距離はほぼゼロ。

 この大半が俺の目的地でもある五駅先のターミナル駅で降りる。


 ……あ。

 痴漢しようとしてるやつがいる。

 40代ぐらいの人のよさそうなサラリーマン。

 ターゲットはおっさんに背を向けて立つ、眼鏡をかけたおとなしそうな女子高生だ。

 おっさんの手元は俺の位置からは人が邪魔して見えないけど、目つきや息遣いでわかる。

 背中側から、偶然を装って触ろうとしている。


 はー……めんどくせぇー……。


 俺は手を伸ばして、おっさんの肩をトントンと叩いた。

 おっさんはビクッと肩を跳ねさせて俺を見る。


「っ、?」

「……」


 困惑するおっさんを、俺はなにも言わずにただ見つめる。


「……っ」


 俺が言わんとすることを察したのか、逃げるように目を逸らしたおっさんは、冷汗をだらだらと流しながら両手とも吊革につかまって、俯いた。
 

 ――犯罪は、現在進行形で至る所で起こっている。

 強盗、痴漢、盗難、傷害……

 細かく言い出したらキリがない。

 そんな数ある犯罪の中でも最も罪が重いとされているのが、殺人なわけだけど。



 『ひっ、人殺しー!!』



 ……あれ、面白かったな〜。

 なんなんだあの子。

 いやわかる。 わかるけど。

 隣の席が因縁の相手で驚いたり怖くなるのは当たり前だけど。

 普通、入学式初日の教室であんなデカい声出せる?

 しかも今日ちょっと助けてやっただけで〝友達になろ〟って手のひら返すとか。

 単純。 バカ正直。

 前世で自分殺した相手つかまえて、前世のことは忘れるから仲よくしようって……バカなの?

 もうちょっと危機感持てよ。

 そんなだから簡単に殺されんだぞ、能天気。


 ……まあ

 お言葉に甘えて仲良くさせてもらうつもりだけど。



『まもなく、ターミナル駅。ターミナル駅です……』


 駅に着いて、一斉に降りようとする他人たちとともにホームに降りる。

 人の流れを乱さないように、かつ目的地へ自然と流れるように、空気を読んで歩いていく。

 流行に敏感な若者たちで溢れかえるこの街は、夜遅くまで煌々と眩しく光る店でひしめき合っている。

 俺のバイト先は緩やかな坂道の途中にあるビルの一階にある。

 藍色に白字で『やよいうどん』と書かれた暖簾をくぐると、鰹・昆布の合わせ出汁のいい香りが漂う。

 価格は安すぎず高すぎず、客層は若者から爺さん婆さんまで幅広い。

 夕飯前でまだ店内の席には余裕があるけど、あと30分もすれば客がなだれ込んでくるだろう。


「いらっしゃー……あ、お疲れ様ー!」


 接客スタッフの女子大生バイトが俺に気付いて笑いかけると、他のスタッフも気付いて声をかけてくれる。


「おざまーす」


 適当な会釈を返して、奥の厨房に進む。

 厨房ではスタッフたちが湯気にまみれて熱そうにしながら、うどんを湯ぎったり天ぷらを揚げたりと、忙しなく働いている。

 それでも俺に気付くと、うーす!と爽やかな笑顔で目くばせする。


「うぃーす」


 それに適当な返事をしつつ厨房の奥まで進み、更衣室と書かれたプレートが貼られたドアを開けた。

 その部屋は狭く、二人も入れば身動きが取れなくなってしまうほど。

 左側の棚にはスタッフたちの荷物が並べて置かれている。

 俺は中に入って自分のスクールバッグをその一番端に置き、向かいの小さなロッカーを開けた。

 ロッカー上側に、洗いたての制服が畳まれて10着ほど積み重なっている。

 俺はその下から二着目と三着目の間に手を突っ込んだ。

 奥まで突っ込んで突き当たった壁に、手のひらをあてる。

 そして、五秒数える。

 1、2、3、4、5。

 手を離すと、
 
 ピー……ガチャッ。

 ロックが外れた。

 一度ロッカーを閉じて、裏側にある壁をグッと押す。

 ……ギィ。

 小さな隠し扉のお出まし。

 身をかがめて足を踏み入れると、ローファーがカツン、と音を反響させた。

 天井を這うむき出しの配管と、なんの塗装もない壁や地面が冷たい空気を作り出していて、人の来訪を拒んでいる。

 外の光が入らないその場所には、チカチカと切れかけた蛍光灯が下へ続く錆びついた階段を照らしたり照らさなかったりしていた。
 
 カンカンと音を響かせながらその階段を降りていくと、今度はダイナマイトでも壊れないだろう重たいドアが現れる。

 そのドア横には、暗証番号入力の端末。

 バイト先への道のりは長い。

 番号に指先で触れるとピッと高い音が鳴る。

 毎回変わる暗証番号を間違えないようにゆっくりと押していく。

 一度でも間違えるとこの端末から自動的に毒針が発射される仕組みで、先月うっかりしたやつが食らって失明したとか言う話を聞いた。

 10桁の暗証番号を無事に入力し終えると、ピピッと機械音が鳴ってランプが緑に点滅して扉が開く。

 その先には暗く狭い廊下が続いている。

 このまままっすぐ歩いていくと、壁に突き当たる。

 つまり、行き止まり。

 俺のバイト先は、その行き止まりの手前にある隠し扉を開けると、ようやく到着する。