隣の席の●し屋くんと、世界一尊い恋をする。

 私はどこかで聞いた鼻歌を口ずさみながら、体を温めようと小走りで昇降口に向かう。

 もう酒々井優成に無駄に怯えるのはやめよう。

 今は二〇二四年で、ここは平和の国・日本で。

 前世では皇女って立場もあったし銃だって手に入れやすい世界だったけど、酒々井優成は普通の男子高校生で、私もなんの変哲もない普通の女子高校生なんだから。

 もう銃を突きつけられることだってない。

 そんなことより、高校生活を楽しもう。

 だって私には、高校生になったらしたかったことがある。

 それは、サッカー部の彼氏を作ること!

 なぜサッカー部かと言うと、大好きな少女漫画『マネジメント・ラブ』の影響だ。

 一生懸命頑張る彼を支えるマネージャーっていうシチュエーションが最高で、ヒーローの『俺だけのマネージャーになって』ってセリフがもう……! たまらない!

 おかげでサッカー部って聞くだけで胸がときめいてしまうようになった。

 もしサッカー部の彼氏が出来たら部活終わり一緒に帰ったり、試合で彼のシュートが決まったらこっそりアイコンタクトしたり、試合後に『ご褒美ちょうだい』とか言ってキス、ねだられちゃったり……!?

 キャーッ! 想像しただけでドキドキしてくる!

 前世では恋できた、と思ったらすぐ死んじゃったけど、今世では素敵な人と出会って幸せいっぱいな恋愛をしてみたい……!

 そんなことを考えてたらこれからの生活が楽しみになってきて、上機嫌に鼻歌を歌いながら下駄箱で上履きに履き替える。

 そこからスキップして一年三組の教室にあっという間につくと、人気のない教室の扉を開けた。

 そして、教室の中央に見つけた背中に、反射的にドキッとした。

 酒々井優成だ。

 ……大丈夫大丈夫。 彼は普通の男の子なんだから。

 そう自分をなだめて普通に声をかけようとした矢先、ある違和感に私は動きを止めた。

 酒々井優成がジャージをまくった足を椅子にのせて、足首に巻き付いた黒い何かをいじっていたからだ。

 何してるんだろう。 あの黒いものはなんだろう……?

 よく見ようと目を細めたとき、その黒いものが足首から外されて椅子の上に落ちた。

 ゴトン。

 とんでもなく重そうな音がした。


「えっ」


 思わず漏れた私の声に、酒々井優成が顔だけ横に向けて視線を寄越した。


「……」


 酒々井優成の目には、感情がない。

 その両手首にもその黒い何かが巻き付いている。

 私はマネジメント・ラブでヒーローが練習するときに足首につけていたものを思い出した。


「……おもり?」

「……」


 なにも言わない酒々井優成は、両手首のそれもゴトンゴトンと外して机に置いた。

 やっぱり重たい音をたてるそれに、私は絶句する。


 え……?

 なんでおもり?

 体力測定でつけてたの?

 なんで?


 酒々井優成は手首を撫でながらフー……と軽く息をつき、私に流し目を寄越して、フ、と口角をあげた。

 そして、立てた人差し指を口元にあててみせる。


「シー……」


 酒々井優成のほの暗い瞳に、漠然とした恐怖がせりあがって背筋を悪寒がひた走った。


 どうやら私は、見てはいけないものを見てしまったみたいだ。


「……あははは」


 不自然な薄ら笑いを浮かべたのは、恐怖に強張る顔をごまかすためだ。

 私は酒々井優成に静かに見つめられながら、教室後ろの自分のロッカーまで横歩きで移動してジャージを引っ掴む。

 そして脱兎のごとく、教室から飛び出した。


 授業中、誰もいない廊下を全力疾走して、恐怖との相乗効果で盛り上がる心臓はもはや爆発寸前。


 一年三組、酒々井優成。

 平和な普通な男の子。


 ……なんかじゃない。


 絶対、絶対やばい人だ!!



 その日の授業をすべて終えて、放課後。

 私は美紗ちゃんと二人、帰りの電車に乗り込んだ。

 時刻は15時37分。

 列車の角、ドアの近くに座る。

 発車を待つ電車の中には、私たちと同じ城華学園高校の制服を着た生徒数人しか見当たらない。

 みんなスマートフォンや文庫本、参考書などを手に、座席に腰を下ろして静かに過ごしている。

 私たちが通う城華学園高校は、いわゆるセレブ校だ。

 ここにいる生徒もみんな親が芸能人だったり大企業の幹部だったり、立派な家柄の子だったりする。

 かく言う私も世界的に有名な指揮者の父と、世界的に有名なピアニストの母の元で育った。

 壊滅的に音楽センスがない一人娘の私を、優しい両親は咎めることなく自由にのびのびと育ててくれて、出来上がったのがこちらの能天気。

 勉強そこそこ、運動まあまあ。

 容姿は可もなく不可もなく。

 食べることが好きだから肉付きはいい方だけど、背が164センチと少し大きめなので、バランス的には許容範囲だと思ってる。
 

「あっ。ひまりーん!あとで今日撮った動画編集してTikTikにあげるね~」

「あーミウちゃん!やったー!楽しみ~!」

 
 美紗ちゃん曰く、『愛嬌だけは無駄にある』。

 おかげさまで友達は多い方だと思う。

 体も健康で、私の人生は何不自由なく家族、友達ともに良好・順風満帆。

 これまで平和に、幸せに暮らしてきた。
 

 ……彼に再会するまでは。


 電車のドアが閉まり、ゆっくりと動き出したところで美紗ちゃんが、スマホでパズルゲームをプレイしながらおもむろに口を開いた。


「ひまりさぁ。ずっと酒々井くんのこと気にしてるけど、好きなの?」


 急に酒々井優成の話題を振られて心臓がピョンと跳ねた。


「!? 違うよ! 逆だよ!」

「逆? 嫌いってこと?」

「きら……」


 嫌い?


「いや、そういうわけでは……」

 なんか怖いし極力関わっちゃいけないって思ってるけど、好きか嫌いかと言われるとよくわからない。

 それを判断できるほど、酒々井優成のことを知らないし。

 ……前世でなにも知らず恋しちゃったことは、棚に上げておく。


「ふーん。まぁその、前世?の話は置いといて。 今日一日、隣の席から見た酒々井くんはどうだったの……あ、レアゲット~」


 ゲーム上でレアアイテムをゲットしたらしくちょっと嬉しそうにする美紗ちゃんに聞かれて、今日あったことを思い返してみる。


「……普通だった」

「普通?」

「うん」


 授業開始の鐘が鳴ったら席に座り、ノートに左手で持ったシャーペンを走らせる。

 たまにペンをクルンとさせてみたり、口元に手を置いて真面目に考え込んだり、俯いてあくびを逃がしてみたり。

 黙っているとクールに見えるけど、話すと口調がのんびりしているからか、ゆるく、ほがらかな空気が漂う。

 休み時間には必ずクラスの仲良しの男子に声をかけられ、和気あいあいとどこかへいなくなる。

 そんな普通の男の子にずっとビクビクしていた私は、いま疲労感が凄い。


 はー……と長いため息をついてみせると、どうしたの、と心配そうな目を寄せる美紗ちゃんの肩に頭をもたれさせる。

 うーん、なんだかバカらしくなってきたぞ。

 でも、あのおもりの件が怖すぎる。

 でもでも、明日も明後日もこんな感じで過ごさないといけないなんて……すっごく大変だ。

 うーん、もういいや!

 いったん考えるのをやめよう!

 多分殺されないだろうし。


「ん。 ひまり、この駅の銀行寄るって言ってなかった?」


 美紗ちゃんの声にはっと窓の外を見ると、自分が降りる予定の丸々駅の駅名板。


「言ってた!美紗ちゃんありがとう、また明日!」


 私は急いで立ち上がって、美紗ちゃんに手を振りながら駅のホームに降りた。

 窓越しの美紗ちゃんはこちらを振り向くことなく手をふってくれてる。


 しっかり者で低体温な美紗ちゃんに、私はいつも助けられている。

 周りには正反対な二人、とよく笑われるけど、私は美紗ちゃんのことが大好きで、美紗ちゃんもなんだかんだ言っていつも一緒にいてくれている。

 ほんとに私、友達に恵まれてるなぁ。


 それから私は人の波にのって改札を出て、大きなビルに囲まれた高層ビル街に出る。

 今日私は、これから銀行に行って初めて口座を開設する。

 お父さんの同意書も入れてきたし。よしよし。

 これでいつでもバイトができちゃうぞ~……ってサッカー部のマネージャーとバイトって両立できるのかな?

 ま、いっか! なんとかなるなる~♪


 駅から5分もかからない場所にある大きな銀行の自動ドアをくぐりぬけると、中はそれなりの混み具合い。

 それでも窓口上部のパネルに表示された待ち人数はそんなに多くなくて、ひと安心する。

 番号札を貰おうとキョロキョロしているとすぐに行員のお姉さんが優しい笑顔で用件を聞きに来てくれた。

 それからスムーズに口座開設は進み、残すは通帳を貰うのみとなった。

 待合用の座席は三連のベンチがいくつか置いてあって、私はその中の出入り口に近いベンチの端に座った。

 一つあけて右隣には赤ちゃんを抱いたお母さんが座っている。

 ふと、お母さんの服にしがみついてる赤ちゃんと目が合った。

 かわいい。

 おしゃぶりを口につけた赤ちゃんは目を真ん丸にして、私のことを食い入るように見ている。

 あ。 にらめっこだね? 負けないぞ。

 じー……と赤ちゃんとひたすら見つめ合う。

 ふわふわほっぺにつぶらな瞳。

 まだ生えたてのふわふわな髪の毛。

 ギュッと握られた小さな手。


「あはっ」


 そのかわいさに負けて、私は噴きだした。


「負けたぁ~!にらめっこ強いねぇ」


 私が笑うと赤ちゃんもキャッキャと笑い出す。

 ちょっと困った顔で笑うお母さんに「可愛いですね!」と声をかけると「ふふ、ありがとう」と赤ちゃんとおんなじ可愛い笑顔を返してくれた。

 は~、素敵な親子だぁ。

 平和な放課後だな〜。


 ……なんて思った、その時だった。


 パァン!


「キャー!!」

 
 行内に銃声と悲鳴が轟いた。


「全員動くな!」


 どすの利いた男の声に目を向けると、天井からパラパラと何かの破片が落ちる中、窓口のカウンターの上に仁王立ちする黒づくめの男がいた。

 黒いニット帽、黒いマスク、黒いジャケットに黒いミリタリーパンツ。

 そして天井に向かって高く挙げられた右手に、黒い銃。

 強盗……!?


「通報したら殺すぞ!!」


 そう叫んで今度は壁の高い方に銃弾を撃ちこむと、またどこからか悲鳴が上がる。


「うるせぇ‼ 静かにしやがれ‼」


 強盗犯が悲鳴のした方に銃口を向けると、その場にいる全員が息を呑んで異様な空気に包まれる。

 強盗犯は息を荒げながらカウンター内の女性行員に銃口を向けた。


「おいそこの女! ここに現金ありったけ入れろ‼ それ以外の全員、動くんじゃねぇぞ‼ バカなこと考える奴は容赦なく撃つからな‼」


 強盗犯は大きなボストンバッグをカウンターの中に投げ入れて、女性行員が現金を取りに行くのを確認すると、行内全体に目を光らせた。


「……ホギャ……ホギャァー」


 隣の赤ちゃんが泣きだした。