「っ、先生!先生!」
「はい、先生ですよー」
己の命の危機に必死な私と反対にゆるーい返事をする三田先生は、これから始まる入学式の段取りを黒板に白いチョークで書き始めている。
「席変えてください!てかクラス変えてください!!」
「あーわかるなぁ。高校デビューで早く友達を作りたい気持ち」
先生は一通り黒板に書き終えてチョークを置き、教卓に腕を組んで遠い目をする。
「懐かしいなぁ、先生もな、高校デビューで緊張してとりあえず目立たないとってケツ出したもんだ。あっ、お前らはケツ出すなよ?黒歴史になるからな。あだ名が桃尻になるからな。はい、日直ー……ってまだいなかったわ、挨拶するぞー、きりーつ」
全然私の話を聞いてくれない先生の号令で、みんながガタガタと椅子から立ち上がる。
誰かが、センセーのお尻桃尻なの~?と聞いて、みんなが笑う。
「はいうるさいでーす。おはようございまーす。アンド入学おめでとうございまーす」
先生に続いて、みんなも笑いながら挨拶をする。着席する。って平和か。
「……とりあえず座ったら?」
隣の人殺しにアドバイスをされて、反発したい気持ちが湧きつつも、立っていても仕方ないことを悟って大人しく席につく。
先生もクラスメイトもみんな通常運転、何事もなかったかのように入学式の日をやっている。
ここに、笑顔で躊躇なく人を殺めるとんでもない人がいると言うのに。
冷や汗の止まらない私を、まじまじと見つめてくる冷や汗の原因の人。
「黒髪も似合いますね、お姫様」
「……!」
彼の整い過ぎた顔は現世でも健在で。
小首を傾げてそんなことを言われてしまえば、何も知らない女子ならコロッと落ちてしまうに決まっている。
絶対に落ちるわけにいかない私はここで反応してしまったら負けだと、無視を決め込むことにする。
「つーか俺いま思い出したんだけど、そっちも?」
「……」
「ははっ。 すげぇ、こんなことあるんだ」
私の無反応なんかお構いなしに屈託なく笑う彼は、どこからどう見ても、普通の男子高校生だ。
わからなくなってきて、恐る恐る聞いてみる。
「あの……私を殺した人ですよね?」
こんなセリフを本気で吐く人、たぶんこの世で私以外、いない。
「……」
隣の席の彼は笑うのをやめ、高校生らしからぬ静かな視線だけ寄越すと、
言葉を発することなく、ゆっくりと口角をあげた。
それは、前世で私が最期に見た光景と同じ。
美しい、美しい笑顔。
「……」
ヒュンッ、と私の内臓がひっくり返った。
「っ、先生ーー!!私!!転校します!!」
「お、それはすごい心意気だな。その気持ちがあればなんでもできるぞー。よし、体育館に移動シマース」
「せんせぇぇぇぇ」
私は膝を折ってその場に崩れ落ちた。
だめだ、終わった。
私の高校生活が。
私の、愛と希望に満ちたキラッキラの青春がぁ……!!
「……は?」
眩しい春の青空に覆われた校庭の隅。
お山座りする幼なじみの美紗ちゃんが、もともと涼しげな目をさらに冷たくして私を横見した。
「だからね、私、殺されたの! あの人に!」
半袖ポニーテールの私の熱い訴えに、低体温の美紗ちゃんは引っ張った水色ジャージの上着の中に折り畳んだ膝を閉じ込めて怪訝そうに顔を歪めた。
「あの人って……あの人?」
「そう!あの人!」
私はグラウンドの真ん中の方を指差した。
そこにいるのは、〝彼〟。
和やかにクラスの男子と談笑しながら50M走の測定を待つ酒々井優成である。
私に言われるがまま酒々井優成を一瞥した美紗ちゃんは、私に視線を戻すと、死んだ目で一応口角をあげてくれながら「……うん?」と首を傾げた。
美紗ちゃんの綺麗に切り揃えられたショートカットがさらりと揺れて、私はあまりのもどかしさに「んもぉ〜っ」と唸りながらグーにした手を上下にブンブンと振る。
入学式翌日の二時間目、体育の時間。
いまは美紗ちゃんと隣に並んで体力測定の一つ、立ち幅跳びの順番待ちをしている最中で、まったくわかってくれそうにない美紗ちゃんに私はもう一度イチから説明する。
「あのね、私の前世がね、お城のお姫様で、パーティーであんな男の子と目が合ったらコロッと落ちちゃうでしょ?それでついていったらパァン!だよ!ひどくない!?」
「うん、全然わかんない」
「美紗ちゃぁん!!」
手詰まりになった私は美紗ちゃんに泣きつくしかできない。
「えーと……なに? 酒々井くんが夢に出てきたってこと?」
「う、うーん……」
「で、殺されたの?」
「そう!殺されたの!」
「なんで」
「えっ、なんで?なんでだろ?わかんないけど、多分あれは殺し屋ってやつだよ!なんの迷いもなかったもん……!」
「あは、殺し屋ウケる~」
「ちがう、美紗ちゃんちがう、呑気にウケてる場合じゃないの」
美紗ちゃんがくぁ、とあくびをした。
「ひまりはね、漫画とかドラマとか見すぎ。 勉強しろ勉強~」
もう何を言っても変なこと言ってるみたいにとられてしまう。
私はいじけて地面にえだまめくんを書き始めた。
いきなり前世がどうの、なんて言っても信じてくれないかぁ……。
私だって美紗ちゃんの立場だったら『疲れてるのかな?』くらいにしか思わない。
それに毎朝寝坊して遅刻ギリギリダッシュするようなそそっかしい女子高生の前世が、お城のお姫様って。
キャラじゃなさすぎて自分でも笑っちゃう。
「あ、見て!酒々井くん走るって!」
「え!見たい」
近くにいた女の子たちのはしゃぐ声に、思わず顔をあげた。
ジャージをおしゃれに着こなすモデル体型の酒々井優成が、50メートル走のスタートラインに立っている。
風が吹いて酒々井優成の柔らかそうな黒髪が揺れると、やたら整った顔があらわになる。
女子たちからしっとりしたため息が漏れた。
「やばい……ほんとかっこいい」
「えー?目つきちょっと怪しくて怖くない?」
「それがいいんじゃん!」
「彼女いるのかなー」
「はい!立候補!」
「ずるい!私も!」
「はい地獄絵図〜。みんな平等にアイドル枠でしょ~」
あははっと楽しそうに笑いながら去っていく女の子たちの背中に、美紗ちゃんが「出た、女子の『抜けがけすんなよ』協定」とぼやいた。
「えっ、そういう意味だったの……!?」
すごく平和なやりとりに見えたよ!?
「そうだよ。そんで大体言い出しっぺが『本気になっちゃった〜』とか言って抜け駆けして結局泥沼化する」
美紗ちゃん、私が知らないところで過去に何かあったのかな……。
スタートライン横に立つ体育委員が笛を口にして、酒々井優成含む走者たちが準備に入った。
「ヨォーイ……」
間もなくピッと笛が鳴り、一斉に走り出した。
大注目の中50メートルを駆け抜ける酒々井優成と他三名の男子たち。 接戦だ。
……結果。
酒々井優成は健闘むなしく三着に終わった。
「普通だね」
美紗ちゃんに耳打ちされて、確かに、と思う。
足長いから速そうなのに。 てか殺し屋なのに。
それから美紗ちゃんと立ち幅跳びの測定を終えて次の反復横跳びの列に並んでいるとき、酒々井優成のハンドボール投げを見た。
きれいなフォームで思い切り振りかぶって投げられたボールは、
「あ、やべ」
ボスッとすぐ近くの地面に叩きつけられた。
「……やり直していい?」
首を横に振る体育委員に両手を合わせてお願いする酒々井優成。
傍で見ていた男子たちが笑っている。
「あんな人でも人殺せるの?」
美紗ちゃんに聞かれて、私は首を傾げる。
確かに、殺し屋にしてはなんだか身のこなしが重いし、どんくさい。
身体能力の問題じゃないのかな……?
そのとき、しゃがむ私たちの後ろを通りがかったクラスの男子二人組の声が聞こえてきた。
「酒々井ってとっつきにくそうに見えて意外にいいやつだよな」
「あ、俺も思った。イケメンだけど鼻にかけてないっつーか」
「そうそう、全体的にゆるくて誰に対しても態度変わんないよな。いつも平和な感じ」
……平和な感じ?
「だってさ」
美紗ちゃんが私を見た。
「……」