籠の中の鳥 〜囚われの姫と副総長〜

わたしは、嫌なことなんて一切されていないのに。


「気にしないで。それに、わたしは――」

「忘れてくれ」


思いも寄らない言葉が飛んできて、わたしの胸に突き刺さる。

戸惑いながらも目を向けると、いつもの冷たいまなざしで玲がわたしを捉えていた。


わたしは、玲に頼られて求められて…うれしかった。

だから、2人だけのあの時間を忘れられるはずがないし、忘れたくもないというのに――。



『忘れてくれ』


部屋に戻ってからも、玲のあの言葉が繰り返し頭の中で再生される。


一晩中起きてはいたけれど、不思議と眠くもない。

なにかしていないと落ち着かなくて、わたしはひとまず制服に着替えた。


気分転換に外へ出よう。

そう思い、下に下りると――。


「…早くしろ!」

「なにしてる!急げ…!」
そんな声が聞こえ、寮にいた数少ないRULERのメンバーたちがみんな玄関のほうへと駆けていく。


「…ねぇ!どうかしたの?」


わたしは、その中の1人を呼び止めた。


「みんな、なにをそんなに慌ててるの?」

「もうすぐ、十座さまが戻られるんです…!だから、そのお迎えにっ」

「…十座が!?」


この数日間は玲の看病のことで頭がいっぱいだった。

だから…忘れていた、十座のことを。


「玲には…?もう知らせたの?」

「もちろんです!玲さんには一番に知らせています!玲さんならすでに向かわれています」


まだ完全に治っていないというのに、あの体調で動きまわるなんてっ…。


玲のことが気になって、わたしも玄関へと急いだ。


「…玲!」


と叫んだけれど、ちょうどそのとき寮の扉が開いた。
太陽を背中に浴びてやってきたのは、久々に見る…十座。


「「おかえりなさいませ!十座さま!」」


RULERのメンバーたちは、玄関から玉座の間にかけての一直線の廊下の左右に整列して、頭を下げて十座を出迎える。


「おお、戻ったぞ」


十座のあとには、抗争に参加していた幹部やRULERのメンバーたちがぞろぞろと続く。


…十座が帰ってきた。

心休まる時間は、ほんの一瞬だった。


「玲!玲はいるか!?」

「はい!」


十座が呼ぶと、すぐに玲が十座のそばに現れた。


「オレがいない間に、変わったことはなかったか?」

「いえ、なにも。心配されるようなことはありません」

「そうか。今回のことについて、情報を共有しておこうと思う。今から玉座の間へこい」

「かしこまりました」


玲は平然としながら、十座のあとをついていく。
まだ熱はあるし、この数日まともに食事も摂っていない。

だから、体力だって回復してないはずなのに、何食わぬ顔をしていつも通りに振る舞って。


わたしにはわかる。

十座の前で、必死に痩せ我慢していることが。


そんな玲が心配で、ずっと目で追っていた。


すると、廊下に整列するRULERのメンバーの後ろから玲を見つめるわたしの存在に十座が気づく。


「お?なんだ美鳥、オレさまと会えなくて寂しくて出迎えにきてくれたのか?」


そんなわけない。

そもそも十座なんて、眼中にも入っていなかった。


「茉莉花は出迎えるなんてこと、今までで一度もなかったのにな。お前はかわいいやつだな、美鳥」


なにを勘違いしてか、十座はわたしに向かってニヤリと微笑む。

わたしは眉間にしわを寄せ、視線をそらした。
そのあと、玉座の間での集会が終わったのか、RULERのメンバーたちが部屋に戻ってくる足音が聞こえた。

わたしは玲の部屋へと向かう。


コンコンッ

「はい」


中から玲の声が聞こえ、わたしはドアを開ける。


「玲…」


わたしが部屋に入ると、玲は驚いたように目を見開ける。


「…なにしにきたっ」

「玲、まだ体調悪いんでしょ…?十座が帰ってきたけど、あまり無理しないで――」

「お前には関係ない」


そう言って、わたしに背中を向ける玲。

その姿は、わたしがよく知る冷たい玲のまんま。


「それよりも、早く出ていけ。こんなところ、十座さまに見つかったらどうする…!」

「でも、わたし――」

「お前は十座さまの妃候補、俺はその世話役。俺たちの関係は、それ以外なにもない」


玲はわたしの腕をつかむと、無理やり部屋から追い出した。
バタンと音を立てて閉められるドア。


わたしはその前で、呆然としてたたずんでいた。


『お前は十座さまの妃候補、俺はその世話役。俺たちの関係は、それ以外なにもない』


…そんなこと、言われなくてもわかってる。

それなら、昨日のあれは…なんだったの?


『…もっと、もっと…美鳥がほしい』


わたしは玲との間に、これまでには存在しなかった関係が芽生え始めたと思ったのに…。

あれは、…夢?


――教えてよ、玲。

わたしは、あなたの気持ちが知りたい。
『お前は十座さまの妃候補、俺はその世話役。俺たちの関係は、それ以外なにもない』


――あれから数週間。

あの日以来、玲はわたしに対して冷たくなった。


…いや。

これが本来の玲。


玲の看病としていっしょに部屋で過ごした時間は、今となってはまるで幻のように感じる。


玲は、明らかにわたしと距離を置くようになった。

あのときみたいに自分のことは語らなくなったし、会話といえば事務的なものだけ。


なにか玲に、…嫌われることでもしてしまっただろうか。


…もしかして、わたしがキスしたことが――。


『…か、勘違いしないで。玲が自分で水が飲めないから、わ…わたしがこうして飲ませるしかなかったから』


あれは、口移しで水を飲ませただけ。

…決してキスではない。


だけど、なにか思い当たることといえば、あれくらいしか――。
何日も頭を抱えて悩んだけれど、これといった原因は思いつかなかった。


「やっぱり…わたしのせいなのかな」


ぽつりとつぶやきながら、わたしは部屋の窓から寂しく外を眺めていた。


するとそのとき、部屋にかすかに足音が響く。

それを聞いて、わたしはすぐにその足音がだれのものか察しがついた。


近づくにつれドスドスという地響きのようなこの足音は――、十座だ。


「美鳥!」


思ったとおり、ノックもなしにわたしの返事も聞かずに、十座が部屋のドアを荒々しく開け放った。


「…なんの用」


わたしはとっさに身構える。


「ご主人さまが自分の妃候補の部屋に入ろうと、そんなのオレの勝手だろ?」


さも当然というように語る十座。


ここでは十座が法律で、十座を中心にして物事がめぐっている。
だから、あまりにも理不尽なことでも耐えるしかない。


「お前が窓から顔を出しているのが外から見えたから、きてやったぞ」


“きてやったぞ”なんて言われても、わたしはそんなことまったく望んでいないというのに。


「いつもならこの時間は授業に出て部屋にいないことが多いが、今日はめずらしいな」


十座の言うとおり、普段であればわたしは学校に行って寮にはいない。

今日も朝から出席はしていたけど、まったく授業に集中できなくて2限の途中で帰ってきていた。


「難しそうな顔をしていたが、なにか考え事か?」

「…あなたには関係ないでしょ」


歩み寄ってきた十座から離れるように、わたしは背中を向けてソファのもとへ行く。


「相変わらず無愛想なやつだな」


愛想のないわたしに対して、ため息をつく十座。