これはナターシャが前世で引き起こした事件の回想である。長くなるが読んでほしい。
ナターシャはこの時既に、皇太子キムの第一夫人としての地位を得ていた。圧倒的な美貌に才能。そして実家血族との厚いパイプもあり、多くの者達を従えていたのだった。
更にナターシャ後宮入りの直後に、皇后が亡くなったのも追い打ちをかけて彼女の権勢は留まる事を知らない勢いとなった。
しかしナターシャは焦っていた事があった。それはキムとの間に子が中々出来ない事である。
第一夫人である以上、世継ぎを産むのは絶対条件。仮に第二夫人以下側室の子が世継ぎになれば自身の立場が危うくなる事をナターシャは承知していた。
勿論その世継ぎを自身の養子とし、更にその側室とパイプを築く。という選択肢も当然あった。しかしその場合側室側が何をしでかすか分からない。ナターシャのプライドにも傷がつく。その為この選択肢をナターシャは極力選びたくは無かったのだった。
もっと言うと、ダメなら祈祷と称して他の男達と交わり子を設けるという選択肢だってあった。だがナターシャはこの選択肢も極力選びたくは無かった。まあこの選択肢は最終的には選んでしまう事になるのだが。
そしてナターシャが最も恐れていた事態が起こったのだった。
「何だと?」
午後の後宮の中にある皇太子第一夫人専用の間にて。この日キムは住まいを留守にしていた。ここでナターシャは侍女を連れて紅茶を飲んでいた時、宦官が報告にやってきた。
「側室の〇△が子を孕んだようです」
「それはまことか?」
「今、医者の診察を受けている所でございます」
◯△は側室の内の1人。実家及び父親は皇帝に仕える家臣である。数年前に皇太子キムに仕える侍女として、後宮入りしそのままキムに見初められて側室となったのだった。
宦官から〇△について話を聞いたナターシャは、ナターシャ自身が見聞きした噂との照合及び確認の為に宦官に詳しく話を聞いたのである。
整理すると、まず〇△は最近、体調を崩す事が多くキムと閨を共にしていなかった事。体調に関して具体的に説明すると吐き気などの消化器症状を訴えていた事。そしてここ1週間の間で、自身の家族とよく面会していた事が挙げられたのだった。
「ナターシャ様…」
宦官がひざまづいた状態でナターシャを見上げる。
「とりあえず、様子を見に行け」
「畏まりました」
宦官はナターシャのいる間から早足で出て行った。侍女が心配そうに宦官の背中を見つめていたのだった。
そんな中30分ほどで宦官がナターシャの元へと戻って来る。
「ナターシャ様、お待たせしました」
「どうだった?」
「やはり妊娠しておいででした。2か月3か月くらいかと」
「そうか…」
ナターシャは言葉を濁ませる。宦官と侍女が心配そうにナターシャを見つめる。
「そのまま、皇太子に知られるまで秘密にしておくように」
ナターシャはここは慎重な策を取った。宦官は驚いた表情でナターシャを見つめる。
「分かりました」
「では下がってよい」
「ははっ…」
宦官は下がっていく。宦官の姿が見えなくなった所でナターシャは侍女へ口を開いた。
「やつを呼べ。裏道からな」
「はっ」
やつとはアサシン…つまり暗殺者の事。先程宦官に告げた慎重策は、ナターシャの嘘だ。ナターシャはこうして二枚舌とも言える発言を何度か繰り返していたのだ。
ちなみにナターシャが呼べ。と言った侍女も、アサシンの手練れである。
「は、ここに」
どこからか音も立てずに、侍女の姿をしたアサシンの女が現れた。侍女の後ろから現れた事で、侍女は(アサシンであるにも関わらず)一瞬驚きの表情を見せる。
「◯△の夕食後の茶に毒を混ぜよ」
「了解致しました」
やり取りはたったのこれだけ。アサシンの女はまたも音を立てずに煙のように去っていく。
「これで安泰よ」
ナターシャのこの声が、空虚に響く。
夕食前、ナターシャ及び側室らが一同に会する。これは定期的なものだ。
「皆、元気に過ごしているか?」
ナターシャがそう、側室全てに優しく穏やかに、かつ威厳を出しながら問いかける。
「はい、ナターシャ様」
このぴったり揃った側室達の声は、ナターシャにとってはいつもの事だ。◯△も特に変わった様子は見られない。
ナターシャはここでは、◯△の妊娠を他の側室には聞かせなかった。ナターシャからの匂わせも無ければ、◯△も報告したり匂わせる事は無かった。
しかし、ここでナターシャにとっては、幸運とも呼べる出来事が起こる。
「◯△様、おめでとうございます」
「え?」
おめでとうございます。と言ったのは側室の1人の□□。この側室はナターシャや◯△よりも年上の人物だ。
□□は伯爵家出身で、普段は割と大人しいものの、かなりの野心家である人物だ。悪役令嬢と言う言葉がぴったりな人物と言えるだろう。
「聞いたわよ、皇太子との子供を授かったって」
そう語る□□。笑みこそ浮かべてはいるが、内心では腸が煮えくり返っているのがナターシャからは見て取れた。
「◯△、まことか?」
と、ナターシャが◯△へ問う。すると◯△は正直に認めたのだった。
「ナターシャ様。はい、医者に診てもらいました」
「そうか。体を大事にせよ」
「ありがとうございます」
◯△は頭を下げた。そして□□へなぜ、どうやって知ったのか質問すると、□□はたまたま居合わせたとだけ話したのだった。
(ふむ…)
こうして集まりは解散し、各々夕食を食べたり入浴したりする時間が訪れる。
ナターシャは自室で優雅に夕食を頂いていた。この日のメインディッシュは魚とじゃがいものフライ。タルタルソースがフライの衣に染みて濃厚な味わいを醸し出している。
「ナターシャ様、いかがでございましょう?」
厨房の料理人がナターシャの顔色を伺う。ナターシャが美味しいと告げると、料理人はほっと一息ついたのだった。
「ありがたき幸せでございます」
「これからも励むように」
「ははっ」
そして◯△もまた、ナターシャと同じものを自室で頂いていた。夕食を食べ終わり、1人で本を読みゆっくりと過ごしている時、侍女がやって来る。
「食後の紅茶をお持ちしました」
この侍女、正体はナターシャの命を受けたアサシンの女である。◯△は彼女へ疑う素振りもなく紅茶を受け取ると毒が入っているのにも気づかず、ごくごくと飲み干した。
この時、紅茶に入っていた毒はトリカブトの毒を加工…及び魔術によって時間差で効くようにした代物であった。ナターシャは常日頃からこの毒を使っていたのだった。
「殺すなら場合にもよるが基本一瞬で」
これがナターシャのある意味モットーでもあった。アサシンの女が部屋を離れてしばらくして、毒が回った◯△はぱたりと倒れ一瞬で死んだのだった。
そして、ナターシャが夕食を食べ終えて、自室で手紙を読んでいた時。
「終わりました」
瞬時に現れたアサシンの女はそうナターシャに報告した。
「飲んだか」
「はい。先程遠目で見た所、血を吐いて倒れておりました」
「わかった。大義であった」
アサシンの女はまたも煙のように去っていく。部屋にいるのはナターシャだけだ。
「さて、どうするか…」
これから大体2.3時間後。◯△の部屋から宦官や侍女達が騒ぐ声がナターシャのいる部屋にまで聞こえ出した。
「なんだ?」
ナターシャがそう呟いた時、ナターシャの元へ宦官が走ってやってきた。顔には大粒を汗を浮かべている。
「ナターシャ様、大変です!」
「何があった」
「◯△様が…倒れておいでで…!」
「なんと…!」
ナターシャは驚く表情を浮かべて見せる。しかしすぐ冷静になり、医者を呼べと宦官に告げた。
「かしこまりました!」
「私もそちらへ伺おう。案内せよ」
「ははっ」
気が動転しきった宦官に案内されて向かった先には、◯△の遺体があった。左口元には確かに血の痕跡がある。
その後駆けつけた医者により、◯△の死が宣告される。侍女達は泣き出しパニックになり、宦官も焦りだす。
騒ぎを聞きつけやって来た□□ら側室達もそれぞれ泣いたりパニックになったりしている。
「皆、落ち着くのだ」
そんな彼らをナターシャが制してなだめる。ナターシャがなんとかなだめた結果、侍女や宦官達は徐々に落ち着きを取り戻していった。□□も落ち着き払った様子を見せている。
「この事はすぐさま皇太子様と皇帝陛下にご報告せよ」
「はっ」
「医者には遺体の保存をよろしく頼む」
キムが戻ってきたのは翌々日の事だった。〇△と対面したキムは、口をぎゅっとつぐみ、驚きと悲しみの表情を彼女に向けたのだった。
「なんと…」
〇△の葬儀は盛大に執り行われた。この時点で彼女が何者かに殺されたのでは?という噂は勿論立っていたが、結局彼女の死因は病死であると宮廷のカルテには記されたのだった。
〇△の葬儀後、ナターシャは動いた。昼過ぎの茶会にてキムと2人きりになると、キムへこうけしかける。
「〇△に毒を盛ったのは、□□では?という噂がございます」
「ナターシャ、それはまことか」
「今、調べさせてもらっています」
「そうか」
ナターシャは□□に〇△殺しの罪を擦り付けた。キムにそう告げ、ナターシャはその場を去っていく。その後□□からは言い逃れできない程の証拠が出て来た。しかしそれらは全てナターシャ側が用意したものだった。
更にこの時点でナターシャは医者から、〇△は毒殺されたという言質も取れていた。
「皇太子様、どうなさいます?」
「ナターシャ、お前ならどうする」
「極刑でしょう。追放という手もありますが追放先で有力者と結託されれば叶わないですし」
「して、刑の内容はどうする?」
「銃殺刑で」
ナターシャがそう言った時、キムは大きく頷いた。
それから数日で、□□は後宮内で捕縛され、宮廷内で取り調べを受ける事になる。
「私は知りませぬ。あの女は病気だったのでしょう」
そう語る□□。だが取り調べは続く。
「ではなぜ〇△の懐妊を知ったのだ」
「それは…たまたまです」
「偶然という事は無いだろう!」
「信じてください!!」
その取り調べ内容を宦官から聞いていたナターシャは、ついに捕縛された□□の元へと向かったのだった。家臣に案内され向かった尋問室には、かつてのきらびやかさが失われた□□が縄に繋がれた状態で座っていた。
髪は荒ぶり、顔色も悪い。
「□□よ…」
「ナターシャ様…助けてください!私は何もしておりませぬ!」
「□□、もうよい。ここは罪を認めた方が楽になるぞ」
「私は本当に何も知らないのです!あの女が死んだのは運が悪かっただけなんです!」
「では、なぜ死んだと思う?」
「それは…心臓発作では?」
「心臓発作で吐血すると思うか?」
「…」
□□をナターシャは無慈悲に見下ろす。
「罪を認めよ。今のうちだぞ。もう証拠は出ているのだから」
「ナターシャ様…」
ナターシャからの言葉を受けた□□はその場で泣き崩れたのだった。ナターシャはその場を去り、自室に戻る。
(これでそろそろ自白するだろう)
だが、こればかりはナターシャの思い通りにはならなかった。皇太子や皇帝の命令で軽い拷問を受けようとも□□は口を割らなかった。
「私は知りませぬ!」
の一点張り。ナターシャが罪を擦り付けた結果ではあるが、これには皇太子も皇帝も頭を悩ませていたのだった。
〇△が死んで1か月くらいが経過したある日、キムはナターシャにこう相談する。
「□□は自白しない。罪を認めないでいる。ナターシャはどうする?」
「…もう、処刑してしまいましょう」
「成程…」
その1週間後。□□の銃殺刑が正式に決定した。銃殺刑が知らされた□□の様子は変わらなかったという。
「私はやっておりません!」
宮廷から離れた処刑場。兵士と皇太子の立ち合いの元、刑は執行された。
最後まで抵抗し続けた□□はこうして命を落としたのだった。
「そうか」
□□に罪を擦り付けた真犯人のナターシャは、刑の執行を後宮の自室にて宦官から聞いたのだった。
「了解した」
「ははっ」
誰もいない自室にて、ナターシャはふうーっと大きく息を吐いた。
「やっと終わった…」
その顔に笑みは無い。ただただ疲れた、ようやく終わったと言うような顔だった。
こうして〇△の妊娠及びそれらから起因した事件は、ナターシャに罪を擦り付けられた□□の処刑と言う形で幕を引いたのだった。
競争相手が一気に2人も減ったナターシャからすれば、この事件は彼女に取ってはとても大きなものだったと言えるだろう。
「はあ…疲れてしまった」
だが、ナターシャはこの後も、後宮内で起きた数々の人間の死に関わっていくのである。
ナターシャはこの時既に、皇太子キムの第一夫人としての地位を得ていた。圧倒的な美貌に才能。そして実家血族との厚いパイプもあり、多くの者達を従えていたのだった。
更にナターシャ後宮入りの直後に、皇后が亡くなったのも追い打ちをかけて彼女の権勢は留まる事を知らない勢いとなった。
しかしナターシャは焦っていた事があった。それはキムとの間に子が中々出来ない事である。
第一夫人である以上、世継ぎを産むのは絶対条件。仮に第二夫人以下側室の子が世継ぎになれば自身の立場が危うくなる事をナターシャは承知していた。
勿論その世継ぎを自身の養子とし、更にその側室とパイプを築く。という選択肢も当然あった。しかしその場合側室側が何をしでかすか分からない。ナターシャのプライドにも傷がつく。その為この選択肢をナターシャは極力選びたくは無かったのだった。
もっと言うと、ダメなら祈祷と称して他の男達と交わり子を設けるという選択肢だってあった。だがナターシャはこの選択肢も極力選びたくは無かった。まあこの選択肢は最終的には選んでしまう事になるのだが。
そしてナターシャが最も恐れていた事態が起こったのだった。
「何だと?」
午後の後宮の中にある皇太子第一夫人専用の間にて。この日キムは住まいを留守にしていた。ここでナターシャは侍女を連れて紅茶を飲んでいた時、宦官が報告にやってきた。
「側室の〇△が子を孕んだようです」
「それはまことか?」
「今、医者の診察を受けている所でございます」
◯△は側室の内の1人。実家及び父親は皇帝に仕える家臣である。数年前に皇太子キムに仕える侍女として、後宮入りしそのままキムに見初められて側室となったのだった。
宦官から〇△について話を聞いたナターシャは、ナターシャ自身が見聞きした噂との照合及び確認の為に宦官に詳しく話を聞いたのである。
整理すると、まず〇△は最近、体調を崩す事が多くキムと閨を共にしていなかった事。体調に関して具体的に説明すると吐き気などの消化器症状を訴えていた事。そしてここ1週間の間で、自身の家族とよく面会していた事が挙げられたのだった。
「ナターシャ様…」
宦官がひざまづいた状態でナターシャを見上げる。
「とりあえず、様子を見に行け」
「畏まりました」
宦官はナターシャのいる間から早足で出て行った。侍女が心配そうに宦官の背中を見つめていたのだった。
そんな中30分ほどで宦官がナターシャの元へと戻って来る。
「ナターシャ様、お待たせしました」
「どうだった?」
「やはり妊娠しておいででした。2か月3か月くらいかと」
「そうか…」
ナターシャは言葉を濁ませる。宦官と侍女が心配そうにナターシャを見つめる。
「そのまま、皇太子に知られるまで秘密にしておくように」
ナターシャはここは慎重な策を取った。宦官は驚いた表情でナターシャを見つめる。
「分かりました」
「では下がってよい」
「ははっ…」
宦官は下がっていく。宦官の姿が見えなくなった所でナターシャは侍女へ口を開いた。
「やつを呼べ。裏道からな」
「はっ」
やつとはアサシン…つまり暗殺者の事。先程宦官に告げた慎重策は、ナターシャの嘘だ。ナターシャはこうして二枚舌とも言える発言を何度か繰り返していたのだ。
ちなみにナターシャが呼べ。と言った侍女も、アサシンの手練れである。
「は、ここに」
どこからか音も立てずに、侍女の姿をしたアサシンの女が現れた。侍女の後ろから現れた事で、侍女は(アサシンであるにも関わらず)一瞬驚きの表情を見せる。
「◯△の夕食後の茶に毒を混ぜよ」
「了解致しました」
やり取りはたったのこれだけ。アサシンの女はまたも音を立てずに煙のように去っていく。
「これで安泰よ」
ナターシャのこの声が、空虚に響く。
夕食前、ナターシャ及び側室らが一同に会する。これは定期的なものだ。
「皆、元気に過ごしているか?」
ナターシャがそう、側室全てに優しく穏やかに、かつ威厳を出しながら問いかける。
「はい、ナターシャ様」
このぴったり揃った側室達の声は、ナターシャにとってはいつもの事だ。◯△も特に変わった様子は見られない。
ナターシャはここでは、◯△の妊娠を他の側室には聞かせなかった。ナターシャからの匂わせも無ければ、◯△も報告したり匂わせる事は無かった。
しかし、ここでナターシャにとっては、幸運とも呼べる出来事が起こる。
「◯△様、おめでとうございます」
「え?」
おめでとうございます。と言ったのは側室の1人の□□。この側室はナターシャや◯△よりも年上の人物だ。
□□は伯爵家出身で、普段は割と大人しいものの、かなりの野心家である人物だ。悪役令嬢と言う言葉がぴったりな人物と言えるだろう。
「聞いたわよ、皇太子との子供を授かったって」
そう語る□□。笑みこそ浮かべてはいるが、内心では腸が煮えくり返っているのがナターシャからは見て取れた。
「◯△、まことか?」
と、ナターシャが◯△へ問う。すると◯△は正直に認めたのだった。
「ナターシャ様。はい、医者に診てもらいました」
「そうか。体を大事にせよ」
「ありがとうございます」
◯△は頭を下げた。そして□□へなぜ、どうやって知ったのか質問すると、□□はたまたま居合わせたとだけ話したのだった。
(ふむ…)
こうして集まりは解散し、各々夕食を食べたり入浴したりする時間が訪れる。
ナターシャは自室で優雅に夕食を頂いていた。この日のメインディッシュは魚とじゃがいものフライ。タルタルソースがフライの衣に染みて濃厚な味わいを醸し出している。
「ナターシャ様、いかがでございましょう?」
厨房の料理人がナターシャの顔色を伺う。ナターシャが美味しいと告げると、料理人はほっと一息ついたのだった。
「ありがたき幸せでございます」
「これからも励むように」
「ははっ」
そして◯△もまた、ナターシャと同じものを自室で頂いていた。夕食を食べ終わり、1人で本を読みゆっくりと過ごしている時、侍女がやって来る。
「食後の紅茶をお持ちしました」
この侍女、正体はナターシャの命を受けたアサシンの女である。◯△は彼女へ疑う素振りもなく紅茶を受け取ると毒が入っているのにも気づかず、ごくごくと飲み干した。
この時、紅茶に入っていた毒はトリカブトの毒を加工…及び魔術によって時間差で効くようにした代物であった。ナターシャは常日頃からこの毒を使っていたのだった。
「殺すなら場合にもよるが基本一瞬で」
これがナターシャのある意味モットーでもあった。アサシンの女が部屋を離れてしばらくして、毒が回った◯△はぱたりと倒れ一瞬で死んだのだった。
そして、ナターシャが夕食を食べ終えて、自室で手紙を読んでいた時。
「終わりました」
瞬時に現れたアサシンの女はそうナターシャに報告した。
「飲んだか」
「はい。先程遠目で見た所、血を吐いて倒れておりました」
「わかった。大義であった」
アサシンの女はまたも煙のように去っていく。部屋にいるのはナターシャだけだ。
「さて、どうするか…」
これから大体2.3時間後。◯△の部屋から宦官や侍女達が騒ぐ声がナターシャのいる部屋にまで聞こえ出した。
「なんだ?」
ナターシャがそう呟いた時、ナターシャの元へ宦官が走ってやってきた。顔には大粒を汗を浮かべている。
「ナターシャ様、大変です!」
「何があった」
「◯△様が…倒れておいでで…!」
「なんと…!」
ナターシャは驚く表情を浮かべて見せる。しかしすぐ冷静になり、医者を呼べと宦官に告げた。
「かしこまりました!」
「私もそちらへ伺おう。案内せよ」
「ははっ」
気が動転しきった宦官に案内されて向かった先には、◯△の遺体があった。左口元には確かに血の痕跡がある。
その後駆けつけた医者により、◯△の死が宣告される。侍女達は泣き出しパニックになり、宦官も焦りだす。
騒ぎを聞きつけやって来た□□ら側室達もそれぞれ泣いたりパニックになったりしている。
「皆、落ち着くのだ」
そんな彼らをナターシャが制してなだめる。ナターシャがなんとかなだめた結果、侍女や宦官達は徐々に落ち着きを取り戻していった。□□も落ち着き払った様子を見せている。
「この事はすぐさま皇太子様と皇帝陛下にご報告せよ」
「はっ」
「医者には遺体の保存をよろしく頼む」
キムが戻ってきたのは翌々日の事だった。〇△と対面したキムは、口をぎゅっとつぐみ、驚きと悲しみの表情を彼女に向けたのだった。
「なんと…」
〇△の葬儀は盛大に執り行われた。この時点で彼女が何者かに殺されたのでは?という噂は勿論立っていたが、結局彼女の死因は病死であると宮廷のカルテには記されたのだった。
〇△の葬儀後、ナターシャは動いた。昼過ぎの茶会にてキムと2人きりになると、キムへこうけしかける。
「〇△に毒を盛ったのは、□□では?という噂がございます」
「ナターシャ、それはまことか」
「今、調べさせてもらっています」
「そうか」
ナターシャは□□に〇△殺しの罪を擦り付けた。キムにそう告げ、ナターシャはその場を去っていく。その後□□からは言い逃れできない程の証拠が出て来た。しかしそれらは全てナターシャ側が用意したものだった。
更にこの時点でナターシャは医者から、〇△は毒殺されたという言質も取れていた。
「皇太子様、どうなさいます?」
「ナターシャ、お前ならどうする」
「極刑でしょう。追放という手もありますが追放先で有力者と結託されれば叶わないですし」
「して、刑の内容はどうする?」
「銃殺刑で」
ナターシャがそう言った時、キムは大きく頷いた。
それから数日で、□□は後宮内で捕縛され、宮廷内で取り調べを受ける事になる。
「私は知りませぬ。あの女は病気だったのでしょう」
そう語る□□。だが取り調べは続く。
「ではなぜ〇△の懐妊を知ったのだ」
「それは…たまたまです」
「偶然という事は無いだろう!」
「信じてください!!」
その取り調べ内容を宦官から聞いていたナターシャは、ついに捕縛された□□の元へと向かったのだった。家臣に案内され向かった尋問室には、かつてのきらびやかさが失われた□□が縄に繋がれた状態で座っていた。
髪は荒ぶり、顔色も悪い。
「□□よ…」
「ナターシャ様…助けてください!私は何もしておりませぬ!」
「□□、もうよい。ここは罪を認めた方が楽になるぞ」
「私は本当に何も知らないのです!あの女が死んだのは運が悪かっただけなんです!」
「では、なぜ死んだと思う?」
「それは…心臓発作では?」
「心臓発作で吐血すると思うか?」
「…」
□□をナターシャは無慈悲に見下ろす。
「罪を認めよ。今のうちだぞ。もう証拠は出ているのだから」
「ナターシャ様…」
ナターシャからの言葉を受けた□□はその場で泣き崩れたのだった。ナターシャはその場を去り、自室に戻る。
(これでそろそろ自白するだろう)
だが、こればかりはナターシャの思い通りにはならなかった。皇太子や皇帝の命令で軽い拷問を受けようとも□□は口を割らなかった。
「私は知りませぬ!」
の一点張り。ナターシャが罪を擦り付けた結果ではあるが、これには皇太子も皇帝も頭を悩ませていたのだった。
〇△が死んで1か月くらいが経過したある日、キムはナターシャにこう相談する。
「□□は自白しない。罪を認めないでいる。ナターシャはどうする?」
「…もう、処刑してしまいましょう」
「成程…」
その1週間後。□□の銃殺刑が正式に決定した。銃殺刑が知らされた□□の様子は変わらなかったという。
「私はやっておりません!」
宮廷から離れた処刑場。兵士と皇太子の立ち合いの元、刑は執行された。
最後まで抵抗し続けた□□はこうして命を落としたのだった。
「そうか」
□□に罪を擦り付けた真犯人のナターシャは、刑の執行を後宮の自室にて宦官から聞いたのだった。
「了解した」
「ははっ」
誰もいない自室にて、ナターシャはふうーっと大きく息を吐いた。
「やっと終わった…」
その顔に笑みは無い。ただただ疲れた、ようやく終わったと言うような顔だった。
こうして〇△の妊娠及びそれらから起因した事件は、ナターシャに罪を擦り付けられた□□の処刑と言う形で幕を引いたのだった。
競争相手が一気に2人も減ったナターシャからすれば、この事件は彼女に取ってはとても大きなものだったと言えるだろう。
「はあ…疲れてしまった」
だが、ナターシャはこの後も、後宮内で起きた数々の人間の死に関わっていくのである。