「ここまで来たらさすがに大丈夫だろ」

いつもの空き教室はもう、穴場のような場所なのだろうか。
彼が騒ぐ女子から逃げる理由は、なんとなく想像がついた。

きっと、彼はモテすぎて困っているのだろう。

「はぁっ、はぁっ……」

「……すみません、連れ回して」

滅多に運動しないせいで、息切れもそんなにすぐにはおさまらない。

少しだけ申し訳なさそうに眉を下げる彼に、言葉を発さない代わりに片手で「大丈夫!」と親指を立てると、彼はおかしそうに笑った。

___初めて見た。

歯を見せて上がる口角だったり。
笑うとタレ目になっていたり。
笑うと可愛いなって思ったり。

なんとなくそんな彼の表情を直視することができなくて、衝動的に目を逸らす。

いつのまにか、乱れた息は整っていた。

「モテてるんだね」

こんなふうに女の子たちから追いかけられる毎日が続くと考えただけでも、学校に行くだけで身を削る思いなのだろう。

「……別に、あんなの好きとかそーゆーのにはなってねーだろ」

「……どうして?」

彼は感情の読み取れない瞳で、窓の外を見た。今日は、夕日でオレンジには染まっていない、青い空を。


「俺のこと、ちゃんと見てないだけ」


ボソリと呟いた彼の声を、聞き取ることはできなかった。

廊下から、再び騒がしい女子生徒の声が聞こえたから。その声は、さきほど中庭で聞いたものと全く一緒なことから、彼と視線を合わせ、「やばい」と瞬時に察する。


あまり彼と女子生徒の関係性はわからないけど、見つかったらとにかく面倒臭いんだろうなということくらいはわかるのだ。


「こっち」

「へ、わっ……!」


さっきみたいに、ぐいっと手を引っ張られたかと思うと、教室の隅にある掃除用具入れに押し込まれる。

「俺がいいって言うまで出てこないでください」

ぶっきらぼうにそう言うと、私が言葉を発する暇もなく、バタンと金属製の扉が閉められた。

カラカラ、と控えめに空き教室の引き戸を開ける音。

それと同時に、キャッキャと楽しそうな女子たちの声が教室に響いた。



「ナガレみーっけ♡なんで逃げたのよー」
「ずっと探してたのにー」



やっぱり、中庭にいた子たちの声だ……。
これから、告白とかされちゃうのかな。

「あー……わり、気づかなかったわ」
「うっそ!だって私、ナガレと目合ったもん!」
「しかも、知らない女と一緒にいたよね?」

きっと私であるだろう存在を確かめるように問われ、ギクッとする。

どうしよう、彼のことが好きな女子からしたら、私は敵でしかないじゃない。


「別に。関係ないだろ。で、なんか用?もう出るけど」


相変わらず無機質な声でそう言うと、彼は空き教室の出入り口まで歩く足音が聞こえた。

一旦、出て行って引きつけようとしてくれているのだろうか。



「ナガレ今日もカッコいいね!大好きだよ♡」

「カッコよくて、イケメンで、滅多に笑わないところとか!」



話が私から逸れたことにほっとしていたのもつかの間。

彼女たちの言いようが酷いものだったからだ。


「あっそ、よかったな」


格段に冷たくなった彼の声が、さっきよりも遠いところで聞こえた。すぐに、空き教室の引き戸が乱暴に閉められる。


「今日も冷たいよねー、ナガレったら」

「ほんとにね。でも正直、ナガレってあの顔がなかったら終わりだよね」

「わかるー」


さっきまでこれでもかと言うほど好意の目を向けていた彼に対する皮肉に、ケラケラと笑う女子。

なに、それ。

結局、外見だけじゃない。中身なんて、見ようともしてないんじゃないの?

「もっと愛想良くしたらいいのにね。こんな可愛い私らが言い寄ってあげてるのに」

そんな理不尽な文句に、私の心にイライラが溜まっていく。


「ありがたいことって気づかないのかな」

「ねー」


平気な顔してなんでそんなことが軽々しく言えるの。___そう感じた瞬間、私は掃除用具のロッカーを勢いよく開けていた。

ガコンッ!と、扉が壁にぶつかる音と同時に、女子たちの悲鳴も教室に響いた。


「何が言いたいの?」


ぎゅっとてのひらを握りしめると、目の前にいる女子を睨みつける。


「なんでそんなこと言うの?どういう立場でそんなこと言ってるの?」

「誰、アンタ」

「三年生だよ。話、そらさないでよ」

「はぁ?まじで何言ってんの?」

「アンタたちが彼に勝手に嫉妬して、意味のない悪口をわざわざ口に出して言うのはダサイよって言ってるんだけど」


心の中で、「またやっちゃった」とため息をつく。
これは小学生からのことでなんら変わりはないのだけれど、私は陰口や陰湿なイジメが許せないらしい。


そういうのを見たり聞いたりしてしまった時は、ついつい冷静さを欠いて衝動的に行動をしてしまうのだ。


「はぁ!?調子乗らないでくれる?ブス!」


そんな私の言葉に顔を真っ赤にして怒ってしまった一人の女子は、私にズンズンと近づいてくると思えば、思い切り肩を押される。


「いっ……」


急な衝撃に耐えられなくて、床に尻餅をつくと、二人は私を見てクスクスと笑った。

「マジダサイんだけど」
「うけるー」

何がウケるのだろうか。すぐに立ち上がって、スカートについたホコリを涼しい表情で払う私にさらにイラついたのか、なんなのか。


「ってか、まじでアンタみたいなのがナガレに近づくのやめてくんない?イケメンが台無しになるから」

「……外見しか見てないんだね」

「は?」


私は目の前に立つ女子をまっすぐに見つめて続けた。


「アンタたちが彼の中身を見ようともしてないんでしょ。私は彼のこと、あんまり知らない。……でも、ちゃんと優しいってことは知ってるよ。知ろうとしたから」


だから___そこまで言うと、深呼吸をした。

これから言う言葉は、かえって彼女たちを逆上させるかもしれない。


それを承知した上で、だ。




「あなたたちが言ってること、ただのひがみにしか聞こえないよ」

「なっ……!」


さらに顔を赤くさせて、眉毛を吊り上げた彼女が、てのひらを振り上げる。

叩かれる___……。




そう思ったけれど。

痛みを待つ私の頬に、一向に衝撃は来なくて。



衝動的に固くつむっていた目をうっすらと開けると、大きな背中が、私と彼女の間に割って入っていた。



「え……」