「ここはね、二乗になるってことはこの√が外れるってことで___」


「……」


「ちょっと!今は私じゃなくて問題見て!」


「いいじゃん、海花先輩おもろいんだから」


「はぁー!?」



こんなにも私が頑張って説明してるのに……!そんな私の声なんて、フルシカトで先ほどから私を見つめ続ける流くん。

しまいには、私のことが面白い、なんてことを言われる始末で。

もう!なんで私ばっかり見るの!
と、起こりたいところだけど……。あんまりにも怒りすぎちゃったら、やる気がなくなってしまうのは、私もじゅうぶんにわかっているつもりだから、これ以上は言わないことにする。


「……静かになった」


それは流くんが___。


「なんか、先輩って小さくて騒がしい小動物みてぇ」


だから、それは流くんが___。


「……かわいいっすね」

「……は、」


全部流くんのせいだよ!そんなことを思っていたのに。

今の彼のボソッとつぶやかれた言葉で、全て持っていかれてしまう。


「え、と……」


今、可愛いって言った。
あの流くんが。
想像もできないくらいの優しい表情で。


「かわいいって___」

「うん。ペットにしたいくらいですね」


正直言って、「そっちかい!」って、ずっこけたかった。
ずっこけた方がマシだったかもしれない。


だって、だってだって。

私の今の顔、信じられないくらい___


「先輩、顔あっかいね。熱でもあるんじゃねーの」


意地悪く笑う彼を見れば見るほど、顔に熱が集まっていくのを感じたから。


だから、それは流くんのせいなのに___。


赤くなった顔を隠すように、そっぽを向けば、流くんは面白がるように私の顔を覗き込む。

「……照れ……?」

「照れてないから!」

向きになって返せば返すほど、不自然だってわかっているのに。

激しく波打つ心臓を抑えるかのように立ち上がると、帰る用意を始めた。

「やる気ないなら帰るから!」

「えー、先輩帰るの?俺せっかく勉強やる気になったのに。このままじゃ勉強しないかもしんないよ?」

「う……で、でもそれで困るのは君でしょ!」

「……」

そう言うと、流くんは一気に不機嫌となる。

え、え。なんで……?

私のことを睨んでくるものだから、私、そんなに酷いこと言ったかな、と言動を思い返してみるも、そんなことを言った覚えはない。

じゃ、じゃあなんで怒ってるの……?

そんなに「帰る」って言ったのが気に障ったの?


「え……っと、あの……?」


ごめんね……?そう謝ろうとするけれど、なかなかそれが出てこない。
悪いことをした覚えがないからだ。

何に対して謝ればいいかイマイチわからないし、まず流くんはよくわからない。


「……名前」

「え?」


流くんは、そろそろと近づいてきた私の腕を、まるで待ち伏せしていたかのようにつかむと思えば、そんなことを呟いた。


「名前……って……?」


本当に、流くんは何がしたいんだろう。
首を傾げると、流くんはさらにムッとした表情になって黙り込んでしまった。

中庭で見たように、不貞腐れた表情……。

本当にどうしたんだろう。私、ほんとに何も悪いことした覚えないし……。


「言ってくんないとわかんないよ……」


困ったようにそう言えば、流くんは少しだけ眉根を寄せて呟く。


「俺の名前、忘れたわけ。……さっきから、君ばっかり」

「えっ……」


まさかそんなことを言われるなんて思ってなくて、一瞬頭の中が真っ白になる。

流くんの言うことって、解釈が難しい。

難しいだけで、がんばれば解釈はできる。


つまり、今の言葉って。


「名前で……呼んで、ほしい……?」


思わず口に出てしまっていた流くんの言葉の翻訳。

流くんって……そう呼んでほしいってこと、なのかな。


おそるおそる流くんを見ると、流くんはまるでそうだと言わんばかりにそっぽを向いていた。
その耳はこころなしか赤く染まっている気がした。


「な……なが、れ……くん」


なんだか、改めて口に出すのすら恥ずかしくて。
途切れ途切れで、消え入りそうなほど小さな声で。
そんな声すらも、流くんは掬い取ってくれたようだ。

気のせいかもしれないけれど、嬉しさの花がポヤポヤと流くんのまわりを飛んでいる気がする。

……大型犬みたい。

誰もがそう思うだろうな。


なんてことを考えていたその時。


カラカラ___……。



「海花ー、まだいんのかよ?」



そんな聞き慣れた声と共に、音沙汰もなく、空き教室の扉が開かれた。