___今日の放課後、ベンキョー、教えて。海花先輩。
流くんの言ったその声が、忘れられないでいた。
なんで急に、って思った。
この一日の間に、流くんの心境に、どのような変化があったのだろうか。やっぱり、急に気が変わったとか。
いや、いくら自分勝手な理由でも、流くんならありえそうだよね。
そんなことを考えながら、手のひらで器用にシャープペンシルをクルクルと回す。
___早く放課後にならないかな。
少しだけ、流くんと仲良くなれた気がして、思わず頰がゆるんだ。
「刈谷!授業が始まっているのに教科書すら開かずに何をやってるんだ!」
そんな先生の怒声で、全てが吹き飛んで、現実に引き戻される。
いっけない、今、六限目の途中だったんだ。
一瞬にしてクラスメイトの視線が集まる中で、慌てて教科書とノートを開き、プンスカと怒っている数学の教科担任にペコペコと謝り倒してなんとかその場を切り抜けた。
___んだけど。
「え……せ、先生?」
「ん?何か文句はあるのか?」
授業が終わった後に、先生から涼しい顔で渡されたのは、数学のプリント。
どうやら、授業を真面目に受けなかった罰らしい。
「いえ……」
「あ、ちなみにそれ、今日の放課後居残りでやって出すように」
う、嘘でしょ……!
今日の放課後、初めて流くんから勉強教えてって、そう言われたのに……!
こんなことしてる暇じゃないのに!
「は、はぁーい……」
ダメだ、先生に何を言ってもこのプリントは無くならない。元はと言えば、真面目に授業を受けなかった私が悪いんだから。
机の上に置いてある、びっしりと文字と図が詰まったプリントを眺める。
こんな量、放課後が全部潰れちゃうよ……。
クラスメイトはどんどん教室から出て行き、あっという間に私一人になってしまう。
ガンバ!と言い残して彼氏と帰って行った詩織もいないし……。
外からは、サッカー部や野球部などの運動部の低くてテンポのいい掛け声が聞こえてくる。
私も何か、部活に入ればよかったのかなぁ。___そんなことを考えていても、もう三年生の八月。部活なんて、早いところは引退をし始めている時期なのだから。
そこで我にかえる。
やばい、こんなことしてたら、いつまで経っても終わらないじゃないか。
とりあえず、流くんの待っているであろう空き教室まで行こう。
数学のプリントは、そこでもできるんだから。
机の横にかかるバッグとプリントをつかむと、小走りで空き教室へ向かった。
来てくれるよね。だって、教えてって、言ってくれたし。
期待と嬉しさを胸にドキドキさせながら、空き教室の引き戸を勢いよく開けると、そこには数日間見てきた、誰もいない寂しげな教室___ではなくて。
髪の毛を金色に染めた彼が、私を待っていた。
「……どーも」
「お、お疲れ様!」
気だるげに座っている流くんは、私を見ると、軽く頭を下げた。
「遅くなっちゃってごめんね……!居残りでプリントやらなきゃいけなくて」
すぐに訪れた沈黙をかき消すように、遅くなってしまった理由を提示する。
そんな面白みのない話題に、自分でもため息をつきたくなるほどだった。
こんなの、言い訳にしか聞こえないじゃん……。
「大丈夫っす……けど、逆にいいんですか、今日」
金色のピアスを揺らしながら首を傾げる流くんはきっと、忙しいのにいいんですか、という意味で言ったのだろう。
「うん、大丈夫だよ。やる気になってくれて、私ちょっと嬉しいもん」
にへらっと笑うと、私は早速流くんの向かいの席に座る。
絶対に完全理解させてやるんだから……!と、変な意気を込めて、長袖をたくし上げる。
「じゃあ、まずはこのワークの問題からやってみようよ」
まずは中学からの内容で、まだ簡単な方の問題を解いてもらうことにする。
これなら絶対に解けるし、私だってここの分野は得意だから、もしもの時でもわかりやすく教えられる自信がある。
「……解かないの?」
「……」
机に頬杖をついて、ずっとプリントを見ているのかと思いきや、頬杖をつきながら目線を送る先が、私に向いていて、少し焦る。
「え、あ……何?何かついてる……?」
「……なんでも」
切れ長で、まつ毛の長い、綺麗な瞳に見つめられて言葉を発するのがやっとなくらい。だから、目を合わすのがちょっぴりやだ。
まるで、吸い込まれてしまいそうな感覚になっちゃうから。
流くんはふいっと私から目を逸らしたかと思えば、シャーペンを手に取り、ワークの問題を解いていく。
なんだ、できるじゃん。
「もしかして、ちょっと家で勉強してきたの?」
「……」
もしや、と思い、そう質問すると、流くんはわかりやすい態度でキョロキョロと目を泳がせた。
___やっぱり。