「準優勝、紅組」

「はい」


 表彰式でおなじみの音楽をバックに、校長先生から一ノ瀬君に盾が贈呈される。
 一ノ瀬君が、それに手を伸ばした。
 腕を伸ばした時、学ランの袖からちらりとだけ、先ほどのリレーで負傷した擦り傷が見えた。
 今は学ランを着ていて隠れているけど、思い出すだけでも痛々しい怪我だ。
 だけど当の本人は、その痛みを感じさせないほど、堂々としていた。

 一ノ瀬君が盾を受け取ると、拍手が湧いた。
 私もその拍手の中で、力強く手のひらを合わせ、健闘をたたえた。

 拍手がパラパラとなり止んでいく中で、マイクを持った先生が会を進行させる。
 隣で体育委員の先生が、三脚から優勝旗を取り出していた。
 私は鼻から大きく息を吸って、その瞬間を待った。


「今年度優勝、白組」

「はい」


 私はまっすぐと背筋を伸ばし、一歩前に出て校長先生と向き合った。
 朝礼台の上で待機していた校長先生の手元に、体育委員の先生から優勝旗が渡される。
 それが今度は、私の方に向けられる。

「優勝おめでとう」

 囁くように言いながら、校長先生は朝礼台の上から私の方に優勝旗を下ろした。
 優勝旗が、私の目の前にやってきた。
 差し出された優勝旗の棒は、応援の時に振る団旗のそれとは質が全然違うのは見てわかった。

 まず太さが違う。
 艶のある黒塗りで、捻じれた模様がついている。
 
 差し出された優勝旗に手をかけて、その棒をぎゅっと握った。
 感触は滑らかだけど、とても頑丈そうな棒だった。

 私がしっかり手に持ったのを確認すると、校長先生はそっと手を離した。
 その瞬間、どっと拍手が湧いたと同時に、BGMが大きくなった。

__ほお。これが優勝旗。

 だけど、感無量というわけにはいかなかった。

 受け取った瞬間、ぐらりと優勝旗が揺れた。
 予想外の重量に、私の体もふらついた。

 優勝旗の布には重厚な布がふんだんに使われ、「優勝」という文字にも、真ん中の校章にも、贅沢な刺繍が施されている。
 旗の周りには団旗にはないフリンジが豪華に彩り、歴代の優勝組が記されたペナントが、この学校の歴史を物語るようにいくつもくっついている。

 重くないわけがない。
 これが、勝利の重みなのだ。

 また、今日一日、旗を振り続けた疲労感が、どっと腕を襲っていたのもふらつきの原因だ。
 先ほど星君から500ミリリットルのペットボトルを受け取っただけでも、腕がプルプルと痙攣していたのに。

「ああっ」と思った瞬間、ふらついて危うく落としそうになるのを、体ごと後ろから支えられた。
 優勝旗を支える手が、私の手を上から包み込むように握られていた。

 振り返ると、一ノ瀬君がひやりとした表情で立っていた。

「あっぶね」

 間近で聞こえたその声が、体中にじんと響く。

「しっかり持てよ」
「あ、うん、ごめん」

 出てきた声は、震えていた。

 そうなるのも無理はない。
 まるで後ろから抱きこまれるような態勢に、どうしていいのかわからないのだから。

 重なった手のひらから伝わってくる熱。
 そして、背中に迫る体温。
 あまりの距離の近さに顔があげられず、目のやり場にも困った。

「あ、ありがとう」

 態勢を整えて優勝旗を持ち直すと、すっと手が離れ、体も離れていく。
 だけど、上から握られた一ノ瀬君の手の感触が、手から離れない。
 背中に感じた体温も、間近で聞くその声も。

 これまで対面式の時も、先ほどリレーの後に握手を交わした時も、こんな感じにはならなかったのに。

 顔が熱い。
 また熱中症の症状だろうか。

 周囲のみんなは、そんな私になど当然気づくこともなく、のん気に拍手を続ける。
 その拍手の中で、私は一人真っ赤になった顔をグイと下げた。

 その時、


「前向けよ」


 その声に、ピクリと瞼が上がった。
 視線だけで隣を見ると、一ノ瀬君は、不満そうな、バツの悪そうな、そんな険しい顔をしていた。

「優勝したんだから、堂々としろよ。それに、団長だろ?」

「え?」

「団長なんだから、最後までかっこよくいろよ」

 その言葉にはっとなった。
 一ノ瀬君を改めてちゃんと見ると、背筋をピンと伸ばして、まっすぐと前を向いていた。
 たくましい胸の前に、準優勝の盾が携えられている。
 まさに、一チームを引っ張る、「団長」という名にふさわしい出で立ちだった。

 そんな姿を隣で見せつけられて、今さらだけど、自信を無くす。

__私は、ちゃんと応援団長になれたのかな。
 かっこいい、応援団長に。

 言われた通り前を向きつつも、問われる責任に肩を落としていると、

「ていうか、あんなでかい声、出るんだな」

 鼻で笑ってそう言う声が、隣から聞こえてきた。
 見れば、一ノ瀬君は何を思い出しているのか、顔を背けて「くくくっ」と体を震わせる。

 私は思わず、「はあ?」と顔をしかめた。

 いつだって真剣だった。
 面白いことをした覚えはない。
 みっともないといったら、顔に貼られたこの大きな絆創膏ぐらいだろうか。
 気恥ずかしさに、絆創膏を隠そうとさりげなく頬に手を持っていったその時だった。
 私の手が到着する前に、とんと、優し気な衝撃が頬を撫でた。

「痛むの?」

 切なげな声が、ぼそりと耳に届く。
 その耳が、じわりと熱くなった。

「あっ……ううん、平気」

 思わず上ずった声が、さらにひっくり返った。

 優勝旗を握った手が、どんどん冷たくなってくる。
 その代わり、触れられた頬に熱がぐっと集まった。
 隣なんて、見られない。

 一ノ瀬君は今、一体どんな顔をしてるんだろう?


「かっこいいな」

 その言葉に「……へ?」と顔を上げた瞬間、ふわりと風が吹いた。
 一ノ瀬君の長い鉢巻きが、風になびいて私の肩をそっとたたく。


「吉川の声、届いてたよ」

「え?」


 整った横顔に、目を奪われる。


「吉川の応援のおかげで、最後まで頑張れた」


 はっきりとした声が、まっすぐと私の耳に届く。

 前を向いていた一ノ瀬君の顔が、私の方にゆっくりと向けられた。

 そして、


「ありがとう」


 真剣な顔で、そう力強く言った。

 そうかと思ったら、


「かっこいいよ、吉川は」


 表情を和らげて、大人びた声でそう言った。


 その声が、その表情が、その仕草のいちいちが、たまらなく……


__かっこいい。


 一ノ瀬君は再び空を仰いだ。
 そして、秋の澄んだ青い空によく似合う、すがすがしい表情で言った。


「かっこいい女子は、嫌いじゃない」


 秋の風に、優勝旗がはためいた。
 その旗に煽られるように、私の胸の鼓動が、トクトクと走り始めていた。