「え? ノクターンはもう出勤したの?」
「ああ。朝食もとらずに行こうとしたから、弁当を持たせたよ」
朝起きると既に、ノクターンの姿がなかった。ブライアンとハンナが起きた時には身支度を終え、家を出ようとしていたところだったらしい。
(今日も会えないなんて……これで何日目なんだろう?)
告白して以来、ずっとこの調子だ。
リーゼが早く起きても出勤してしまって会えず、夜はどれだけ待っても帰ってこない。
「最近はまた国境付近がごたついているらしいからねぇ。忙しいみたいだよ」
そう言い、ハンナは手早くリーゼの昼用の弁当を作ってくれる。
丸いパンに切れ込みを入れ、レタスやトマト、そして炒り卵を間に挟んだ。
「また長期出征がありそうだな。王政が崩壊して十年以上経つが、未だに他国の侵略が続くから戦をするしかないのかねぇ」
ブライアンは床掃除をしながら窓の外を見遣った。昔のことを思い出しているのだろう。
リーゼに王国時代の記憶はないが、ブライアンとハンナ、そしてノクターンは鮮明に覚えている。
(お父さんもお母さんも不安そう……)
王国を崩壊させた暴動は甚大な被害をもたらせたのだ。その暴動の犠牲者である二人が憂うのも無理はない。
「リーゼ、大丈夫だよ。なにかあってもノクターンが守ってくれるからね」
「うん……」
つられて不安そうな顔をしてしまっていたらしい。ブライアンがリーゼの頭を撫でて励ましてくれた。
「ええ、そうね。ノクターンは昔から強くて賢い子だから、戦争があってもすぐに終えて帰ってくるよ」
肝心なところで不器用な子だけれど、とハンナは零した。
ハンナにとってノクターンは息子のような存在だ。利発で頼もしいけれど、時々危うげなところがある。だから彼になにかあればすぐに助けられるよう、いつもひっそりと見守っているのだ。
「ねぇ、ノクターンが私のこと、なにか言ってなかった?」
「なにかって……どうしたんだい? 喧嘩でもしたのかい?」
「う、ううん」
しかし返事とは裏腹に、水色の瞳は物憂げに足元を見つめるばかり。だから二人の間になにかあったのだろうと確信した。
「そうだねぇ……変わりないか、だとか、どんな様子だったか聞いてきたよ。――いつも通りね」
「いつも通り?」
「ええ、毎日ね」
「毎日?!」
よもやその質問が日常的に交わされているなんて、思いもよらなかった。いつも意地悪ばかり言ってくるノクターンが自分のことを毎日心配してくれているなんて、想像すらできない。
「ああ、いつも通り、リーゼを気にかけているよ。あの子は昔っから、リーゼのことばかり考えているからね」
「……そんなこと、ないよ」
ならばどうして、顔を合わせてくれないのだろうか。込み上げてくる不満が喉元まで出かかり、つっかえる。
「嘘ではないよ。なんなら、お父さんにも聞いてみるといい。いまでこそノクターンはリーゼと別々の部屋で眠っているけれど、昔はリーゼが隣にいないと眠れないほどリーゼにべったりとくっついていたんだからね」
「でも、昔の話でしょう?」
「いまも変わっていないよ」
「そう……なの?」
ノクターンは変わった。そしてリーゼの手の届かない所へと、どんどんと進んでいく。
だから必死で手を伸ばしているのに、そうすればするほど、遠ざかっているように思える。
しかしその不満をいま伝え、仕事前のハンナを困らせたくはない。
だからリーゼはただ黙ることで、胸の中の不満に蓋をしてやり過ごすのだった。
「さてさて、私たちはもう出勤する頃合いだね。リーゼ、後はよろしくね」
「はーい」
玄関で両親を見送ると、いつものように家事を済ませてから朝食をとる。
空いている隣の席を見ると、がっくりと肩を落とした。
数日前まではノクターンが座っていた席は、いまでは朝も夜も空いている。
たった一人分の空白があるだけで、家の中ががらんどうになったような気がしてならない。
心の中はいつも隙間風に入り込まれ、じわじわとリーゼの心を冷たくしていく。
(家には帰ってきているらしいけど……なんで全然会えないの?)
両親に聞いたところ、彼らはノクターンと顔を合わせているらしい。ただ、リーゼが眠っている間に帰ってきているだけのようだ。
(もしかして……避けられている?)
告白してきたリーゼと顔を合わせるのが気まずくて、避けているのだろうか。
(ううん。仕事が忙しいから会えないだけよ)
国民を守るために日夜奔走しているのだからしかたがない。ましてノクターンは大佐なのだから、色々と仕事を任されて大変なのだろう。
「はぁ……。それでもやっぱり、落ち込んじゃうな」
「にゃあ」
しゅんと項垂れるリーゼを見かねたのか、ワルツが膝の上にそっと手を置いて慰めてくれた。
「ノクターンに会いたい」
「んな~」
「ワルツ、あのね。告白して声に出してみると、前よりももっとノクターンを好きになってしまったの」
ずっと心の内にあった想いを伝えてから、その気持ちが以前より鮮明になり、心の中を支配する。
もう隠すことも見て見ぬふりをすることもできない。だから余計に、胸が苦しくてならないのだ。
「どうしたら会えるのかな?」
「にゃー」
「差し入れを持って行く……とか?」
「にゃあ」
「賛成してくれるの?」
賢い黒猫は、リーゼの目をしっかりと見据えて話を聞いてくれる。そして尻尾をぴんと立てると、名案だと称賛するかのごとく、もうひと鳴きした。
「よし決めた! 差し入れに木の実入りのクッキーを作ろう」
木の実入りのクッキーはノクターンの好物で、おまけに日持ちするから差し入れにちょうどいい。
放課後に材料を買って今晩作ると、明日には届けられる。それにもし今晩か明日にでもノクターンと会えるのなら、その時に手渡しすればいいだけ。
――ただ、彼と話す口実が欲しい。
(木の実入りのクッキーを作って、油紙に包んでおこう)
楽しい予定を立てると、少しだけ気分が晴れた。
差し入れを持って行けばきっと、受け取ってくれるだろうから。
「今晩こそ……会えたらいいんだけどな」
時間が経つにつれて心細さがどんどん募る。
そんなリーゼの呟きを聞いたワルツは、また「にゃあ」と鳴いて励ましてくれるのだった。
「ああ。朝食もとらずに行こうとしたから、弁当を持たせたよ」
朝起きると既に、ノクターンの姿がなかった。ブライアンとハンナが起きた時には身支度を終え、家を出ようとしていたところだったらしい。
(今日も会えないなんて……これで何日目なんだろう?)
告白して以来、ずっとこの調子だ。
リーゼが早く起きても出勤してしまって会えず、夜はどれだけ待っても帰ってこない。
「最近はまた国境付近がごたついているらしいからねぇ。忙しいみたいだよ」
そう言い、ハンナは手早くリーゼの昼用の弁当を作ってくれる。
丸いパンに切れ込みを入れ、レタスやトマト、そして炒り卵を間に挟んだ。
「また長期出征がありそうだな。王政が崩壊して十年以上経つが、未だに他国の侵略が続くから戦をするしかないのかねぇ」
ブライアンは床掃除をしながら窓の外を見遣った。昔のことを思い出しているのだろう。
リーゼに王国時代の記憶はないが、ブライアンとハンナ、そしてノクターンは鮮明に覚えている。
(お父さんもお母さんも不安そう……)
王国を崩壊させた暴動は甚大な被害をもたらせたのだ。その暴動の犠牲者である二人が憂うのも無理はない。
「リーゼ、大丈夫だよ。なにかあってもノクターンが守ってくれるからね」
「うん……」
つられて不安そうな顔をしてしまっていたらしい。ブライアンがリーゼの頭を撫でて励ましてくれた。
「ええ、そうね。ノクターンは昔から強くて賢い子だから、戦争があってもすぐに終えて帰ってくるよ」
肝心なところで不器用な子だけれど、とハンナは零した。
ハンナにとってノクターンは息子のような存在だ。利発で頼もしいけれど、時々危うげなところがある。だから彼になにかあればすぐに助けられるよう、いつもひっそりと見守っているのだ。
「ねぇ、ノクターンが私のこと、なにか言ってなかった?」
「なにかって……どうしたんだい? 喧嘩でもしたのかい?」
「う、ううん」
しかし返事とは裏腹に、水色の瞳は物憂げに足元を見つめるばかり。だから二人の間になにかあったのだろうと確信した。
「そうだねぇ……変わりないか、だとか、どんな様子だったか聞いてきたよ。――いつも通りね」
「いつも通り?」
「ええ、毎日ね」
「毎日?!」
よもやその質問が日常的に交わされているなんて、思いもよらなかった。いつも意地悪ばかり言ってくるノクターンが自分のことを毎日心配してくれているなんて、想像すらできない。
「ああ、いつも通り、リーゼを気にかけているよ。あの子は昔っから、リーゼのことばかり考えているからね」
「……そんなこと、ないよ」
ならばどうして、顔を合わせてくれないのだろうか。込み上げてくる不満が喉元まで出かかり、つっかえる。
「嘘ではないよ。なんなら、お父さんにも聞いてみるといい。いまでこそノクターンはリーゼと別々の部屋で眠っているけれど、昔はリーゼが隣にいないと眠れないほどリーゼにべったりとくっついていたんだからね」
「でも、昔の話でしょう?」
「いまも変わっていないよ」
「そう……なの?」
ノクターンは変わった。そしてリーゼの手の届かない所へと、どんどんと進んでいく。
だから必死で手を伸ばしているのに、そうすればするほど、遠ざかっているように思える。
しかしその不満をいま伝え、仕事前のハンナを困らせたくはない。
だからリーゼはただ黙ることで、胸の中の不満に蓋をしてやり過ごすのだった。
「さてさて、私たちはもう出勤する頃合いだね。リーゼ、後はよろしくね」
「はーい」
玄関で両親を見送ると、いつものように家事を済ませてから朝食をとる。
空いている隣の席を見ると、がっくりと肩を落とした。
数日前まではノクターンが座っていた席は、いまでは朝も夜も空いている。
たった一人分の空白があるだけで、家の中ががらんどうになったような気がしてならない。
心の中はいつも隙間風に入り込まれ、じわじわとリーゼの心を冷たくしていく。
(家には帰ってきているらしいけど……なんで全然会えないの?)
両親に聞いたところ、彼らはノクターンと顔を合わせているらしい。ただ、リーゼが眠っている間に帰ってきているだけのようだ。
(もしかして……避けられている?)
告白してきたリーゼと顔を合わせるのが気まずくて、避けているのだろうか。
(ううん。仕事が忙しいから会えないだけよ)
国民を守るために日夜奔走しているのだからしかたがない。ましてノクターンは大佐なのだから、色々と仕事を任されて大変なのだろう。
「はぁ……。それでもやっぱり、落ち込んじゃうな」
「にゃあ」
しゅんと項垂れるリーゼを見かねたのか、ワルツが膝の上にそっと手を置いて慰めてくれた。
「ノクターンに会いたい」
「んな~」
「ワルツ、あのね。告白して声に出してみると、前よりももっとノクターンを好きになってしまったの」
ずっと心の内にあった想いを伝えてから、その気持ちが以前より鮮明になり、心の中を支配する。
もう隠すことも見て見ぬふりをすることもできない。だから余計に、胸が苦しくてならないのだ。
「どうしたら会えるのかな?」
「にゃー」
「差し入れを持って行く……とか?」
「にゃあ」
「賛成してくれるの?」
賢い黒猫は、リーゼの目をしっかりと見据えて話を聞いてくれる。そして尻尾をぴんと立てると、名案だと称賛するかのごとく、もうひと鳴きした。
「よし決めた! 差し入れに木の実入りのクッキーを作ろう」
木の実入りのクッキーはノクターンの好物で、おまけに日持ちするから差し入れにちょうどいい。
放課後に材料を買って今晩作ると、明日には届けられる。それにもし今晩か明日にでもノクターンと会えるのなら、その時に手渡しすればいいだけ。
――ただ、彼と話す口実が欲しい。
(木の実入りのクッキーを作って、油紙に包んでおこう)
楽しい予定を立てると、少しだけ気分が晴れた。
差し入れを持って行けばきっと、受け取ってくれるだろうから。
「今晩こそ……会えたらいいんだけどな」
時間が経つにつれて心細さがどんどん募る。
そんなリーゼの呟きを聞いたワルツは、また「にゃあ」と鳴いて励ましてくれるのだった。