「ノクターン、もしかしてあのおじいさんと知り合いなの?」
「いいや。子守をしてくれた礼をしただけだ」
「子ども扱いしないでよ」
 
 頬を膨らませてノクターンを睨みつける。

 仕事終わりのノクターンは軍服を隙なく着こなしている。釦の一番上もしっかりと留めており、いつになく軍人らしい顔つきだ。
 しかしその近寄りがたい雰囲気を一瞬にして崩した。
 
「そういうところが子どもなんだ」

 リーゼに向ける意地悪な笑みでかき消したのだった。
 美貌の軍人が見せた笑みに、周囲にいた女性客たちが溜息を零して見入る。

(ああ、もう! この人は軽率に人の心を惑わすんだから!)

 本人が意図していることではないとわかっている。しかし冷たい美貌の青年が少しでも微笑むと、人はどうしても心を奪われてしまうものだ。

「ところで、いったいなにが欲しいんだ?」
「……むぅ」

 今朝から勘違いしたままの幼馴染にやきもきする。
 ノクターンは未だに、リーゼが幼子のようにおねだりしてきたと思っているらしい。

「服か?」
「足りているからいいよ」
「本とか?」
「図書館で借りられるから、それで十分」
「まさか……ぬいぐるみとか?」
「私がいくつだと思って言っているの?!」

 兎にも角にも、欲しい物があって言ったわけではないとわかってほしい。

「違ったか……」
 
 ノクターンは腕を組み、片手を顎に添えて考え込む。髪と同じ漆黒の睫毛がそっと伏せられ、憂いの混じった横顔は美しい。
 そのさりげない仕草にさえリーゼはときめき、胸の奥が切なく軋んだ。

「じゃあ、どうして甘えてくれたんだ?」
「甘えていないんだけど?」
「好きだと言ってくれただろう?」
「言ったよ」
「どうして?」
「……好きだから」
(何度も言わせるな! ……いや、何度も言ってわかってもらうつもりだけど!)

 早くも羞恥に首を絞められて死にそうだ。
 リーゼは照れた顔をノクターンに見られないように俯く。そろりと手を伸ばし、彼の軍服の裾を引っ張った。

(ノクターンに告白しているの! ……気づいてよ)
 
 しかし、その一挙一動で気づいてくれる相手ならここまで苦労しない。
 ノクターンは俯くリーゼをじっと見つめると、
 
「もしかして、久しぶりに一緒に出かけたかったのか?」
(それも違う)

 と、見当違いな回答をする。
 どうも上手く伝わらない。歯がゆさに涙が出そうだ。
 
(だけど、二人きりになれる場所へ移動するにはいい口実かな)

 描いていた答えとは違ったが、不承不承頷いた。
 
「……うん。行きたい場所があるからついて来て」
「ん」

 するとなぜかノクターンは手袋を脱ぎ、自分の軍服を掴んでいたリーゼの手を解いて繋ぐ。
 
 久しぶりに触れた手は記憶の中よりもうんと大きくなっており、男性らしく角ばっている。
 触れて感じた変化に、リーゼは心の中で盛大に動揺した。

(手! 手ぇーっ!!!!)

 手を繋ぐなんていつぶりだろうか。少なくともアヴェルステッドへ移住する前――十歳になる頃にはリーゼから拒否して繋がなくなった。

 それまでノクターンの名前を呼び、雛鳥のごとく彼の後をついてまわったリーゼだったが――。
 ノクターンを恋愛対象と意識してからは気恥ずかしくなって手を繋げなくなったのだ。

「で、どこだ?」
「こ、公園」
「なんだ。一緒に遊んでほしいのか」
「違うってば」

 いつもの調子で会話をしている間に、公園に辿り着く。アヴェルステッドの北東部にある、自然豊かな公園だ。
 
 ここは森のように木々が生い茂り、普段は人気がない。というのも、アヴェルステッドの住民はどちらかといえば西側の公園を好んで憩いの場にしているのだ。そこは芝生が生い茂り、いつも色鮮やかな花が花壇を彩っている。

 しかし秋になるとこちらの公園には子どもたちが集まり、野生のリスと一緒に落葉を掻き分けて栗を探しているのだ。
 
「ここ、故郷にある森に似ているね」
「あそこに比べたら上品な木ばかりだがな」

 かつてノクターンと一緒に足を運んでいた森。そこで二人は本を読んだり、昼寝をしていた。

(霧が深くて、迷いそうな森だった)

 だから地元の人間はあまり近づかなかった。それでもリーゼとノクターンはその森を気に入り、隠れ家のようにして過ごしていた。

「あの森が恋しくなってここに来たかったのか?」
「う、ううん」
「じゃあ、どうして?」

 リーゼの心臓が早鐘を打ち鳴らし続ける。こくりと唾を飲み込み、緊張してカラカラになった喉を震わせた。

「ノクターンに、告白するためにここに来たの」
「……え?」

 緑色の瞳に浮かぶ困惑が見て取れた。
 
「……」
(ああ、もう。なんで黙ってしまうの?!)
 
 沈黙がいたたまれず、畳みかけるように言葉を続けた。

「ずっとノクターンのことが好きなの。だから成人してから告白しようと思ってた。……でも、ノクターンがどんどん遠い存在になっているような気がして、それが不安で……。いつかノクターンに恋人ができたらどうしようとか、ノクターンが結婚したら悲しいと思うようになって、成人するまで待てなかった」
「――っ!」
 
 いままでノクターンに悟られないようずっと心の奥に隠していた気持ちを口にすると、どうしようもなく気恥ずかしくなり、頬に熱が宿る。

 緊張しているせいなのか涙で目が潤み、微かに視界がぼやけた。
 それでもリーゼはノクターンに自分の想いをわかってもらいたくて、必死になって言葉を探る。
 
(ええい。こうなったら、いっそのこと――!)
「私をノクターンの妻にしてください!お飾りの妻でもいいから!」
「おい、いったいどこでそんな言葉を覚えてきた?! リーゼが使うにはまだ早い!」
「子ども扱いしないでよ!」

 ふざけていると思われているのかもしれない。あるいは揶揄いと捉えている可能性もある。

 だからもう一度、改めてノクターンに告白した。

「ノクターンのことが。す、好きだよ」

 緊張して上手く動かない舌を一生懸命動かす。

「異性として、好きってことだから」
「……い、異性……」
「ノクターンは私のこと、そう思ったことはないの?」
「お、俺は……リーゼを妹のように……」
「私が誰かの恋人になっても……け、結婚しても、妹のような存在だからなんとも思わない?」
「リーゼがポッと出の輩のものになるのは許さないが……」
「じゃあ、私が誰かのものになるのはいいの?」
「――っ?!」

 ノクターンは瞠目したまま動かない。しかし彼の頬は瞬く間に赤く染まった。耳まで真っ赤になっている。

「え、ええと……リーゼ?」
「私はノクターンが誰かと結婚するなんて嫌だよ。私がノクターンと結婚したいと思っている」
「結婚なんて……リーゼはまだ未成年で……」
「来年は成人になるよ。ノクターンと同じ、大人だから結婚できるよ」
「そう……だな」

 いつもは意地悪で不愛想で気まぐれな幼馴染が――いまは片手で口元を覆ったまま、押し黙っている。

「返事はいつでもいいから」
「あ、……ああ」
「もう、帰ろう。お父さんとお母さんが帰ってくる時間になってしまったね」
「そうだな……」
 
 帰路についた二人は一言も話さなかった。さすがに家の中では言葉を交わしたが、いつもよりぎこちない。
 ブライアンとハンナは二人の変化を察したようだが、どちらもそのことについて言及しなかった。
 
 ――そしてその日以来、リーゼはノクターンに避けらるようになってしまった。