週末になり、リーゼは身支度と朝食を終えると、待ち合わせ場所である中央広場へ向かった。

「あ、リーゼちゃんこっちだよ~!」
「エディ?! 待ち合わせ時間より十五分も早いのにもう来ていたんですか?!」

 なんとエディもジーンも先に着いていた。
 社長と社長秘書を待たせないよう早めに出たリーゼからすると肩透かしを食らったようなものだ。

「女の子を待たせるわけには行かないからね」
「私は社長と社長秘書を待たせるわけにはいかないと思って早でしたのに……」
「そうだろうと思ったから早めに来たんだよ」
「……!」

 なるほど自分の考えていたことは想定内の出来事だったのか。
 改めてエディの観察眼には驚かされる。

(エディって本当に不思議な人だなぁ。いつもは奔放で子どもみたいにしているのに、妙に鋭い。さすがはネザーフィールド社を立ち上げて急成長させた人だね)

 それだけではない。本人は女性たちから人気と自負しているが、女性だけではなく周囲の人間を魅了する力があると思う。
 社員たちからは信頼され、なんやかんやでジーンから尊敬されているのだ。

 人を引っ張っていく人間とはみんな、エディのような気質があるのだろうか。
 エディと関わる内に、そのようなことを考えるようになった。

「じゃあ、まずは店に行くか」
「店? エディ、なにか買うものがあるんですか?」
「んー。まあね」

 リーゼの問いに曖昧な返事が返ってくる。
 なにの店か聞いてみても、「着いてからのお楽しみ」と言って教えてくれない。

 そして辿り着いたのは、女性用の既製品の服飾店だった。

「え? どうして?」

 すっかりエディの買い物のついでだと思っていたリーゼは、看板を見て固まってしまう。

「どうしてって、リーゼちゃんの服を見るためだよ?」
「あ、あの。服は足りているので大丈夫です」

 首をぶんぶんと横に振って断るリーゼだが、エディに背中を押されて強制的に店に入ることになってしまった。

「すみませーん! この子に服を買いたいんですけど、最近の流行を教えてもらえますかー?」
「えっ?! そういうのいいですから!」

 慌てて断るが、エディは聞いてくれない。
 ジーンに助けを求めても、なぜかいまは微笑むばかりで助けてくれない。

「リーゼさん。安心してください。これは市場調査に付き合ってもらうお礼だと思ってくださいね」
「市場調査?」
「うちの会社は糸を作っているでしょう? 糸は布になり、最終的には服になる。それを見越して新しい糸の開発をするために服を見に来たんです。男二人だとなかなかできないので、勝手ながらリーゼさんに協力してもらうことにしました」
「そういうことだったんですね」
「騙すようになってすみません。せっかくの休みなのに仕事の延長線上になってしまいましたね」
「いえ、服を見るのは好きなので気にしないでください」

 それからリーゼはエディと店員に何度も着せ替え人形にされてしまったが、それなりに楽しい時間を過ごした。

「う~ん。全部似合っているし可愛いから買っちゃおう!」
「結構です!」
「ちぇっ。じゃあ、気に入った服を選んで? 最低でも一点は買わせてもらうからね?」
「む~っ」

 やはり買ってもらうのは恐れ多いのだが、エディとジーンの有無を言わさぬ勢いに押されてしまい、迷った末に薄茶色のワンピースを選んだ。
 
 このワンピースは派手でも子どもっぽくもなく、控えめ縦縞模様が上品で大人びた印象だったから気に入ったのだ。
 襟元はハイネックになっており、肩から腰元にある共生地のリボン飾りのあたりまでは、逆三角形の形で白いブラウス生地の切り替えになっている。
 切り替え部分にはレースが上品にあしらわれており、とてもお洒落だ。

「よしよし。次の店に行くぞ!」
「もう服飾店ではないですよね?」
「あはははは」

 エディに笑って誤魔化されたリーゼは、次も洋服店に行くのだと確信した。
 
「待って……。いまからここに入るんですか?」

 連れてこられた店の前に立ち、茫然と扉を凝視する。

 リーゼたちが次に訪れたのは高級服飾店だ。
 それも、上流階級の婦女子たち御用達の人気店。

 慄くリーゼを、今度もまたエディとジーンが笑顔の圧で入店を促した。
 
「いやぁ、前からリーゼちゃんは素材がいいと思っていたけど、本当に良く似合うね」

 エディは店員にドレスを着せられたリーゼを前に、満足げに頷く。

 リーゼは空色のバッスルスタイルのドレスを着せられている。
 普段は身につけたことのないバッスルのせいで動きづらいが、初めて着るドレスに少しだけ浮かれた。

「お世辞は結構です」
「本当だよ~。生まれ持った気品を感じられるよね。お姫様みたい」
 
 こういう時、ノクターンがいたら「王族は滅んだのだから姫なんて生き物はいない」と突っ込みを入れそうだ。
 そんな事を考えてしまい、慌てて頭の中から追い出した。

(嫌だな。目の前にいなくても、すぐにノクターンのことを考えてしまう)

 いまさらながらノクターンの誘いを断った後ろめたさが蘇ってしまい、視線を足元に落とした。

 すると、ジーンが優しく声をかけてくれる。

「エディが大袈裟に言っているわけではありませんよ。リーゼさんには凛とした美しさがあって惹きつけられます」
「ジーンさんまでお世辞を言わなくても……」

 戸惑うリーゼに、なぜか店員も「私もそう思います!」と鼻息荒くリーゼの魅力を力説してくれた。

 調子に乗ったエディがドレスも買おうとしたため、リーゼは今度こそ突っぱねて断るのだった。

「そろそろ昼飯にするかぁ」

 店を出たエディはリーゼとジーンを連れ、屋台が立ち並ぶ広場に案内する。

 今度は高級なレストランに連れて行かれたらどうしようかと内心ビクビクしていたリーゼは、エディの提案を聞いて胸を撫で下ろした。
 
「あそこの串焼きは美味くて有名だぞ」
「じゃあ、それにしましょう」

 店に行こうとするリーゼを、ジーンが見事なエスコートでベンチに座らせてしまう。

「私が買ってくるのでエディと一緒に待っていてください。エディ、絶対にリーゼさんに言い寄るなよ。触ったら許さないからな」
「ジーンは俺をなんだと思っているの?!」
「どうしようもない女誑しだ」
「ひどい!」

 確かに、と思ったリーゼは心の中で頷いた。

 リーゼの隣でぶつくさ言っていたエディだが、とある人物を見つけるとぴたりと文句を止めた。
 
「おや、あれはルウェリン中将だな。休日も国家のために働いているようで殊勝なこった」

 エディの視線の先を追うと、見るからに高級そうな生地の服を着た中年の男が、人に囲まれているのが見えた。
 
「ルウェリン中将って、革新派の?」
「うん。現統帥の次を狙っている野心家だ」
 
 ルウェリン中将の名前は新聞で何度も目にしたことがある。
 現総帥と相反する派閥の筆頭で、ストレーシス国の領土を広げるために他国との戦争を推進している。

 そしてなにより彼がこだわっているのは、「国名の改名」。
 
 ストレーシスの名は、かつて人々から疎まれ崩壊させられた王族の名前だ。
 それをなぜか十年以上も変えていない。

 いままでに何度も各方面から改名の嘆願を出されたのにもかかわらず、現総帥は頑なに変えないのだ。
 
「未だ国名を変えない現総帥に反発する者が軍内部に多数いる。その中でも過激な奴らをまとめているのがルウェリン中将だ」
「どうして、嫌われ者だった王族の名前のままなんでしょう?」
「色んな憶測が飛んでいるけど、どれが真実なのかわからないね。軍内部の政治が絡んでいるって噂もある」
 
 現総帥もルウェリン中将も、堕落した王族から国民を守るために立ち上がった元騎士たちだ。
 だからなおさら、現総帥が国名を変えようとしない理由がわからない。

「ただ、ルウェリン中将は総帥には向いていないと思うから俺は国名が変わらなくてもいまの総帥に頑張ってもらいたいなぁ」
「なんでですか?」
「俺の勘だけど、ルウェリン中将は野心が強過ぎるから戦争屋になりそうだ。名誉と血を求めて人を駒にする。そんなやり方をすると、国民は豊かになれない」
 
 エディは『魔法がなくとも人々が快適に生活できる世の中』を目指している。
 彼の仕事は儲けるためでもあるけれど、それと同時にこの国の人々のためを想って仕事をしているのだ。

 リーゼには想像もできないほど大きな夢の持ち主。
 だけどそれを叶えられるくらいの行動力と努力を惜しまない彼を、改めて尊敬する。
 
(それにしても、ストレーシス()国は、どんな国だったのかな?)

 国民たちに憎まれて崩壊した国。
 魔法があり、王様やお姫様がいた国。
 いまはない、おとぎ話の世界を体現した国。

 リーゼが生まれて間もなく崩壊した国のため、リーゼにとっては遠い世界の話のように思える。
 
「エディはストレーシス王国からいまの国になって良かったと思いますか?」
「そうだね。努力すれば誰もが夢を掴める時代になったからね。王政が続いていれば、生まれた時から運命が決まっているものだったから」

 歴史の授業で学んだことによると、王政時代は貴族家で生まれるとずっと貴族であり、平民として生まれるとずっと平民であったのだ。
 おまけに貴族には義務があるから好きな未来を得られない。
 
 エディ曰く、王政が続いていたらいまのように経営をすることはできず、騎士団に入れられることになっていたそうだ。
 それが旧アーチボルト伯爵家の次男の役目。彼らはそれ以外の道を手にできない。

 それが窮屈でしかたなかったと言い、自嘲気味な笑みを見せた。
 しかしその笑みを瞬時に隠し、いつも通りのエディになる。

 「ごめん。暗い話になっちゃったね」

 そう言うと、話題を街で人気のカフェに変えてくれた。
 
 二人で話しながら待っていると、こちらに近づく影に気づいた。
 ジーンが戻ってきたのかもしれない。
 
「あ、ジーンさ――?!」

 声をかけようとしたリーゼは、驚きのあまり口を開けたまま固まった。
 彼女の目の前にいるのはジーンではなく、ノクターンなのだ。
 
「ノクターン? どうしてここに?」

 しかしノクターンはリーゼの問いに答えてくれない。
 鋭い眼差しが向けられる先にいるのは、エディだ。
 
「お前がうちのリーゼを誑かしているんだな」
「……はい?」

 茫然とするリーゼを他所に、ノクターンがさらにエディを睨みつける。

「俺の許可もなくリーゼを逢引に連れ出すとはいい度胸だ」
「あ、逢引じゃないんだけど?!」

 リーゼは慌てて否定した。