リーゼはあっという間にネザーフィールド社の社員たちと打ち解けた。

 リーゼの仕事は社員たちの手伝いのため、日ごとに異なる工場担当者を手伝うことになっている。
 おかげでいろんな社員と話すことができて楽しいようだ。

 今日は東部にある工場の帳簿の記入や、伝票の作成を任せられている。

(よし。できた!)
  
 早速、東部にあるヘルデン第一工場の記帳を終えたリーゼは、席を立って依頼主のもとへ行った。
 
「ロジャーズさん、ヘルデン第一工場の帳簿記入が終わりましたのでご確認お願いします」
「ありがとう。早くて助かるわ。確認するわね」

 そう言い、ロジャーズさんは微笑んで帳簿を受け取った。
 
(次はディッケン工場分の記帳ね!)

 張り切って席に戻る。作業をしていると、他の社員たちの話し声が聞こえてくきた。

「明日、視察に行くんだけど……色々あって、ヴロム工場の視察が最後になるんだよね。あそこだけは暗くなる前に行きたかったんだけど、他の工場の予定がつかなくて夕方に訪問することになってしまったよ」
「ヴロムって、幽霊が出るという噂の町ですものね。夜になったらだれも住んでいない屋敷から呻き声やすすり泣く声が聞こえるらしいですよ。没落した旧貴族家の魂が彷徨っているんですって」
「行く前から怖がらせないでくれよ。……はぁ。夜になる前に帰ろう」

 ヴロムという町は王国の北西部にあり、夜が早く訪れる街として知られている。
 曇り空の日が多く、植物があまり実らないし治安が良くないため、暗い印象がある町だ。

 社員たちの話に耳を澄ませていると、コツコツと硬い靴音が聞こえてくる。
 顔を上げるとほぼ同時に、ジーンが執務室の中に入ってきた。

「リーゼさん、社長から話があるようですので来ていただけますか?」
「かしこまりました」

 先輩社員たちに見送られて社長室へ向かうと、社長――エディが椅子から立ち上がって大歓迎してくれた。

「リーゼちゃーん! 待ってたよー!」

 そう言い、リーゼに金色のブローチを差し出す。ネザーフィールド社を表す、羽ばたくグリフォンの意匠が施されたブローチだ。
 
「はい。リーゼちゃんの社員証」
「ただのお手伝いなのに、貰っていいんですか?!」
「うん。リーゼちゃんはもうネザーフィールド社の一員だからね!」

 それに、とエディは片目を瞑ってみせる。
 
「ゆくゆくはリーゼちゃんを社員にしたいから、告白の意味も込めているよ」
「こ、告白?!」

 リーゼは手元の社員証に視線を落とす。
 嬉しい言葉だが、どうしても釈然としない。

「働き始めてまだ一日も経っていないのに、どうしてそう言ってくれるんですか?」

 昨日のジーンの話によると、エディは優秀な人材を見つけるのに長けているらしい。
 ネザーフィールド社の社員たちは各々の仕事ぶりをジーンに評価され、引き抜かれた逸材なのだろう。
 
 しかしリーゼはこれまでに一度も、ジーンの前で仕事をしたことがなく、おまけに優れた論文を発表したわけでもない。それなのに自分を買ってくれている理由を知りたいのだ。
 
 リーゼの質問に、エディは意地悪な笑みを浮かべた。形の良い唇で弧を描き、にっこりと。
 
「初めて会った時、リーゼちゃん泣いていたでしょ?」
「忘れてください」

 藪から棒に黒歴史を蒸し返されてしまい、恥ずかしさのあまり話しを遮る。
 それが雇用とどう繋がるというのだ。
 
「まあまあ、最後まで聞いてよ」
「……わかりました」

 とはいえ、道端で泣いていたことは極力人に知られたくなかった。
 先ほどのエディの発言のせいで、彼の隣にいるジーンにまで知られてしまった。穴があったら入りたい。
 
 込み上げる羞恥をぐっと堪え、話の続きを聞いた。
 
「あの時のリーゼちゃんは蹲って泣くくらい辛いことがあったのに、俺が助けを求めたらすぐに動いてくれたよね? おまけに機転を利かせて、持っていた鞄で俺の顔を隠してくれた。あの路地は隠れる場所がないから、手に持っている鞄しか使える物がなかったもんね?」
「そうですね。咄嗟の判断でした」
「その咄嗟の判断が良かったから惹かれたんだよ。どんな状況に置かれても冷静に状況を把握し、持っている手札を有効に活かせる。……それも、他人のために。俺は、リーゼちゃんのそんなところに惚れたってわけ」

 あの一連の行動をそのように評価されていたなんて思いも寄らなかった。リーゼからすると、いきなり現れたエディを鞄でかくしてあげただけ。
 ただ、それだけのことなのに――。
 
 過分に褒められているように思え、むず痒くなったその時。
 
「あの時はどうして泣いていたの?」

 と、あざとく小首を傾げるエディに問われてしまい、答えに臆した。
 少し悩み、それとらしい答えを手繰り寄せる。

 社長たちを相手に、「恋愛のことで……」とは、さすがに言えない。
 
「家族と揉めてしまったんです」
「本当に? あの日のリーゼちゃん、おめかししていて可愛かったから、恋人となにかあったと思ったんだけど?」
「――っ!」

 図星をつかれたリーゼは飛び上がった。
 
 ――そう。ノクターンに差し入れを届けに行ったあの日、リーゼはお気に入りの服を着て行ったのだ。
 ノクターンは気にも留めていなかったけれど、エディは初対面なのに気づいていた。
 伊達に女性から人気があるわけではないらしい。相手のことをよく見ている。
 
「もう解決した?」
「それは……」
「ふ~ん? まだなんだね? 相手はどんな人?」
 
 まごつくリーゼに、畳みかけるエディ。
 これまでは静観していたジーンが、見かねてエディを叱咤する。

「この阿呆! 人の個人的な領域に土足で踏み込むようなことをするな!」
「興味本位で聞いたんじゃないよ。リーゼちゃんが困っているなら助けたいと思っただけ。それに、異性の気持ちを知りたいなら俺たちに相談してくれた方がわかることもあるんじゃない?」

 エディの言い分も一理あるように思えた。
 これまでは友だちに恋愛相談していたが、彼女たちはリーゼと感覚が近い。だから見落としているなにかがあるかもしれない。
 その点、エディとジーンはノクターンと年が近く、男性であるからノクターンと感覚が近い。相談相手にうってつけなのだろう。

 そう理解しているものの、自分の恋愛話を職場の人にするのは気が引ける。

 ぐらつくリーゼの心を察したのか、エディが蠱惑的な表情を浮かべ促してくる。
 
「休憩がてら聞かせてよ」
「だ、だけど。こんなこと、本当に相談していいのかと思うのですが……」
「むしろ大歓迎だよ?」

 さながら、人を惑わす悪魔のように。
 
「詳しく聞かせて。もっとリーゼちゃんのこと、知りたいから」

     ***

 結局、エディの押しに負けたリーゼはこれまでの出来事を話した。

 告白したこと、返事を待っていること、それ以来避けられていたこと、そして――相手に見合い話がきていることを。

 全てを聞き終えたエディは喚きつつ両手で顔を覆った。

「うわ~。リーゼちゃんが健気過ぎて涙が出そう。俺だったら絶対に二つ返事で付き合っちゃうのに」
「お前はそれでひと月もせずに別れるだろう。もっと互いを知り合ってから付き合え」

 ジーンに痛いところを突かれたのか、「うっ」と呻くと、わざとらしく泣き真似をする。
 
「あ、あの。すぐに返事できない時って、どういう気持ちなんですか?」

 リーゼの問いに、エディは思案しつつ答えた。
 
「う~ん……、迷いがあるのかもね」
「迷い……」
「俺の場合は、複数の女の子といい感じになっている時に告白されると待ってもらうなぁ」
「複数の女の子と……」

 リーゼの顔から血の気がさあっと引いていく。

 思い浮かぶのは、ストレーシス国軍本部で出会ったミラー医務官。ノクターンの見合い相手だ。
 二人のやり取りには親密さがあり、リーゼが間に入る余地がなかった。

「リーゼさん、この阿呆は特殊ですので気にしないでください。どの男もそうであるとは思わないでくださいね」

 と、ジーンが気休めの言葉をかけてくれる。
 リーゼはネジ巻き人形のようにこくこくと頭を縦に振るが、内心気が気でない。

 一方で、なにか閃いたらしいエディが、得意気な顔で指をパチンと鳴らした。
 
「いっそのこと、リーゼちゃんが仕返ししたらいいんじゃないかな?」
「仕返し?」
「そいつを避けてみるんだよ」
「避ける? そんなことをしたら、仲違いしてしまいませんか?」
「大丈夫。案外そんなことないんだよ。逆に、いつもいてくれると思っていた子が急に離れると、不安になって気になってしまうものなんだ」
「本当ですか?」

 眉唾物だと思った、なんと生真面目なジーンが「そうですね」と頷いて同意した。

「東方の国では『押してダメなら引いてみろ』という言葉があるくらいですから、いい戦術かもしれませんよ。一度お試しするのはいかがでしょうか?」
「ジーンさんがそう言うのなら……」
「待って! どうしてジーンが言うと納得するの?! 信頼度違い過ぎない?!」

 わあわあと騒ぐ社長を他所に、リーゼとジーンは仕返し作戦の内容を詰めたのだった。
 
     ***

 束の間の休憩時間を終えたリーゼが執務室に戻ると、エディが椅子に体を預けて天井を仰ぐ。
 ぎし、と椅子の背が軋む音がした。
 
「あ~あ。俺だったら絶対に泣かせないのになぁ」

 エディの呟きに、ジーンは深い溜息をつく。
 
「泣かせない代わりに怒らせているけどな」

 その溜息の深さが、彼の苦労を物語っていた。