リーゼとエディがネザーフィールド社の事務所の中に入るとほどなくして、奥からジーンが現れた。彼はエディの隣にいるリーゼを見ると、眉間に皺を寄せてエディに詰め寄る。
 
「珍しく真面目に仕事を片づけたと思ったら、リーゼさんを追いかけるためだったのか。これ以上リーゼさんにつきまとうなら警備隊を呼ぶぞ?」
「ええ~っ?! 俺が逮捕されたら会社はどうなるの~っ?!」
「安心しろ。優秀な部下たちがまわしてくれる」
「くっ……、なんて薄情な! お父さんはジーンをそんな風に育てた覚えはありません!」
「むしろ私がお前を育てているようなものだろうが。そろそろ催促される前に資料を確認するようになれ!」

 二人は客であるリーゼを置いて、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。今日も今日とて、ネザーフィールド社の社長と秘書は仲がいい。

「それで、今回はどうしてリーゼさんをここに拉致してきたんだ?」
「言い方! 俺はちゃんとリーゼちゃんの許可をとって連れて来たよ!」
「リーゼさん、この阿呆がほざいていることは本当ですか?」

 大変申し訳なさそうな表情を作ったジーンに聞かれ、リーゼは苦笑しつつ、「本当です」と答えた。

「経理の仕事を見学させてもらいに来ました」
「そういうことでしたか。たしかリーゼ様は、国軍の財務部を志望なさっていましたものね。どうぞお気兼ねなく見学していってください。私が案内させていただきますね」
「えーっ?! 俺がリーゼちゃんをエスコートするんだけど?!」
「お前に任せられるものか。案内をそっちのけで逢引の約束を始めそうだからな。二人きりにさせないぞ」
 
 二人とやり取りを聞いた社員たちが、くすくすと笑って見守っている。なんと平和な光景なのだろうか。
 
 リーゼが知る職場と言えば、ストレーシス国軍本部や、ブライアンとハンナが働いている工場だ。
 このような会社に足を踏み入れるのは初めてで、正直に言うと緊張していた。エディのような新進気鋭の実業家が経営する会社で働く社員たちは、男女問わずかっちりとしたジャケットを身に纏い、お堅く近寄りがたい印象があったためだ。

(意外と和やかな職場なのね)

 抱いていた印象とは異なり気さくな彼らに、親しみを覚えた。

「さて、リーゼ様の貴重な時間を無駄にしてはいけませんね。いまから経理部の部屋に案内します」
「ありがとうございます!」
「俺を置いて行くなよ!」

 リーゼはエディとジーンに連れられ、建物の一階部分の奥の部屋に入る。
 室内は整然としており、壁に並ぶ大きな書類棚には資料が並べられている。その反対側の壁には黒板があり、空いている場所にストレーシス国の地図や社内規定が書かれた紙が貼られている。

「国内に工場が点在しているため、それぞれに経理担当者がついています。基本的にはここで働いていますが、週に一度は現地へ視察に行っています。帳簿の内容に誤りがないか、常に目を光らせているのです」
「それでは、移動が大変ですね」
「ええ。ですので、遠方の工場へ行く際には列車を使わせています」
「れ、列車を週に一度利用するんですか?!」

 驚きのあまり声が裏返ってしまった。列車は労働階級家庭にとっては、まだまだ高価な移動手段だ。たとえ中流階級であったとしても、せいぜい旅行する時くらいしか使わない。

(新聞にはネザーフィールド社が最新技術の投資に力を入れている会社として取り上げられていたけれど、社員への待遇にも力を入れているのね)

 軟派な物言いが目立つエディだが、社員を思いやるいい社長のようだ。
 リーゼは少しだけエディを見直したのだった。

 その後、経理部の部長や社員たちと少しだけ交流をさせてもらい、仕事の内容や、いまのうちに勉強しておくと役に立ちそうな知識を教えてもらった。
 本当はもう少し彼らの仕事の話を聞きたかったのだが、仕事の邪魔をしてはならないと思い、お暇することにした。
 
「見学させてくださってありがとうございました。みなさん、とても親切で気さくな方ばかりですね」

 応接室に通してもらったリーゼが楽しそうに感想を述べると、エディがパッと顔を輝かせる。

「それなら、学校を卒業したらうちで働く? 大歓迎だよ!」
「生憎ですが、私は国軍の財務部志望です」
「ちぇ~っ」
「おい、エディ。いい加減諦めろ。見苦しいぞ」

 と、苦言を呈しつつジーンがお茶の用意をしてくれた。ティーカップからは紅茶の芳醇な香りが漂う。その香りを深く吸い込んだリーゼは、ジーンの有能さに舌を巻くのだった。

(ジーンさんって、なんでもできるのね)
 
 社員を取りまとめつつ、エディという癖のある社長の面倒を見ているだけでも感心するのに、お茶を淹れることも完璧にこなす。もはや魔法使いなのかもしれないとさえ思った。
 
「ところで、お礼の内容は決まった?」

 エディはまだ、リーゼにお礼することを諦めていない。いったい、どれほど断ればわかってくれるのだろうか。
 
「本当に気にしないでください。大したことではありませんし……」
「リーゼさん、どうか遠慮せず申し上げてください。でなければ、あの阿呆が毎日リーゼさんの学校へ行き、いつか警備隊に捕まってしまいそうな気がしてなりませんから」
「ええっ?! いくらエディが借りを作らない主義でも、そんなことまではしないかと……」
「あいつを毎日監視しているからわかるのです。あいつは頑固で、一度決めたことは絶対に曲げないんですよ」 
「そう言われましても……なにも思いつかないのですが……」

 ジーンからも言われてしまうと、もはや逃げ場がない。
 さて、どうしたものだろうか。リーゼはテーブルの上に視線を落とし、自分の指先同士を捏ねつつ思案する。

 今回の見学をお礼に――と言ったところで、これはお詫びだから数の内に入らないと否定される未来が視える。
 とはいえ、まだ会って間もないエディに物を要求するのは気が引ける。
 
(あ、お願いしたいことが思いついたけれど……了承してもらえるかな?)
 
 不安があるものの、試しに聞いてみるしかない。
 リーゼは手元から視線を上げ、きりりとした表情でエディに視線を向ける。
 
「では、少しの間ここの経理として働かせてもらえませんか?」