(落ち着くのよ。ただの家事代行じゃない)

 今回依頼されているのは料理と掃除だけ。料理は得意な方だし、毎日育ち盛りの妹を飽きさせないように創意工夫している。ここにある扱い慣れた具材なら、どんなリクエストにだって柔軟に応えられる自信はあった。
掃除にしたって、Bistiaから配布されている掃除グッズを使えば、大抵の汚れは取れるらしいし、何も不安がることはない。万が一、無理な要望を受けたとしても、相手に不快な思いさえさせなければ、大事になることはないだろう。
 
 そう自分を落ち着かせ、掃除道具が入った黒いキャリーケースと、食材の入った半透明のビニール袋を手に持ち、紫遥は依頼主の部屋に向かった。

 
 濃いブラウンの重厚な扉の前に立ち、一度深呼吸してから、インターホンを押す。少ししてから中からバタバタと音が聞こえ、ガチャっと扉が開いた。
 
 そこには黒いキャップを被り、スモークグリーンのサングラスをかけた若い男が立っていた。服は全身真っ黒でシンプルではあったが、一目で高価だとわかる艶やかな質感で、首元には有名なシルバーアクセサリーブランドのネックレスがぶら下がっていた。

「こんばんは、Bistiaから参りました。仮屋です」
 
 そう言って紫遥が一礼すると、男はサングラスの奥から紫遥をじっと見つめたあと、なにを思ってか、そのままドアを閉めた。
 
「あのっ……!?」
 
 なぜドアを閉められたのかがわからず、紫遥は焦ってもう一度インターホンを押し、
 
「町田様。Bistiaの仮屋です。本日17時からのご依頼と伺っていたのですが……」
 
 と、できるだけ申し訳なさそうな声で言った。
 
 ドアの奥にいるであろう男に聞こえるように声を出したつもりだが、反応がないのでさらに不安は募る。
 
 一向に開かないドアの前で、紫遥が店に連絡をして対応を仰ごうとしたその時、もう一度ドアが開き、さきほどの男が現れた。
 
「入ってください」
 
 男は不自然なほど俯きがちで、淡々とそう言った。