香織が「それにしても」と、紫遥たちが出てきた部屋を見上げた。

「まさかとは思ったけど、まだこのアパート住んでたのねえ。けど、これからは二人で住むのよね?きっと広くて素敵なお家なんでしょうね」

 紫遥の返事を待たずに、香織は喋り続けた。
 
「それでね、手紙にも書いたけど、私色々と事情があって住むところに困ってるのよ。もう貯金も底がつきそうだし。ねえ、湊さんの家なら私一人養う余裕はあるでしょう?」

 上品になったのは見た目だけのようだった。 一方的で独断的で図々しい。そして、五十手前の女が恥ずかしげもなく娘の婚約者に上目遣いで話す様子は痛々しかった。
 どれだけ着飾っていても、口を開けば深夜に泥酔したまま、雪崩れ込むようにアパートの部屋に帰ってきていた、あの頃の母親のままだ。

 はやく追い返さなければ。
 口を開こうとしたその瞬間、怒りに震える紫遥の肩を湊が抱き寄せた。

「申し訳ないですが、一緒に住むのは厳しいですね。彼女との新婚生活を楽しみたいので」

 ちらりと目をやると、湊の表情は穏やかだったが、紫遥に触れる手は力強く、不思議と気持ちが落ち着いた。

 それまでずっと笑顔を崩さなかった香織も、湊の拒絶の言葉に機嫌を悪くしたのか、あからさまにがっかりした表情を見せた。

「あらそう。でも、真夏はどうするの?」
 
 ふいに香織が尋ねた。

「あの子がいたら新婚生活の邪魔になるじゃない。そうだ。私が預かろうか?」

 香織は欲にまみれた顔でそう言った。
 真夏を預かるという名目で、自分たちに住む場所や金を要求するに違いなかった。