そう言って、紫遥は深く頭を下げた。聡子はさらりと肩から落ちる紫遥のまっすぐな黒髪を見つめ、考え込んだ。
 
 紫遥に対する印象は、聡子の中で少しずつ変わりつつあった。
 湊と釣り合っていないと言ったのは、何も家庭環境や育ちのことだけではない。湊と付き合い、いずれは久我家に入ることを考えると、世間からの目を常に気にして行動しなければならない。金で買えるものはなんでも手に入るが、普通の家庭で得られるものが手に入らないことも多々ある。そんな環境に耐えられる人間は、幼い頃から同じ環境で育ってきた人間くらいのものだ。
 
 聡子もまた、大きな会社の経営者である父を持ち、幼い頃から他とは違うストレスを抱えて生きてきた。厳しく躾けられ、さまざまな制限を設けられ、交際相手も自分で決められない。若い頃の自分はそれが苦痛で仕方なかったが、久我家に嫁いで息子を出産してからというものの、自分の子供を縛り付けたくなる親の気持ちがわかるようになった。
 
 自分たちは、周囲の人間を常に疑わないといけない。近づいてくるほとんどが持たざる者であり、金や権力を失えば離れていく者ばかりだからだ。そんな者に自分の愛する息子が傷つけられるのを黙って見ているわけにはいかない。だからこそ、聡子は過保護なまでに息子を管理した。

 しかし、相手が金や権力を与えても動じない相手では、息子から離れさせるのは難しい。
 どうしたものかと、聡子はため息をつく。
 
 

 すると、廊下の方からバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、突然ガラス障子戸が開いた。

「紫遥さん!」

 紫遥は下げていた頭をあげ、目を丸くした。