紫遥は山口の姿を目にした途端、呼吸が浅くなり、身体がプルプルと震えた。

「大丈夫です、今、行きます」

 思わず声が震えてしまい、グッと身体に力を入れる。
 トイレは奥まったところに位置しており、個室と厨房を行き来する店員にも見えないようになっていた。そのため、山口と閉鎖空間に二人きりでいるような感覚がして、紫遥は思わず服の裾を握りしめ、身構えた。

 山口は「よかったよかった」と言って、笑っていたが、部屋に戻る気配はなく、そのまま壁に寄りかかって話し始めた。

「やっと二人きりで話せるから言うけどさ、真夏ちゃん、いい子に育ったな。お前一人で面倒見てきたんだろう?立派なもんだ」

 何も答えない紫遥をお構いなしに、山口は勝手に話し続けた。

「そうだ、これも仮屋に聞きたかったんだよ。香織さんはどうしてる?あれからずっと会ってないのか?連絡は?」

 山口の口から母親の名前を聞くと、母親への憎しみも湧いてくる。山口をギロリと睨みつけ、紫遥は答えた。
 
「……会ってません。連絡先も知りません」

「そうか。けど、あれくらいの歳の女の子にはやっぱり親がついていないとダメだと思うよ、俺は。仮屋が高校中退してまで一生懸命育てたっていうのはわかるけど、真夏ちゃんも思い切り甘えてワガママ言いたい年頃だろう?やっぱりそういう意味では、本当の両親には敵わないと思うけどな」

「両親は死んだも同然だと思ってるので。真夏は私が責任持って育てます」

「何言ってるんだ、香織さんも俺も生きてるじゃないか」

「は?」