金曜日。仕事を終え、一度家に戻って荷造りを終わらせたあと、真夏と共に待ち合わせの和食屋に向かった。

『少し遅れます。先に入っていてください』

 湊から届いたメールを見て、真夏と共に店に入り、奥の個室へと案内される。

 日本家屋のような店内は全室個室のようで、いかにも芸能人がお忍びで使うお店、という雰囲気だった。店員の案内通り、階段を使って2階にあがり、1番奥の部屋へと進んだ。
 
 座敷の部屋のため、真夏と紫遥は靴を脱いだ。下駄箱には既に茶色い革靴が入っており、襖の奥に人の気配がした。

「あの、ここ久我で予約とった席で会ってますか?」

「はい、お先に到着されております」

 着物を着た店員がピシッと揃えた手の甲を部屋に向けて、微笑んだ。

 もしかすると、湊が予想外に早く到着したのかもしれない。紫遥は店員にお辞儀をし、ゆっくりと襖を開けた。

 すると、そこには一人の中年男性が座っていた。振り返る男の顔に、紫遥の顔はさっと青ざめた。

 「……もしかして、仮屋か?」

 そこにいたのは山口だった。

「久しぶりだな。ああ、久我が会わせたい人っていうのは仮屋だったのか。その様子だと、仮屋も聞いてなかったんだな」

「……はい」

 紫遥はやっとのことで言葉を発することができた。目の前に山口がいる。自分を苦しめ、そして今でも記憶の中で残り続ける悪魔のような男が、目の前いるのだ。
 
 後ろから遅れて入ってきた真夏に「紫遥ちゃん?」と声をかけられると、紫遥はハッとして、真夏を自分の後ろに押しやった。

「その子は……」

 山口は真夏を見て一瞬口を閉ざしたが、またにっこりと微笑み、自分の目の前を指さして「さあさあ、二人とも座りなさい」と言った。

 紫遥は不思議な様子で立ち尽くす真夏の手を引き、山口の斜め前に座った。彼の目の前に座り、真っ正面からその視線を受ける勇気はなかった。

「紫遥ちゃん、このおじさん誰?」

 真夏は目の前に座る中年の男が誰かわからず、小声で紫遥に尋ねた。
 すると、紫遥が口を開くより前に山口が優しく真夏に語りかけた。

「僕はね……」

「やめてください!!」

 紫遥は気がつくと、そう叫んでいた。