紫遥と再会して、もう一度あの日をやり直せば、自然に彼女に対する思いもなくなると思っていた。だが、予想に反して彼女への思いはどんどん膨らみ、そして、今ではその思いが憎しみからくるものなのか、執着からくるものなのか、それとも純粋な恋心からくるものなのか、湊自身もよくわかっていなかった。

 次のシーンまでまだ時間がある。九時をまわったところだが、今日中に撮影を終わらせなければいけないシーンはやまほどあるのだ。念の為、このあたりで一眠りしようか。若手女優が泣きの演技に苦労しているようだったので、もしかしたら一時間は仮眠できるかもしれない。

 凝った肩を揉みながら、湊が楽屋に戻ると、そこには湊の兄、久我周がニッコリと笑いながら、ソファーに足を組んで座っていた。
 いるはずのない人が突然目の前に現れたことに驚き、湊はその場に立ち尽くした。

「突っ立ってないで、中に入って座ったら?」

 周が自分の右隣を指してそう言ったが、湊はむすっとした顔で、近くのパイプ椅子に座った。

「何しにきたんですか」

「撮影の見学だよ」

「こんなところまでわざわざ来るなんて、随分仕事に余裕があるんですね」

「これも仕事の一貫だ。僕の会社がスポンサーだってこと、忘れたの?」

 にこやかに湊の嫌味をかわす周に、思わず舌打ちしそうになるのを堪える。
 
 久我周。久我家の次男で、日本を代表する若手起業家だ。元々はアメリカで戦略コンサルタントの会社を営んでいたが、今は日本に拠点を移し、数々のベンチャー企業を立ち上げている。
 そして、その一つが高級家事代行サービスBistiaだった。

 周は一見穏やかで、人当たりが良いが、実際腹の中では何を考えているかわからない恐ろしさがある。情に流されることはないため、自分の求めるクオリティのものをあげられない取引先は、何食わぬ顔で切るし、長い付き合いがある友人の会社であっても、平気で買い叩く。